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エクスペリエンス・イノベーションの新たな展開 デフレーミングの循環構造を考える

突然で恐縮だが、筆者はスキー好きである。20代の頃は年間40日滑ったこともある。

スキーを始めたのは社会人になってからで、それまではチェロに打ち込むなど文化系一色だった。それまでスポーツはむしろ苦手意識があったのだが、スキーだけは全然違った。滑走時ののスピード感やリズム感、雪山と森の美しさに魅了され、冬の間、ほぼすべての週末を山で過ごしていた。

しかし、もちろん私以上のスキーフリークはいらっしゃるようだ。星野リゾートの星野佳路社長は、なんと年間60日滑るそうだ。しかもあれだけアグレッシブに事業展開を行う企業の社長を務めながら。いやはや、凄い人がいるものである。

冒頭から話がそれてしまったが、今回のテーマは「エクスペリエンス・イノベーション」である。顧客の体験に着目してサービスを開発する観点であり、イノベーションの教科書にも登場する重要な概念である。

旅行業界とエクスペリエンス・イノベーション


エクスペリエンス・イノベーションの元祖ともいうべきはトーマス・クックによる観光体験サービスの創出とされている。それまで、旅行といえば鉄道、バス、観光施設、ガイド、宿泊などを全て旅行者が個別に手配する必要があった。

こうしたバラバラだった旅行関連サービスを統合し、顧客に一つの統合された体験を提供する者として「パッケージツアー」が誕生した。1863年ごろの話である(Tidd and Bessant 2021)。

その後、パッケージツアーは世界的に、特に日本からの海外旅行において広く普及した。お任せしておけば、一定のクオリティの体験が手に入るというのは顧客にとっては手間が省けるメリットがある。

しかし、近年は個人が自分でホテル、飛行機、アクティビティ等を手配する旅行が増加している。これは、インターネットの普及によってそれらのものを探索し、購入するための取引コストが大幅に削減され、むしろパッケージ・ツアーの非効率性が浮き彫りになったからであろう。パッケージツアーに参加する人のニーズも実は一様ではなく、自分たちのニーズに合った旅行をしたい、そしてそれが実は簡単にできるということが明らかになったのである。デフレーミングの「分解と組み換え」によって、パッケージツアーに含まれていた要素が分解されたと言える。


今や、航空券は航空会社のHPで購入できるし、ホテルはホテルのHPかそれらを仲介するプラットフォームサイトで簡単に予約できる。ホテルの質はレーティングやクチコミを見ればわかるため、旅行会社の推薦に依存しなくても良い。

このように旅行業界では個別手配から一度統合され、そして再び分解されるという流れで進んできた。しかし、ここにきて新たな動きが出てきている。それは、体験に着目した再統合である。

例えば冒頭に紹介した星野社長率いる星野リゾートは、スキー・スノーボードに着目した旅行体験を提案している。旭川に2018年にオープンしたOMO7では、旭川近郊のスキー場への送迎を取り入れたり、スキー場のコンディションを毎朝知らせるサービス、スキーのチューンナップ設備、レンタルなど、スノースポーツを楽しみたいユーザー層にフォーカスした体験を提供している。同時に、ワークスペースを拡充するなど、スキー好きの現役世代がワーケーションに使うシーンも意識した取り組みを行っている。

特徴的なユーザーの体験に着目して、今までバラバラだったサービスを統合する流れは、新たな世代のエクスペリエンス・イノベーションとも言えるだろう。

不動産とエクスペリエンス・イノベーション


同様のことは不動産領域でも見られる。サブスク型宿泊サービスのHafHは一定の金額を支払えばそれに応じて全国どこでも宿泊することができる。ちょっと移住してみたい、ワーケーションしてみたい、といったユーザーのニーズにぴったりと寄り添ったサービスだ。

同様に、ADDressは空き屋等を活用したサブスク型宿泊サービスで、より長期間にわたって地方へのお試し移住や多拠点居住を可能にする。いずれも、どちらかといえば新しいライフスタイルを模索する現役世代に新しい体験を提供するものであろう。バラバラにホテルを予約したり、短期の別荘を借りたり、アパートを契約する手間が省け、体験の視点から統合されている。

WeWorkなどのコワーキングスペースやシェアオフィスも、体験に着目した再統合の例である。オフィススペースの空間、植物やアートなどの環境・インテリア、飲料・軽食、コミュニティマネージャーなど、様々な要素が統合されており、そこから得られる体験が対価の対象となる。入居者(企業)は、これらをバラバラに手配する必要はない。

このように、様々な領域において、一度バラバラに分解された領域が、今までよりもニッチな、あるいは特定の価値観やニーズにフォーカスした形で再統合される現象がみられる。

分解と再統合は単純な循環か?


デフレーミングの分解と再統合は、サイクリカル(循環的)に繰り返されるものかもしれない。

一つの価値観やニーズが一定の型にはめられるボリュームに達すると、最大公約数的にパッケージ化される。しかし、人々の価値観やニーズは常に一定ではない、情報技術による取引コストの低下からパッケージ化の非効率性が顕わになれば、分解されるきっかけとなる。しかし、そこから派生した新たな価値観に対して、体験に着目したサービスが新たに生まれる。

それが単なる多様性と画一性の繰り返しであるのか、あるいは、情報技術を活用したコミュニケーションの力によって多様性が解放され、特定の価値観やニーズにフォーカスした、細分化された再統合へと進んでいくのか、今後もう少し検討していく必要があるだろう。

個人的には、私のニーズにマッチしたサービスが登場するのは大歓迎である。


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