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坂の上の雲から50年―さまよう日本はどこに行く(下)

日本は「坂の上の雲」をめざした。1968年から1972年の4年間、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」が産経新聞の夕刊に1296回連載された。明治維新から日露戦争までの40年間の明治日本の軌跡を描いた。艱難辛苦、臥薪嘗胆、苦心惨憺、刻苦勉励、車蛍孫雪、千辛万苦などの四字熟語が時代の空気として違和感がなかった。当時の日本のモデルは明確で、モデルを真似て、モデルをめざしていればよかった

坂の上の雲

は、明治時代の国家目標を捉える言葉として的確だった。そして「坂の上の雲」という小説のタイトルは、敗戦後、復興したのち、米欧に追いつけ追い越せと、邁進、驀進、全力疾走する日本の時代空気にも相応しかった。毎年毎年右肩上がりで計画目標を達成して

モデルに追いつけた…
と思ったら、モデルはそこにいなかった
それから彷徨っている


1 モデルがなくなった

明治時代には、モデルが山ほどあった。どの分野にも、明治日本のモデルがあった。鉄道、金融、繊維、紡績業にあった、農業にあった、水産業にあった。ありとあらゆる技術分野に傑出したモデルがあった。クラーク博士がBoys, be ambitious (青年よ、大志を抱け)といって、銅像ができた

そのモデルに追いついた

現代日本で、潜在能力をもった人材や企業のポテンシャルの花を開かせろと言われ、ではどこを、誰をめざしたらいいのか?めざすべきモデルはあるのだろうか?と考えたとき

多分、見当たらない

現代の日本人が戸惑うのは、大リーグの大谷翔平選手を筆頭に、オリンピックやサッカーなどいろんなスポーツで、日本人選手がトップで活躍していることである。その世界でトップにいるということは

その上がないということ

大谷翔平選手の年俸はMLBダントツ1位になった、スケートボードで日本の10代の若者たちが金メダルをとった、スタジオジブリがカンヌ国際映画祭で名誉パルムドールを授与された。多くの分野で最高峰に立っている。そうすると、今、ポテンシャルのある人が、大谷翔平選手をめざすぐらいの頑張りではダメになった

2 世界のトップに普通に立っている

大谷翔平選手は世界を極め、アメリカ・欧州・アジアから世界中から尊敬されているが、日本人の肌には、誰かをモデルにして、そのモデルに追いつこうと、一所懸命に頑張って、上に登っていくという物語があう

NBAのレベルが高い人たちに追いつこうと、寡黙で世界のなかでストラグルしている八村塁選手の姿に、日本人は感情移入する。サニーブラウン選手が、アメリカで頑張って100メートルを走っているが、めざす世界は上に多くいて、なんとか追いつこうと頑張る姿に、共感を覚える。しかしそういう物語ばかりではなく、風景が変わった。20年前30年前に比べ

世界・領域のトップに
日本人がいるようになった

中国に負けて悔しがる卓球女子も、そう。早田ひな選手、平野美宇選手、張本美和選手が出てきて、これまで何十年も勝てなかった中国の実力者を撃破して、世界の卓球の第一線に、日本人が普通にいるようになった

今までならば考えられなかったことが
起こっている

3 追われる日本

このように多くの世界・領域で、日本は表彰台のてっぺんに乗っている。逆に、その分野で追われることになって、自らがめざすものがなくなっている

コンテンツ産業もそう。日本のマンガとアニメは、世界中でとてつもない巨額の金を動かして、日本は世界中からマンガ・アニメの聖地巡礼先となった。しかし日本のなかでの漫画やアニメの国としての位置づけは昔のままで、世界は日本をモデルに追いつけ追い越せの怒涛の嵐となっている

立ち止まっているうちに
世界から追われている

日本には世界から目を見張られるような傑出したパフォーマンスを発揮するマンガとかアニメのクリエーターがまだまだいるが、韓国や中国やヨーロッパから登場しはじめている

スタジオジブリとか傑出したクリエーターがリードしているが、その人がいなくなったらどうなるだろうか?手塚治さん、鳥山明さんが亡くなった。誰がその名跡を引き継ぎ、世界を牽引できるだろうか?

世界が日本を追いかけている。中国や韓国のアニメコンテンツのレベルアップはすさまじい。日本よりも、新たな技術や手法を編み出し、極めてクオリティが高い作品も生まれている

並び立つなかで、競争している

ある意味、でき上がった社会の中の横並び競争で、その競争のなかでだれが一番かを争う時代になったといえる。明治維新もそうだったし、戦後1960年代70年代の高度経済成長期には

追いつくべきモデルの目標は
高いところにあった

モデルのやり方を徹底的に学び、真似して、一所懸命、寝る時間を惜しんで努力しても追いつけないくらい、とてつもなく高い目標だった

それが、なくなった

そうすると、ポテンシャルが高い人がいても、そのポテンシャルを発揮するジャンル、場所が見当たりにくい、頑張る方向が分かりにくい

そんな日本の現在地である

4 日本の課題は生産性

人の数だけ、仕事がある。それが人手不足となっている。人口減少・高齢化で、働く人の数が減り、仕事をする人が減ると、社会的な生産性、労働生産性はさがる。そもそも生産性の「生産」とはなにか?

生産とは、お金を産むこと
お金にならないものは、生産とはいえない

だから生産性が下がると、税金が取れなくなる。税金が取れないと、社会投資などの分配ができなくなる。だから社会において尊いのは

お金をうみだすこと

高齢者が生産しなくなるとお金を生みださないが、高齢者が社会にできることがある。高齢者は市場で金を使うことで、経済を動かせる。しかし現代日本において、高齢者の消費経済が大きい。その高齢者人口も、いつか減る。彼らが消費するお金が減ると、市場は減る。

だからお金を生みだすためには、生産がどうしても欠かせない。どうしたらいいのか?その答えはこう

人口減少・高齢化のスピード以上に
若者や中堅層の生産性を上げないと
高齢社会はのりきれない

北欧の国は高い税金を取っていても、人が幸せに暮らせているのは、北欧の生産性が高いからで、高齢者が急増して北欧ほど税金をとっていない日本の生産性は低い。現代日本の課題は、高齢化というよりも

現役世代の生産性が低いことのほうが
はるかに重大

生産性を上げる手立てが少ない。戦略的に輸出できるものが、減ってきている。漫画とかアニメに補助金を出さないといけないと検討しているうちに、世界、とりわけアジアに追いつかれようとしている

高齢化も、団塊の世代が抜けたら、今度はいきなり人口がどんと減ることになる。しらけの世代が抜けたら、さらにぐんと減る。団塊ジュニア世代も抜けたら、さらに減る

現代日本が困難に直面しているのは、 団塊の世代やしらけの世代が高齢化して、生産力が下がって、税収がさがる。だから増税をしなければならないという文脈であるが、それよりも税金を払っても人々が生きていけるように

生産性をあげる

生産性が上がらないのは、DXや生成AIの取り組みに遅れているからだけではない。現代世界に選択される仕事をしていないからで、いままでのやり方が通用しなくなっているからである。自分たちがどこにいるのかが見えていないからである

世界のスピードを理解していない
世界での立ち位置を認識していない

日本は世界でのランキングがさがっていることは、頭では理解しているが、心の中ではいまでも世界の上位にいると思い込んでいる。だからランキングが上がっている国がどんな国で、その国々がどんな戦略をたて実行しているのかを確かめようとしていない

東南アジアやインドがのびているのは、生産拠点が集まっているばかりではない。各国、精緻な戦略がある。北欧がのびているのは、なぜか?どんな商売をしているのか?それをつかもうとしていない

日本に、モデルがなくなったのではない。いままでのモデルがモデルではなくなったのであり、いままでモデルと思っていなかった国、企業、人がモデルとなっているはず。なのに

日本はモデルとみていない

もういい加減、自分がどこにいるのかに気がつかないといけないのではないか?

本年1月から開催してきた「未来を展望して、未来を開拓するための戦略を考える」セミナー(5月22日(水))も、本日で最終回となる。AI専門家の大阪大学の八木教授と東京大学の大澤教授と、社会文化研究家の池永の徹底討論。まだ少し空席があります


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