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どっちから見ている?―未来社会はどうなる(中)

どっちを向いているのだろう?
どっちに立っているのだろうか?
ライドシェアというビジネスのカタチは、世界では決して新たなものではない。世界では普及している。しかし日本は世界とは違うのだ、日本には日本のやり方があるのだと、日本独特の「日本版」ライドシェアがはじまる

また日本特殊論がまかり通る


1 見ている風景が違う

見ている風景が違う
自分から見える風景、自社から見えている風景、お客さまから見ようとしていないが

大切なのは、お客さま

生活、仕事をするうえで、移動は重要。お客さまが、なにに困り、なにを考え、どうしたいと思っておられるのかを、つかめているのだろうか?

鉄道の本数が減り、バスの本数は減り、タクシーはなかなかつかまらない。ちょっとした距離ならば歩いていけるが、高齢者はそんなに歩けない、交通難民、買い物難民、医療難民が増える。高齢者だけでなく、若者もそう、ファミリーもそう。マイカーの所有が減り、レンタカーが増えているが、移動したいときに移動できない。不便である。日本版ライドシェアの議論で見えないのは、これ

地域のお客さまで、おこっているのか?

これまでの常識や先入観やではなく、お客さま視点で考えたら、地域のなかで、社会からなにが求められているかは明らかであるが、多くの企業はそれが見えていない

自分たちから見える風景を見ている

2 人口減少で、消える場所と消えない場所

国土交通省

これまで「人は増えていくものだ」ということが常識だった。それが日本史だった。それが、いま生きている日本人は「人は減っていく」という、これまで経験したことがないことを経験している

逆回転が始まっている

これから、日本で、どんなことがおこっていくのか?生成AIに問いかけると

2025年:介護人材が全国で37.7万人不足
2033年:全国の3割が空き家
2040年:女性の平均寿命が90歳まで上昇
2040年:人口の3割が高齢者
2065年:高齢者1人を1.3人が支える

そんなありきたりの答えを出してくれるが、人口が減ると、まちやむらが消えるというように言われるが、直接はそうはならない。日本全体で人が減っても、人が増える場所もあれば、減る場所もある。なにが違うのか?

それを分けるのは、移動

人が歩いていける範囲には、限界がある。交通手段がなくなると、移動範囲が狭くなる。交通難民となり、買い物難民となり、医療難民がおこる。移動の自由が減っていくと、自由に動けなくなり、外に行きたいときに行けなくなる。すると、そこには住んでいられないと、人が減っていく

3 目的がなくなった場所は、いつか消える

まちやむらを成立させる理由がある

目的のあるところは、残る
目的がなくなったら、消える

たとえばアンコール・ワット、モヘンジョ・ダロ、敦煌。たとえば平城京、難波宮、長岡京、鎌倉幕府が、どこにあったかが分からない。目的がなくなれば消える

鎌倉幕府がどこにあったのか、正確には分からなかった。飛鳥京もそう、平城京もそう。最近になるまで、どこにあったのか、分からなかった。難波京も、昭和までどこにあったか、分からなかった。たとえその時代において日本の中心だった場所であっても、その機能・役割がなくなれば、人々から忘れられる。それは、日本だけではない、世界も同じ。「必然性」がなければ、場所だけでなく、人々の営みも、行事も、風習もすべて、みんなの記憶から消える

時が経てば、なにも残らないものばかりではない。時が経っても、残るものもある。残る、残らないものの違いはなにか?

それに、「必然」があるかないか

note日経COMEMO(池永)「ことばをいい加減にしたらあかん — ビジネス実践編④」

目的性がある限り、人は集まる
必然性がある限り、人は集まる 

都市が必要とされるならば、都市化する。都市に集まる目的を求めて、人が集まる 。都市とは、3つの条件がある

 ①経済性(集積の経済)
 ②匿名性(誰にも邪魔されない)

 ③出会い性(いろいろな人に出会える、事業機会がある)

4  都市という空間はない

都市という言葉で、多くの人が勘違いしていることがある

「都市という空間」があるのではない
集積の経済が働くのが「都市」である

集積の経済が働かない都市は、持続できない。「都市という空間」を前提とするまちづくりは間違っている。だから失敗する。そうではない

都市とは、「集中の経済」が働くもの
人が集まる仕組みが機能することが前提

・街も村もない荒涼とした標高1,100mの高原地帯に人工的につくったブラジルの首都ブラジリアは、計画通りには成長していない
・ギャンブルのまちから、エンターテイメントのまちに変貌して、発展しつづけるアメリカのラスベガス

たとえ人工的につくったまちであっても、人が行く目的があれば、人が集まり住み、衣・食・住・学・遊に経済性がつき、自立できたら、都市は動き出す。

5 都市と郊外の構造変化という地殻変動

コロナが5類に移行してから、テレワークから出社スタイルに戻れという流れが強まっているが、その戻ってこいというワークスタイルは、前のワークスタイルか?そうではない

元ワーク(集中ワーク)
↔テレワーク(分散ワーク)

という対立構造で捉えてはいけない。テレワークは 「仕事はどこでもできる」という示唆をもたらしたが、自分らしく「新たな働生き方」をしたい、仕事と生活を通じた成長を実感したいという価値観を持つ人が増えた

佳く生きたい(Well-Being)

コロナ禍で緊急的に始まったテレワーク体験は、働き方の価値観、人々の時空間を変えた。それが、1960年から2020年まで60年つづいた日本的サラリーマンスタイルの崩壊を加速させた

満員電車で通勤して、みんなが会社に集まって、みんなでランチして、みんなで居酒屋で会社・上司の悪口を言いあう。そんな非生産的なスタイルには戻りたくない

時間がもったいない

通勤はいやや—オフィスにオンラインでつないで、家で仕事をする、家の周辺で過ごす。ときどき都心の会社に行く。ときどき都心を楽しむ。だから家は都心もしくは100㌔圏内に構えて、テレワークする人がすこしずつ増えている。ゆっくりと「都市と郊外の構造」が変わっていく

家を中心とした
30分圏社会が生まれつつある

30分圏社会とは徒歩や自動車による30分の移動圏であり、もうひとつは電車による30分の移動圏である。電車による30分の移動圏とは、往復1000円以内の行動圏であり、往復1000円以内とはランチの値段内である。この電車による30分圏社会はコロナ禍以降に拡がっているが、コロナ禍前からも地殻変動していた

6 あなたは、どこで、どう働くのか?

そうなると、仕事はどうなる?
フリータイムとなりジョブ型になる。そうなると、働く人への評価が変わる

終身雇用制や年功序列はすでに崩れつつあり、評価は将来の期待評価ではなく、現在価値で評価されつつある

現在、どんな仕事で
組織に貢献しているか

そのためには、現在の生産性や創造性を高めないと生き残れない。自由自在にAIを駆使して仕事をする人が増えていくと、どうなる?

自分が好きなところで働きだす
そうすると、東京の都心に住む人は減りだす

7 東京は、どうなっていく?

明治維新以降に、戦後以降も、東京に憧れ、東京に行きたい人は多くいた。しかし住みにくくなった。東京の物価は高くなり、地代負担力があがると、都心では住めなくなる

東京はコスモポリタンに向かう

ニューヨークやロンドンやシンガポールのように、東京は世界からビジネスパーソンが集まり、日本人以外の人が活躍する場所となっている。その場所は国際化ではなく、強い人が生き残る場所となろうとしている

東京一極集中
世界でも特異なくらい
巨大都市東京への機能集中が進む

今年は、関東大震災から100年
有事が起こったら、東京は大丈夫だろうか?
大丈夫じゃないと思っているから、大丈夫にしようと社会投資している

13年前に東日本大震災を被災した。当時、私は東京でエネルギー制度に関わる仕事をしていて、事務所と経済産業省と永田町を往復して、エネルギー危機の最中の3週間を経験した。その経験からエネルギーの政策、国土強靭化計画、多くの事業継続計画の策定やレジリエンス体制整備に関わった。本気で有事を想い、お客さまの生命を考えて対策しようとした一部の人・企業と、そうでない多くの人・企業に分かれることに気づいた

©ikenaga.hiroaki
©ikenaga.hiroaki

有事は起こらないと思っている人が実際は多い。そう思っていないと、東京には住めないだろう
 
しかし現在の東京に2011年3月11日クラスの有事が発生したら、デジタル化・DX化・AI化に伴う急激な電化シフトによって脆弱性が高くなり、東京の都市・産業インフラ・機能への影響は甚大である。少なくとも東日本大震災以上の損害となる可能性が高い

だから有事が起こっても大丈夫にするよりも、東京に過度に集中している機能を分散したらいいのに、そうしなかった。世界でも稀なほど東京一極集中という国土構造の現在的危機・リスクを、多くの人が認識しているとは思えない

それがコロナ禍を契機に、流れが変わりだしつつある
オンライン化・テレワーク化は、場と時間の構造をゆっくりと変えつつある。日本を守るために、東京圏一極集中から地域圏ネットワーク構造へと、戦略的に変えていかねばならないが、これからどうなっていくだろうか?

次回、未来社会はどうなる?の最終回


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