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(旅立つ)退職の翌朝―コロナの真実(上)

コロナ禍で消えたことがいっぱいある。物事には、やめてはいけないことと、変えなければいけないことがある。それが変わった。コロナ禍を理由に、たとえば儀式をやめた。儀式には意味があった。その儀式をやめて、意味が消えた。こころが消えた。

40年勤めた会社を退職した。社内外の関係者に退職メールを送り、会社貸与のパソコン、携帯電話、IDカードを会社に返却した。コロナ禍中でもあり、長年おこなわれてきた退職の挨拶も、花束贈呈のような儀式もない。いつもにように、一人、事務所を出た。炎天下の御堂筋を歩く。私物の袋が重いが、いつもと違う。

どこからも追いかけられない。気にすることもない。軽くなった。意識はしていなかったが、重荷がそっと取り除かれたような解放感につつまれた。自宅に帰ると、会社から花束が届いていた。その花を見て、退職が完結したような気がした。今晩は、有事に備え、枕元に会社の携帯電話をもう置かなくていい、今日からぐっすりと眠れると思ったとき、本当に会社を辞めたことを実感した。そして今朝、目を覚まし、社会文化研究家として、旅をはじめた。

1 コロナ禍はいつ収束するだろうか?

「2020年代はコロナ時代となるのではないか」
とコロナ禍に入って考えた。2020年に始まったコロナを契機としたコロナ大断層(リセット)による社会構造の変化がすすむなか、2022年に勃発したウクライナ紛争は世界大不況を加速させ、2020コロナ時代を複雑化させている。現在、どうなっている?

2024年までコロナ不況とウクライナ紛争不況が輻輳化した世界不況がすすむが、2025年から2027年のコロナ復興を経て、2020年代後半はWell-Being時代に転換できるのではないかと考えていたが、先行きが見えなくなった。これから、どうなる?

「コロナはいつ収束するのだろうか?」
 これからの社会を議論するときに、いつもでてくる質問である。2020年1月にコロナ禍が始まり、2年半が経った。新規感染者数が一気に減少するなか、やや増えつつある状況も出はじめているものの、もうそろそろとちがうか?コロナ禍はもう終わりとちがうか?コロナ禍は、これからどうなる?

みんなが思うコロナ禍は、「次のフェーズ」に入った。コロナが疫病学的に、いつどこでどう収束するかというよりも、みんなの本音は、こうなりつつある。

コロナに飽きた

もうそろそろノーマルに戻さないと、社会経済がまわらなくなる。コロナ制約をこれ以上つづいけたら、社会・経済自体がまわし方を忘れてしまうのではないか。このままコロナをしていていいのか。いつまでも社会行動を制限していいのか。実際、コロナによる死亡者数は、癌やインフルエンザよりも少なくなっている。ということは、コロナは、これまでの

隔離する伝染病

という扱い方をもう変えるべきではないか、社会的に管理するコストで財政を圧迫させているので「第5類」に変更すべきではないかという議論がたかまっている。

コロナ禍による社会制約は、ここから

一気に解放していこうとする。
観光の開放も、繁華街の開放も
なにもかも。

この「コロナ禍制約からの開放」への転嫁は、コロナが「一般的な感染症レベル」にならなければならない。コロナ感染率が高かろうがなんであろうが、癌よりもインフルエンザよりもコロナで死ぬ人の数が少なくなったという事実が、3年ぶりの「コロナ禍からの開放」に近づけていく。

2 コロナ禍で、なにが変わったのか?

「やっても無駄。やる意味がない」
「時期尚早」「前にも考えたけど、メリットがなかった」


などといって、真剣に考えもせず、先送りしてきたこと、絶対ムリといっていたことを現在、私たちは普通に行っている。

オンラインミーティング・オンライン講演・オンラインショッピング・オンライン診療・オンラインデリバリー、動画・音楽の配信サービス、オンライン教育、オンラインフィットネス、オンラインエンタメ・LINEビデオ通話・みてね(mitene)・メタバースなど

これらすべてが、コロナ禍でうまれた技術・商品・サービスではない。「イノベーション」でもなんでもない。コロナ禍前に存在していたもので、コロナ禍を契機に取り組みだしたモノゴトである。私たちが現在していることは、コロナ禍になったためで、コロナ禍前に本来変わらないといけなかったことが、コロナ禍を契機に動き出したということ。現在日本社会で起こっているモノゴトの多くは

コロナ固有の問題ではない

ということ。コロナ新規感染者数の減少に伴い、コロナ禍前に戻そう、在宅勤務から出社・通勤スタイルに戻そうとする会社や組織は増えているが、コロナ禍を契機とした基本潮流は

「それは不合理だ」
と考える人・企業は多くなっている

会社や組織の決まりだから、「こうする」「こうしなさい」→「はい。分かりました、そうします」という指示・命令の流れが通用しなくなりつつあるこれまでのようには通用しなくなりつつある。

3 コロナ禍社会変化の本質とは? 

これからどうなっていくのか?世代間での価値観は違うが、基本潮流はこうなる

   働き方は「合理性」で判断する。   
都心に通うことをよしと考える人は
それでいい
在宅で仕事することをよしと考える人は
それでいい

どういうスタイルをとるかは、各人、自由である。

コロナだから、そうなったのではない
コロナ禍を契機に、変わったのだ

コロナウイルスに感染するからといって、分散オフィスにしたり、ホームオフィスにしたのではない。私たちの現在の立ち位置で

コロナ禍を契機に
リモートという働き方の

社会的検証がおこなわれているということ

「テレワークがいいのか悪いのか」と考えるのはナンセンスである。コロナで社会的検証の機会が与えられ、その検証の結果を踏まえ、個人・各社・各組織が考える「合理性」にもとづいて、働き方を決めていく。それが

コロナ禍社会変化のメカニズムの本質

である。これがコロナ禍の真実である。しかしコロナ禍の真実はまだある。それは、来週水曜日に考えたい。

  



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