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(最終回)明日、退職します。

「退職されるのですか。このあと、どうされるのですか?」 日本社会のなかでは、大の大人はなにかをしていないといけないという「社会的統制」がある。それを前提に、そう訊かれる。どこかに帰属するところがないといけない理由は、どこにもないはずだが、日本人は無意識に、人はどこかに所属して、なにかをすることを前提に見る。しかしこう言う。

どこにも行きません

明日から、これまでの会社生活をリセットして、どこにも属さず、新しい旅に出る。このCOMEMOは本日で終わるが、まだ書ききれていないことがある。これからの旅の途上にて、「社会文化研究家」として、あらたなCOMEMOを発信していくことに決めた。

1.ご近所に恥ずかしい

「どうしてですか?」「まだ早いのに」と不思議そうに見られる。日本社会には、どこかに行くべきだ、なにかをしていないといけないという「社会的統制」がある。だから行き場所がなくて、ブラブラしていてはいけないという空気が日本にある。こういう言葉もある。

「ご近所に恥ずかしい」

この言葉のなかに、日本人を無意識に支配する「社会的統制」が含まれている。ご近所の目がある。半パン・Tシャツで外に出ようとすると、「そんな恰好で外に出たらダメ」ととめられる。機能的な服だからいいだろうと言っても、「みんなに笑われるから」と注意される。

世界では、このようなことはあまり言われない。「世間からどう見られるか」という価値観のプライオリティは、日本のように高くない。日本人は、まわりにどう見られるのか、どう思われるかを異常に気にする。

まわりがどうこう言おうと関係ない

これも、「まわりがどうこう言う」という「世間」を意識している。海外にはそういう言い方はないだろう。そもそも海外では

まわりがどうこう言わない

2.個を立てる

かくも日本人は「帰属する社会」を求める民族である。帰属する社会のなかの「統制されたルール」に従うことで、安楽にすごし、安心して生きてきた。その「統制されたルール」に反すると、軋轢がおこり、窮屈になり、面倒くさくなる。だから日本社会のなかで生きていくうえで、自らの「精神的な自由」をおさえてでも、社会もしくは自らが帰属する集団における「統制されたルール」にすりあわせていくことになる。

時としてこういう人があらわれる。「どんな格好をしても、自由だろう」と真っ赤な毛に奇抜なファッションの大学の先生。「そんな格好をされたら、学生に示しがつきません」と大学側から注意されると、「どこにダメと書いてあるんだよ」と反論する。しかし明文化されていなくても、「それはダメ」という暗黙の統制されたルールが帰属する組織のなかに、厳然として存在する事柄が多い。

そもそも髪の毛を染めたり変わった服を着ようとするのは、なぜか?「個を立たせたい」のである。自分は他の先生とちがうということを目立たせたい。それを「個性」だと主張する。しかしみんながその格好をするようになったら、個が立たなくなるので、その格好をやめて、別の格好にする。

日本人で最初に洋服を着た人は、日本人のなかで「個を立たせる」ためでもあっただろう。明治維新で、文明開化となった。和装から洋装になかなか変わらなかった。そのため、明治政府は、明治天皇に洋装を着ていただき、官僚の制服、軍隊の軍服を導入した。そこから洋装が広がりだした。みんなが洋服を着るようになったら、初めに洋服を着た人は「個が立たない」と別のスタイルに変えた。
ファッション業界や広告代理店が常にユニークなもの、奇抜なものを求めつづけるのは、このメカニズムを活用している。

日本は帰属している社会のなかで「個が立つ」ことが差別化だと考える人が多い。みんなが「それ」をするようになると、「それ」が自分を表現するものでなくなる。自らの「個」が立たなくなると考える。だから他の格好をする。これこそ、日本人の「精神の不自由さ」を示す姿そのものである。

1960~70年代にフォークソングが流行した。それまで短かった日本の男性の髪の毛が長髪となった。ロン毛をなぜかヘアバンドでくくり、派手なチョッキにパンタロンというファッションで登場した。
彼らは「自由」を標榜したが、それは彼らのオリジナルではなかった。アメリカのフォークシンガーたちのファッションを真似たものであった。アメリカのファッションを知らない人からすれば、「個」が立っていた。なんだ、あのファッションは?と。日本のフォークシンガーたちは、「状態の自由」で主張したが、それは「精神的自由」とはいえなかった。

3.あなたは自由か?


日本人は、なにかしらの帰属を是とする

日本には、どこかに所属していなければいけない、だれかと一緒にいないといけないという「統制的なルール」がある。一人でいると、「あなた、変わっているね。おかしいよ」と見られたりする。

しかしどこかに帰属して、二人以上の集団にいると、自分の考え方と他人の考え方がぶつかる。とても窮屈だが、どこかで折り合いをつけないといけない。とても不自由。それは、117年前に書かれた夏目漱石の「草枕」の冒頭にも、如実に出てくる。

智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

夏目漱石「草枕」

かくの如く日本人の本質は変わらない。

欧米では一人旅は珍しくないが、日本では「一人で旅行してきた」というと、「すごいね」とか「どうして一人で行ったの?」とか「さみしくなかった?」とか「友だち、いないの?」といわれたりする。

一人で行動する人は奇人・変人のように扱われる。日本は集団のなかにいることが基本、集団で行動することが基本という社会構造である。1400年前の聖徳太子の「十七条憲法」の一条の冒頭に、「和を以て貴しと為す」がくる。人と人の和を大事にせよと諭された。以来、日本社会では、個人よりも集団・組織が大事だと教え、伝えつづけてきた。

では日本の自由とはなにか。

自由の字源は、自らに由(よ)る

ということ。つまり自由とは、自分で決められるということ。自由とは、自分がいいと思うことを判断できている状態をいう。

自由には、「状態の自由」と「精神的自由」がある。日本の自由主義は明治時代以来、「状態の自由」を開放しつづけてきた。しかし「精神的自由」はいまだ不自由である。「精神的自由」とは、自ら決めることができること、なにかをするときに自分の意志で決められることである。私たちはどれだけ自分の意志で決められているのだろうか。

「精神的自由」となることで、今まで考えなかったことが発想できるようになる。新たな変革が生まれる可能性が広がる。日本のイノベーション力の弱さは、この「精神的自由」のなさが起因しているともいえるのではないだろうか。


4.287本目のCOMEMOの最後に

退職後、なにをするのですか ?
40年間いた組織を出て、どこにも帰属しない旅に出る。これからどこを旅するのかは、これから考える。新たな旅をしながら、社会を見つめたい。

これまでの企業人の視座ではなく、どこにも帰属しない「社会文化研究家」という新たな「個」で、文化という切り口で現代社会を考えていきたい。

これまで日本社会の現在を見つめ、毎週、発信しつづけて、本日の投稿で288本となった。そのなかで多くの人々にお読みいただいたのは、次の5本。


この5年間の私の生活は、COMEMOを中心にまわってきた。288本、一所懸命にCOMEMOを通じて、企業人として得られなかったことがある。1万人以上の人々にフォローいただいたこと、企業のなかでは出会えない人々からのご意見・ご質問・ご感想をお寄せいただいたこと。これは望外の喜びである。企業人としての池永のCOMEMOは、本日が最後となる。長い間、お読みいただき、御礼を申しあげる。

企業人を卒業して、新しい旅に出る。旅の途上から、「社会文化研究家」池永COMEMOを発信していく。池永の新しいアカウントのフォローをお願いします。また新しい池永COMEMOで。

池永の新しいカウント



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