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アインシュタインといえば、どんな顔を思い出す?ー平凡と非凡(中)

アインシュタインといえば、どんな顔を思い出すだろうか?
アインシュタインは世界的な研究成果があったから非凡になったのであって、あの下ベロを出した写真で非凡になったのではない
 
じゃあ、アインシュタインの相対性理論を理解して、アインシュタインが非凡だと言っている人は、どれだけいるだろうか?むしろ天才科学者というブランドができて、あの下ベロを出している写真があって、それでアインシュタインが非凡だと思っているのではないだろうか


1 私が社会文化研究家と名乗っているのは

2年前に企業を退職後、どこの組織にも帰属しないで、個人で活動をしている。note日経comemoに肩書きを書く欄があったから、企業退職後、こんなことをしたいなとボンヤリとイメージにあった「社会文化研究家」と書いた
 
社会から隔絶して、ある意味、実産業・経済社会から隠遁生活をしているが、そんな大阪と高島の2拠点での晴耕雨読の暮らしをしている私に、ときどき情勢分析をしてくれ、相談にのってくれ、戦略をつくってくれ、講演してくれ、教育をしてくれという話をいただき、オンラインミーティングをしたり、都市に出る
 
だから、およそ社会のインデックス、評価するインデックス、オフイスは東京にありますとか、従業員が何人いますとか、綺麗なオフイスですとか、SNSなどで派手なパフォーマンスをする必要はない。パフォーマンスをしなくて困ることがあるかというと、全然ない
 
ただ嫌な思いをすることはある。事務所もないのですか? 個人でやっていてスタッフもいないのですか? メールはGmailだけなんですか?そんなことはどうでもいい。社会の課題の抽出、課題の解決、新たな価値創造などで社会の貢献につながることで、ご飯を食べていけたらいい。そう思っている。ということは

私は甘んじて平凡である 

甘んじて人から目立つアピールをしないで、それでやっていきたいと思っている。それを成立させているのは、相手さまが納得する成果であり、相手さまの成果につながる知見やソリューションを提供して、数少なくても池永を求める人がいるならば、私は平凡でいい

2 目立ったら勝ち、ではない

新プロジェクトXのオープニングソングの中島みゆきさんの「新・地上の星」の歌詞ではないけど、世の中には名前が知られていないけれど、人知れず偉業を成し遂げている素晴らしい人材はどっさりいる
 
その人たちを社会的にクローズアップしていないからいけないのではなくそういう人をただしく評価できていないことが問題ではないだろうか

非凡の人を評価する尺度がない 

一方、非凡になりたい人が、非凡になるための表現法と演出法があった。奇抜な服を着たり、派手な化粧をしたり、変装をしたり、太鼓を鳴らしたり、裸踊りをしたり、常人ではないパフォーマンスしたり、奇妙なことを語ったり、声を荒らげたり、大きな声をだしたりする
 
飲み会で、大きな声をだしたり、ウケるって手をたたいたりしている人がいいる。誰にも注目されないので、私を見て見てっていう意味で、ウケると騒いだり、街に出て大きい声を出して騒ぐ人っていうのは、自分の平凡さにおびえて、非凡のパフォーマンスをしているように思える
 
そこに、画期的な非凡となれる表現法と演出法があらわれた。過激な言葉を発したり、派手な、刺激的な、トリッキーなパフォーマンスを動画にして、YoutubeやInstagram、TikTokといったSNSで発信して、バズらせ、フォロワーを増やす。彼らはこう考える

 フォロワー数が増える⇒非凡になる⇒金儲けができる

3 隗(かい)より始めよ

ネット・スマホのない時代に理論化されてた計画重視の古典的なマーケティング理論では、現代に通用しないことが多い。とりわけプロモーションは、レベルが低いもの、いかがわしいもの、胡散臭いものでも、表に出し、派手に銘打って、いきなり非凡を獲得しようという風潮が、人にも企業にも社会に蔓延している
 
社会への投げかけで大事なのは、何が大切なのかであって、まずは

平凡で何が悪いんや 

このテーゼの問いかけから、スタートしないといけない。平凡でも、一所懸命に努力して、すこしづつ実績が出てきたら、どこかからの声がかかる、引きあげられる。必ず登用、活躍できる場、機会が拓く。小さい時、こう言われた

神様は見ている

男女の出会いだって、そう。平凡な男だけど、なにかの機会に親しく喋るようになって、その人の人となりに惚れて、結婚して、友だちに紹介したら、なんだか平凡の男の人ねって言われるけど、奥さんはそれで全然満足っていうケースもありますよね
 
一方で、超有名企業の部長の奥さんが、主人がその超有名企業を辞めたら、あんたともう一緒にいる必要はないと、離婚される人がいる。奥さんにとっては、いわゆる非凡を装うためのツールが大切で、そのツールがなくなってしまったら

あんたは要らない、となる 

そういう考え方が、日本社会には依然ある。これは教育の場面もそうだけど、平凡の姿にスポットライトを当てる言葉が、残念ながら

地味で、コツコツぐらいしかない

非凡は何かしらアピールして、第三者に自分の特性を分からせようとする形で、非凡を演出しようとする人が多い。平凡と言われる人で

平凡だけど
その人がやっていることは
すごいことだってある 

そういうことに、もっとスポットライトを当てないと、いけないのじゃないか?そういうものをめざせってことに、スポットライトが当てないといけないのじゃないか?
 
新しい仕事を始める。まず最初にSNSで拡散しはじめる。この商品はこんなにすごい、わが社はすごいですと、広告宣伝・プロモーションは必要だけど、実態にあっていない派手に誇張して、AIを駆使した実態のない美しく、奇抜なパフォーマンスで、まず注目されること、バスることをターゲットにはじめる人、企業が多すぎる。とっても変である

奇襲に頼りすぎ
飛び道具、お化粧。変化球に頼りすぎ 

そうではない
一社一社のお客さまに正攻法で臨む
社会の課題を私どもの商品・サービスで解決できる、お客さまの価値を創造できるという提案に共感していただき、お客さまと共創してモノ・コト・サービスを一緒に試行錯誤して創りあげ、お客さまとオンリーワンを築き上げる。一社一社実績をあげたうえに、そこから一気に多くのお客さまに拡げる
 
まず1人、まず1社、まず1件
目の前のお客さまに真正面に臨んで
自分らしい強みで、堂々と勝負する

 
最初からバズらせ目立つための
飛び道具に依存しすぎたらあかん

隗(かい)より始めよ

コロナ隔離生活4日、後2日。高熱、頭痛、咳き込み、喉痛、徐々に回復しつつも、頭がまだうまくまわらい、最終回は来週水曜日に


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