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IMFの警告する「スローバリゼーション」その②~資本動向を左右する地政学~

資産価格の検討にも地経学が重要な時代に
前回のnoteへの寄稿ではIMFが公表した春季世界経済見通し(WEO)において地経学的な分断(geoeconmic fragmentation)が集中的に議論されていることを取り上げました:

https://comemo.nikkei.com/n/n4ccfe214faa3

この中では、とりわけ世界的に直接投資の流れが逆流していること、具体的には自国回帰や友好国回帰の潮流が根付いているという事実が定量的・定性的に議論されました。WEOではこうしたグローバリゼーションの巻き戻しを指してスローバリゼーションと表現していたことが印象的であったことも紹介しております。この点、WEOの翌日に発表された「国際金融安定報告(Global Financial Stability Report:GFSR)」でも第3章で「Geopolitics and Financial Fragmentation: Implications for Macro-Financial Stability」と題し類似の論点が議論されているので、今回はこれを紹介してみたいと思います。

GFSR第3章は導入部分から「世界経済の重しとなる地経学的のさらなる分断-戦略的考慮に基づいた経済・金融統合の政策的巻き戻し」に言及して始まります。これまでは地理的な条件を念頭に置いた上で軍事・外交を中心とする国家関係を分析・考察する学問として地政学がありました。その考え方は今も当然有用なものですが、近年では地政学的な目的を実現するために経済的な手段を活用することも含めて検討する学問として地経学(geoeconomics)のフレーズが多用されています。上の図に見るように、世界各国における軍事費が膨張傾向にある状況下、地政学的な緊張は明確に高まっており、結果として地経学の思考枠組みも出番が多くなっています。各国の経済規模(名目GDP)に対する軍事費は2020年以降で顕著に膨らんでおり、世界の半分の国で軍事費が増える兆候が認められます
 
分断は直接投資、証券投資、そして銀行貸出へ
前回コラムで紹介したWEOでは、こうした時代ゆえに国境を越えた企業の動き、とりわけ直接投資が顕著に鈍っていることを取り上げていました。政治・外交的に距離のある国からは直接投資ないし証券投資の引き揚げが進み、そうではない国には厚めに配分されるという構図はGFSRでも各種計数を用いて説明されています

例えば上図は国際与信残高(国を跨いだ貸出残高)についてロシアのウクライナ侵攻直前(2021年10~12月期)と2022年1~6月期を比較し、変化率を見たものです。ここでは2022年3月2日の国連総会におけるロシアに対する非難決議(軍の即時撤退などを求める決議案)に反対した国々とそれ以外の国々(欠席・棄権・賛成)で比較していますが、一瞥して分かるように前者の国々に対する貸出は顕著に控えられていあす。

企業からの投資も、有価証券への投資も、そして銀行からの貸出も西側陣営とそれ以外で分断されるイメージが想起されます
 
システミックリスクに至る2つのチャネル
GFSRは金融システム安定への脅威を分析する報告書ゆえ、究極的にはこうした地政学的な緊張がどのようにして金融システムの安定を揺るがすリスク(≒システミックリスク)に至るのかが焦点になります。この点は主に2つのチャネルが指摘されています。1つは金融チャネル(Financial channel)、もう1つは実物チャネル(Real channel)です。SVB破綻以降、日本でもシステミックリスクは1つの関心テーマとなっています:

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO70366390Q3A420C2EE9000/

上記2つのチャネルで言った場合、前者は資本フローや決済に関する制裁行動(資本規制や資産凍結など)や投資家の回避行動(制裁を受けた心理悪化により投資家が対象国への投資を控える動きなど)にまつわる動きを想定しています。国境を跨いだ資本移動が活発化し、文字通り、資本が流入する国と流出する国が色分けされることになります。

結果、資産価格が下落する国も出てくるし、投融資が引き揚げられる国も出てくるし、という展開が想定されます。文字通り、金融分断(financial fragmentation)と言って良いでしょう。言うまでもなく、資本フローの途絶が頻発すれば当該国の民間部門では流動性枯渇やこれに伴う債務不履行などが発生し、資金調達コストの上昇や資産売却に伴う価格下落が頻発する恐れがあります。これが地政学的な緊張にまつわる金融チャネルであり、この最中で出てくる制裁行動などは地経学の文脈から議論される論点になります。

こうした金融チャネルのリスクは実物チャネルを通じて増幅されます。具体的には地政学リスクの高まりはしばしば貿易取引や技術移転の制限、サプライチェーンや商品市場の破壊という実体経済の障害に直結するケースが多く、これも地経学リスクという視点から議論されます。

過去3年間のパンデミックやロシアのウクライナ侵攻で経験したように、商取引が優れて効率化されていた世界において貿易取引やサプライチェーンなどが意図せず機能不全に陥った場合、実体経済は瞬く間に供給制約に直面します。ヒトやモノが円滑に動けなくなれば生産活動が滞るのは当然です。
結果、景気は停滞するし、供給不足によりインフレ圧力も増大しやすくなります。こうしたスタグフレーションとも言える状況では非金融法人をとりまく収益性も棄損するため、金融法人(≒銀行部門)の抱える与信リスクも高まることになります。

与信リスクの高まりは貸出態度の厳格化、事業活動の停滞に繋がるため、実体経済を押し下げます。当然、銀行部門の経営体力も落ち、システミックリスクは高まるという結末になります。ちなみに地政学ないし地経学リスクの高まりはしばしば敵対国同士の資源の融通も困難にするため、これもインフレ圧力を助長するため、これが中央銀行の利上げを後押しすることも予見されます。利上げは資産価格の下落を招き、非金融法人の資金調達環境も逼迫させます。これも実物チャネルの1つです。

このように、金融チャネルと実物チャネルは相互連関的にシステミックリスクを増幅(mutually reinforcing)し合っていくことが懸念されます。地政学的緊張の高まりを経て金融分断化が助長されると、国境を越えた取引の多様性が失われ、金融・実物双方のチャンネルからシステミックリスクが高まります。
 
資産価格の検討にも地経学が重要な時代に
今回、IMFは世界経済の成長を議論するWEOだけではなく、国際金融システムの安定を議論するGFSRでも地経学の考え方が重要であることを示しました。以上で見てきたように、経済合理性よりも国家間の親密度合いに応じて資本フローの増減が決定する傾向が強まっている以上、株、為替、債券といった資産価格の見通しを検討する上で地経学が重要になっているのは間違いないでしょう。

この点、IMFは自身のモデルを用いて、諸外国間で地政学的な距離が開いた場合、有価証券(債券や株など)投資や銀行からの貸出などがどれほど影響を受けるのか試算しています。これによれば1年で▲15~▲25%程度、国境を跨いだ資本フローが細る計算が示されています。下図に示されるように、投資ファンドからの債券や株への投資は地政学リスクに対して最も敏感に反応する傾向にあることもGFSRでは注記されています:

金融市場が成熟化している国や対外純資産の多く抱える国はこうした資金フローの引き揚げにも耐性があるとされており、例えば世界最大の外貨準備と世界第3位の対外純資産を抱える中国が強い態度に出られることもこの点から説明がつく部分もあるかもしれません。

いずれにせよ、資産価格の中長期見通しを検討するにあたって、その資産が所在する国が地政学上どのような立ち位置にあって、地経学の観点からどのような強み(あるいは弱み)を持つのかを考えることが重要な分析行程として浮上していることをIMFは一連の報告書を通じて知らせてくれているように思います。こうしたGFSRの一連の議論も結局のところ、WEOで言及されたスローバリゼーションの一部であり結果とも言えるものでしょう。
 

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