見出し画像

円安は「優しさの代償」~マイナス金利解除を受けて~

やはり「噂で売って、事実でも売り」だった
注目された日米金融政策決定会合を経て、ドル/円相場は年初来高値を更新、150円台で値固めする展開に入りました。

既報の通り、3月18~19日の日銀金融政策決定会合は①イールドカーブ・コントロール(YCC)の廃止、②無担保コールレートの誘導目標を▲0.1%から+0~0.1%程度へ引き上げ、③ETF・JREITの購入停止という引き締め方向の決定を下しました。日銀にとっては実に17年ぶりの利上げです:

マイナス金利解除と共に注目されていた長期国債買い入れ規模の取り扱いに関しては当面は現状と同程度(月6兆円程度)で維持されることが決定されており、後述するように、この部分が今会合のタカ派色をかなり相殺したように感じられました。為替市場の反応もこの部分を意識した結果ではないかと筆者は感じています。

細かい話をすれば、黒田日銀の「迷走の象徴」とも言える存在だった3層構造の付利金利が従来の1層構造に回帰したこと、今年4〜6月の国債買い入れオペ(公開市場操作)の買い入れ予定額の上限が引き下げられたことなど注目点は多数あります。しかし、全体として「金利を上げたいけど上げたくない」という日銀の複雑な胸中が透けて見え隠れし、そこを情け容赦無い為替市場に突かれたという印象はかなりあります

注目されたドル/円相場は利上げ決定後、年初来高値まで急騰しました。筆者は会合直前のnoteで「なけなしの「日銀発」円高材料はリークで尽きた」と題したコラムを寄稿し、リークが続いた弊害として「噂で買って、事実で売り」という定石ではなく「噂で売って、事実でも売り(Sell the rumor, sell the fact)」というコースに入った可能性に警鐘を鳴らしていました。残念ながら、その懸念は的中したと言わざるを得ません:

故意にしろ、過失にしろ、事前に決定内容をリークしてしまえば、事前期待を超えることが義務になります。個人消費や生産に脆弱性を抱える日本の実体経済上を踏まえれば、その義務はあまりにも重いものでした。
 
債券市場への優しさが仇に
多くの市場参加者が感じている通り、今回の決定は債券市場に優しい決定でしたその優しさが仇となって円相場における「事実で売り」を助長したのは間違いないと思います。反対に、利上げ決定後も長期金利はしっかり低下しています。債券市場のアタックに対して守りを厚くした代償として為替市場のそれに対しては守りが手薄になった、そんなところでしょう。

今の日本経済は金利上昇か円安か、いずれかを我慢しなければいけないという二者択一を迫られているわけですが、現状は金利上昇を避ける代わりに円安を引き受けている状況にあると理解すべきです。

債券市場への優しさは長期国債の調節方針からも確認できます。「これまでと概ね同程度の金額」で長期国債の買入れが継続され、長期金利急騰の局面では毎月の買入れ予定額にかかわらず、機動的に買入れ額の増額や指値オペ、共通担保資金供給オペなどが実施されることになっています。

上記のnoteでも述べた通り、日銀が国債発行残高の半数を握る以上、形式的にYCCを廃止しても実質的にYCCは残存せざるを得ないでしょう。もちろん、6兆円程度の買い入れ額継続はバランスシート縮小(QT)が始まるまでの激変緩和措置という位置づけでしょうし、それは買い入れ予定額の上限が引き下げられている部分からも読み取れます。

しかし、肝心の調節方針で「機動的に買入れ額の増額や指値オペ、共通担保資金供給オペなどが実施される」と約束されている以上、今回の決定はマイナス金利政策解除を除けばほぼ今まで通りという見方もできます。合わせて廃止されたリスク性資産(ETF・JREIT)の買入れは元々行われていません。

結局、こうした債券市場への手厚い優しさの代償として為替市場で期待された円安抑止の効果は必然的に削がれたという印象は拭えません。あくまでマイナス金利解除を本丸と見据え、その軟着陸を優先したからこそ決定直前までリークが重ねられたのかもしれませんが、変動為替相場を採用している以上、金利上昇の抑止と円下落の放置はセットで考えるべきです。日銀も当然理解している点かと思いますが、金利上昇を甘受するだけの政治・経済的な体力は日本には無く、今回のような決定になるのは不可抗力なのかもしれません。
 
テーマは金融政策からデフレ脱却宣言へ
なお、今回は対外公表文において「現時点の経済・物価見通しを前提にすれば、当面、緩和的な金融環境が継続すると考えている」との一文が明記されています。これを額面通り受け止めれば、連続利上げは無いという解釈になりそうです。今後はこのフォワードガイダンスを元にして金融市場は資産価格形成に努めていくことになるでしょう(厳密には中立金利が特定できない以上、「緩和的な金融環境」と利上げの関係は可変的ですが、ここでは脇に置きます)。

しかし、このまま日銀の金融政策運営が凪の状態に入るとしても、1点気がかりな要素が残る。それは政府のデフレ脱却宣言の行方です

今回、マイナス金利解除が可能になった背景として春闘の第1回集計が32年ぶりの高水準となったことで政治的にも容認しやすくなったという事情は間違いなくあったでしょう:

周知の通り、岸田政権は企業への賃上げ要請やこれを促すための税制に余念がありません。だからこそ、マイナス金利解除に至った雇用・賃金環境の改善を政府・与党の政策効果の表れと喧伝したいはずであり、その象徴的な一手としてデフレ脱却宣言は有力候補でしょう。しかし、筆者はデフレ脱却宣言があるとしても年央以降で、基本的には難しいという立場です。理由は様々挙げられますが、マイナス金利解除とデフレ脱却宣言では意味するところが違い過ぎるという点は指摘できるでしょう。今回のマイナス金利解除について、それほど大きな世論の反発がなかったのは恐らく「円安抑止のためには致し方ない」という思惑もあったのではないかと察します。

政府がデフレ脱却宣言を出すということは景況感の明確な好転にお墨付きを与えるような印象を与えるに違いありません。それを民衆が善しとするでしょうか。ほぼ間違いなく反感を買うでしょう。

そもそもデフレが何を意味するかは経済主体によって異なるというややこしい問題があります。政府や日銀にとっては消費者物価指数(CPI)の低迷であり、これは分かりやすいと言えます。企業や外国人投資家にとっては株価の低迷でしょうか。これもある意味で分かりやすいです。

では、家計にとっては何でしょうか。正しい答えは1つではないでしょうが、やはり実質賃金の低迷ではないかと筆者は考えます。このように経済主体によって感じ方が異なる「何となく景気が悪い状況」をデフレという言葉に押し込めて表現してきたのが「失われた30年」であり、それを一発逆転の妙手で打開できると喧伝したのがアベノミクスに化体したリフレ思想です

そのような仮定に基づいた場合、政府がデフレ脱却宣言を打ち出しても世論の反発に遭わないタイミングは実質賃金の低迷が打破されているタイミングにほかなりません。この点、年内はCPIの低下傾向と名目賃金の上昇傾向が重なるため、実質賃金は最短で夏頃にはプラス転化するという見通しがあります。解散総選挙がいつ行われてもおかしくないと言われる2024年だけに、実質賃金のプラス転化・デフレ脱却宣言・解散総選挙はセットで考えると良い事象でしょう。

引き続き2024年はパラダイムシフトを確認する年
以上で見てきたような政府・日銀の動き方を踏まえたところで、筆者の円相場見通しに影響はありません。年初来、筆者は2024年について「ドル/円相場がパラダイムチェンジを確認する1年になる」と論じてきました。その思いは今も変わっていません。

事前の情報発信に不味さがあったとはいえ、日銀がマイナス金利解除に至り、FOMCで3回利下げが完全に織り込まれてもドル/円相場は150円台にあります。マイナス金利解除はかなり押し目(円高・ドル安)のチャンスを作ってくれると思っていましたが、事前のリーク合戦で円高材料として消耗され尽くしてしまったことでそのような展開には至りませんでした。

筆者は過去2年以上、円相場の現状と展望を議論する上では「見るべきものは金利差ではなく需給」だとしつこいように方々で述べてきました。当初は全く賛意が得られませんでしたが、金利差で円安・ドル高を説明できなくなった論者が徐々に国際収支に関心を持ち始めていることを体感しています(例えばデジタル赤字の話は昨年、筆者以外は殆どしていなかったはずです)。もちろん、今後はFRBの利下げが待ち構えているため、ある程度は円高を拾うチャンスがあるでしょう。しかし、基本的にそうした動きは長期円安局面の小休止と割り切るべきですし、米金利に振り回されるのは変動為替相場制の常です。年内見通しにとって重要なことはマイナス金利解除という貴重な円安抑止のためのカードを上手く使えなかったがゆえに、年内の140円割れもかなり厳しくなったという事実でしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?