配置転換違法判決から考える個人のキャリア自律

4月26日、以下のとおり、職種限定の労働契約の下での同意なき配置転換は違法であるという判決がなされました。

実は、私はかねてよりこの「職種限定と配置転換等人事権の行使」というところに着目しており、4年ほど前に出した拙著でも扱っている論点です。

そこで、最高裁判決を機に、再度この論点をおさらいしつつ、「個人のキャリア自律」という観点から感想を述べたいと思います。

今回の最高裁判決の概要

まず初めに、今回の最高裁判決の概要を見てみましょう。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/928/092928_hanrei.pdf

今回の最高裁判決の判決文自体は、決して長いものではなく、「労働者と使用者との間に当該労働者の職種や業務内容を特定のものに限定する旨の合意がある場合には、…その個別的同意なしに当該合意に反する配置転換を命ずる権限を有しないと解される。」とし、今回の従業員と会社との間には、職種及び業務内容を本件業務に係る技術職に限定する旨の本件合意があったため、その従業員その同意を得ることなく総務課施設管理担当への配置転換を命ずる権限をそもそも有していなかった、と判断し、今回の配転命令を違法としたものです。

この判断自体は真新しい議論ではない

さて、このような判断を最高裁が行ったこと自体には意義があるものの、判決の判断内容自体は、新しい論点というものではなく、これまでも裁判例上認められてきた議論ですし、学説上もこのように考えられてきたものです。

すなわち、多くの企業では、就業規則上「必要がある場合には配置転換等を命じる場合がある」旨定められており、規則上は無限定に配置転換がなされるような規定があります。
他方で、本件のように、労使間の個別の労働契約において職種が限定されている場合には、就業規則よりも有利な合意として、その労働契約が優先され、その結果、合意された職種以外への配置転換を命じる権限がそもそも存在しないと考えられています(いわゆる「権限審査」で負けてしまう)

したがって、今回の最高裁の判断内容自体は、特に真新しいものではない得るでしょう。

実務感覚はどうか

では、企業実務の感覚はどうでしょうか。

ここは感覚的なところですが、ある程度人事労務の知識がしっかりしている企業では、ある意味当然の判断のように思われます。
もっとも、中には、「日本だとあらゆるところ配置転換、転勤させられて当たり前」と考えているところもあるように思われます(実際、そういう相談のの中でそのように考えられている方もおられます)。

しかし、実際には、「どこにでも配置転換、転勤させられる」というのは「日本だから」というものではなく、職種を限定するような雇用契約がない、無限定の労働契約が締結されていることが「多い」からです。

このような広いジョブローテーションというのは日本型雇用慣行の特徴の一つですが、慣行はあくまで慣行にすぎず、今回のような職種限定の労働契約の場合には、日本企業の得意技であるジョブローテーションもできないということになります。

この判決を機に働き手も自分のキャリアを契約上の約束としてはどうか

上記のように、今回の最高裁判決は、決して新しい考え方を示したわけではありません。
しかし、企業と合意しておけば、企業による一方的な配置転換権を排除することができるということが広く働き手にも認知されることは良いことであろうと思われます。
というのは、昨今では、ポストの公募制など、従業員側の意思も尊重したうえでの配置転換を行う例も見られますが、やはり最終的な決定権は、広い人事権を背景に、企業側が持っている例が多いです。
このような企業側の広い人事権は、働き手からみれば、自らのキャリアを企業の決定にゆだねているということになります。

しかし、人生100年時代において、キャリア自律の重要性が叫ばれるなか、今回の判決を機に、自らのキャリアの希望を、単なる「希望」を超えて「契約」上の約束事にしておくということも、今後重要性を増してくるように思われます。

本件の最高裁に関係する残された論点

今回の最高裁の判断は、実は、解雇(特に整理解雇)と深い関係があります。
また、今回「同意がなければ配置転換できない」としていますが、その際、留保付きの同意が可能かという論点が、民法との関係であります。

今回はこの点には触れられませんので、また別の機会に書きたいと思います。

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