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「外部の目が有効」に頼り過ぎない。

どの国のどの分野でも「外部の目が有効」と言われます。特に、最近では日本の地方再生の文脈のなかでよく目にします。「岡目八目」といわれるように、内部の人がなかなか気づかないことを外部の人は気が付きやすいです。

モノに限らずノウハウやヒト(応援してくれるファンなど)も隠れた資産と捉え、地域を熟知した地元メンバーの「内部の目」で探していき、外部の目で客観的に評価していった。とかく1カ所だけを深掘りしがちだが、複数の資産を同時多発的に活用する重要性を説く。結局エリアを「面」でよくしていかないと「点」も改善しないのだ。

「外部の目が有効」はかなり普遍的に通用するフレーズでありながら、この見方にちょっと頼り過ぎていないか?と思うこともあります。上記の本は(読んでいませんが)、「内部の目」で素材を再発見し、「外部の目」でそれを評価するとあります。

だが、往々にして外部の目に発見してもらおう、という掛け声だけがよく聞かれます。内部の目への自信が不足しているのですね。

さて、ユネスコ文化遺産にもなっているイタリア北部ピエモンテ州ランゲ地方について、現在、以下のプログラムや他のリサーチ案件がありいろいろと調べています。

そのなかで「外部の目が有効」はアプローチの一つとして大切だが、往々にして「マーケット依存」に陥り、ローカルの人が意図したいこととは別の方向に行ってしまうなあ、と思ったのです。

ランゲ地方のプロジェクトがそうということではなく、逆です。ランゲ地方では別のアプローチが十分に機能しているから多くの違った文化圏に発信ができているのではないか、と仮説をもちはじめました

本記事では、ランゲに目をむけるようになった経緯を含め、この仮説を抱くに至ったエピソードについて書きます。

なぜ、ランゲに興味をもちはじめたか?

ランゲは世界の多くの人からバローロに代表されるワインやトリフなど、あるいはスローフード運動の発祥地として食文化の観点で注目されています。

1990年代の前半、ぼくがピエモンテ州の中心・トリノに住んでいた頃、はじめて「近くの田舎」として訪れたのがランゲです。友人の親族の家があり、セカンドハウスとして使われていたので友人の結婚式もあそこで行われ、丘陵地帯の風景には心を奪われました。

ランゲはいくつかの自治体をカバーしている名称で主にクーネオ県に入る

しかしながら、あの当時、ぼくがよく出かける田舎はトスカーナ州であり、歴史も風景もそれこそワインも食事もトスカーナの存在感は「イタリア初心者」にとって群を抜いていました。クーネオ周辺は地中海のリグーリアやフランスのコートダジュールにクルマで行くときの通過点であるのがおおよそだったのです。

スローフード運動がおこりはじめたばかりの頃で、新しいライフスタイルの提案として目を向けましたが、あくまでも、”そこそこ”です。ぼくのビジネスの分野では田舎のネタはトスカーナが主流だったのです(因みに、今世紀に入ってからの夏休みは、ウンブリアの田舎で過ごすようになります)。

その後、スローフードの団体が食科学大学を誕生させると、あの大学に留学してくる人たちを通じてランゲが語られますが、ぼくがスローフードに真正面から注目したのは、『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?: 世界を魅了する〈意味〉の戦略的デザイン』(2020年)を書くためにスローフードの取材をした時です。

そこで、運動当初のイタリア食材の輸出促進ではなく、21世紀になってからのコンセプト(ローカルの食文化をどう守り、どう経済的に成立させるか?のシステム)の普及に活動の重心を変えたところにスローフードの秀逸さがあり、ブランドの強さがあると知ったのです。

EUの中心地であるブリュッセルに何人かの食科学や政策のエキスパートをロビイストを派遣しているのを確認したのも、その時です。

6-7年前のことでしょうか。

ランゲの別の面を知ったことが、背中をさらに強くおす

2014年、ランゲはユネスコの世界遺産に登録されます。葡萄畑の景観が社会・経済・文化の全体的システムをよく表現している、といった趣旨です。即ち、ランゲの文化景観は農業が基礎にあります。

しかし、ぼくがランゲに肩入れを始めたのは、農業以外の領域と農業がうまく手を繋いでいるとみえたからです。それはまったく別のネタからスタートしています。家具デザインです。この経緯をぼくは下記の「復刻版をビジネスのコアにおく企業の存在感が増している - 「デザインプロダクト」を巡る旅で思うこと。」に書きました。

ラディカルデザインという前衛的な動きが1960年以降、イタリアにはありました。

例えば、Gufram(グフラム)という企業は冒頭の写真にあるような家具をつくってきました。1935年にサルヴァトーレ・ダリが描いたものをストゥディオ65というグループがデザインし、グフラムが1971年に商品化しました。

それが写真にある「ボッカ」という唇のかたちをした赤いソファーです。このグフラムを買収したのがランゲにある企業で、現在、グフラムの製品はランゲでつくられています。

また、1980年代、世界のデザイン界の話題をさらったメンフィスというミラノを拠点として国際的グループがありました。エットーレ・ソットサスが中心人物です。このメンフィスを買収したのも上記のグフラムを買収したランゲの企業です。ラディカルデザインの資産がランゲに集まりつつあるのです。

(メンフィスについては、「80年代イタリアデザイン「メンフィス」に光ふたたび」という記事を書いたので、さらなる詳細はこの記事を読んでください。)

葡萄園が続く景色とラディカルデザインが、頭のなかですぐには繋がらないですよね。でも、このラディカルデザインの会社を買収しているのが、下の写真にあるワインを入れる箱の形をしたワイナリーL"Astemia Pentitaのオーナーです。かなり目立ちますね。

L"Astemia Pentita . Barolo

このオーナーはアルコール飲料を飲んでこなかった人で、ブランドの意味は「後悔真っ只中のノンアルコール派」といったところで、そうとうに奇妙な名前です。サイトのなかをみればわかりますが、かなりアートを意識しています。

オーナーは産業資材の大手メーカーの創業家族であり、現オーナーは文化、アート、デザインに造詣が深く、まずワイナリーをはじめ、10年くらい前、デザインの世界に進出したのです。

最初、ぼくはオーナーの個人的趣味がインテリアデザインに導いたのだろうと想像しました。だが、それだけでは説明しきれない部分がある、と思い始めたのです。それが前述した仮説とつながります。

ランゲは文化的レイヤーに対する感度の良さがある

メンフィスはデザインの新しい言語をつくる挑戦をしました。以下のミケーレ・デ・ルッキのデザインも表層材メーカーとのコラボレーションに基づいています。このメーカーとの協業がなければ、メンフィスが成立していたかどうか怪しいです。

ミケーレ・デ・ルッキのFlamingo@Memphis Milano

実は、表層材メーカーがAbet Laminati という、やはりランゲに工場がある会社なのです。戦後にできたメーカーで、この会社の博物館にある年表をみると、メンフィスを主宰したソットサスは1960年代半ばに既に同社を訪問しており、その頃からこの表層材の活用を探っていたことになります。

メンフィスに限らず、Abet Laminatiはイタリアデザイン史に大きな貢献を果たしてきたのですが、オーナーがデザインに関心がある、近くにコンポーネンツメーカーがあるだけでは、ランゲでラディカルデザインの拠点をつくるには背景として弱いのではないか、と想像します。何か、もっと確信を支えるものがあったのでは、と。

ランゲは戦前は農業以外の産業はほぼなかった貧しい地域です。そこにAbet Laminati、菓子のFerrero、競技場の床材などスポーツ施設資材でリードするMondoなど多くの企業が誕生します。日本でも知られるチョコレートのVenchiが生れたのも、このエリアです。

それで一つの仮説を思い描くのですが、ランゲにはあることを文化的レイヤーに持ち上げる、あるいは文化的レイヤーで通用する言葉に翻訳する事例が豊富であり、これがラディカルデザインの拠点しようとする背を押している、と考えられないだろうかと思うのです。というのは、上述したような成功した実業家たちが財団をつくり、文化振興にエネルギーを使っています。

イタリアの他の地域でもイタリア以外のどこの国でもある現象ですが、規模や産業の歴史のなさと比較して、ランゲは文化振興がとても充実しています。Ferreroの財団の活動だけでなく、他にもいろいろとあります。ジャズフェスティバルもあります。このような文化土壌だから、大きなベンチを世界各地に設置しようとのプロジェクトがランゲに生れることが不思議ではありません。

BIG BENCH COMMUNITY PROJECT (BBCP)

これはランゲに住む米国人デザイナー、FIATにもいたBMWのチーフデザイナーだったクリス・バングルの意思ではじめたものです。そして、ランゲのワイナリーがコラボをしているのです。

こうしてみてくると、スローフード運動がこの地で生まれ、そのコンセプトが世界に広まる様を近くでみてきたことも各プレイヤーの判断に役立っているでしょうし、スローフード運動も、このような文化土壌でもまれることで考え方が洗練されてきたと想定できます。アペリティーボを楽しみながらの雑談でそうとうに「ものがみえる」はずです。だから、ユネスコの世界遺産に文化景観として登録することもできたのでしょう。

グフラムやメンフィスのオーナーが、ラディカルデザインの拠点としてやっていくに十分な人材も揃えられると読んだに違いないです。

「外の目」が不要ということではありません。とても大切です。しかし、それだけで生活する自分たちが豊かになれる環境ができるわけでもありません。やはり、内の目、自分自身の目が起点にあって、外の目を参考にするのが適当です。そして、たまに外の人は内の人になるークリス・バングルのように。

先に紹介した「イタリアのデザインとテリトーリオの関係を探る旅―生き方とビジネスへの立ち向かい方に迫る経験とは?」で、「テリトーリオは都市と農村の関係、自然、文化、社会のアイデンティを包括する空間です。つまり、イタリアには人の生き方とビジネスを結びつけるための空間的リファレンスが強く存在する、と表現してよいです。」と書きました。テリトーリオは、内の目と外の目をバランスよく取り入れるによい概念かもしれないです

こういうことも頭にいれながら、今月後半、ランゲで少し遊んできます。


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