迷子のニッポン。現在、どこにいるの?―未来社会はどうなる(上)
迷子になっている。目をきょろきょろしている。
現在地は、どこだろう?どこにいるんだろう?
コロナ時代4年目の現在、なにがおこっているのだろう?これからなにがおこり、どういう社会になろうとしているだろう?その未来に向けて、どう考え、どう行動していけばいいのだろうか?そんな未来は予測できるのだろうか?
未来は予測できない
1 はじめての道を、夜中に濃霧のなかを車で走っている
未来は、予測できない
未来を予測するとは、はじめての道を、夜中に濃霧のなかで走る車のヘッドライトのようなもの。何メートル先の前方を見ることはできるものの、何十メートル先は見えない。右や左や上や下、全体の状況がつかめない。前を走りながら、前から次々とあらわれる危険を避け、それぞれに対処して、自分が見えるものを頼りに、目的地にたどり着こうとするようなもの
まさに海図なき航海である
未来にどう臨めばいいのか?
なによりも大事なことがある。まず自らの視界が限られていることを認識しないといけない。大きな障害物やガードレールやカーブや溝や谷に備え、自らが認識できる限界にあわせて、車のハンドル・スピードを調節して、臨機応変に対応する。自らの五感をフル活用して走る。そうしないと
ライトを消して車を走らせ
事故をおこしてしまう
構造的に社会は大きく変化していこうとしている。にもかかわらず、いままでどおり、これまでのやり方でなんとかなる、うまくいくと信じて、失敗してしまうようなもの
過去の事実が未来予測に影響する
現在の事実を受け入れないと
未来は予測できない
2 コロナ禍で変ったこと、元に戻ったこと
一年ぶりに、東京の吉祥寺に行った。街は、まるでコロナ禍の3年がなかったかのようだった。しかしコロナ禍前の吉祥寺を歩く人の行動は同じではなかった
コロナ禍の 「禍」 とは、どういう意味か? 同じ「わざわい」と読む「災」は、壊れたモノは直せる、無くなったモノはつくり直せるという意味があり、「禍」 とは無くなったモノは元に戻らないという意味がある
コロナ禍が収束しても
元には戻らないことがある
コロナ禍を契機に、それまでに機能不全していた事柄がリセットされ、新たな事柄に変わり、次に向けた再構築が進もうとしていることがある。一方、コロナ禍前から、ずっと変わらない事柄がある。それが、重なっている
物事には、変えてはいけない事柄と変えなければいけない事柄があるが、人はそれを峻別できない人が多い。時間軸のなかで、物事を一面的に捉えがちな人が多い。人には三種類の人に分かれる
過去を懐古する人
現在を生きる人
未来を夢見る人
しかし現在には、古いことと新しいこととが混ざっている。では、2024年の現在地をどう捉えたらいいのだろうか?一言でいえば
混 沌
ごちゃごちゃしているようなイメージがあるが、そうではない。「混」とは水が流れて、丸くまとまっていく様であり、「混沌」とは次のカタチ・枠組みに向けてまとまろうとしている様をいう。決して悪い言葉ではない。しかし、その次のカタチ・枠組みを展望しないといけない
3 どっちが本当?―どっちも本当
出社回帰で都心のオフィスが活況―本当にそうだろうか?
こんな情報もある―住宅地は都心マンション価格の高止まりやテレワークの定着もあり、郊外に上昇地点が広がっている
どっちが本当?どっちも本当
コロナ禍前とコロナ禍の3年間と昨年5月からのコロナ5類以降の時代経験が混ざっている。これからの社会を考える論点はこれ。現在に織り重なっている時代の流れのもつれをほどき、構造化して、考える。現在軸を読み解いて、現在地を捉える
コロナ禍が始まった際、社会がどのように変化していくのかという社会の構造変化(メカニズム)を下図のように考えた。これまで、国や自治体も、経済団体も企業も、この図の右から左に考えようとしてきた
都市は、地域はどうなる、どうする?
産業は、経済はどうなる、どうする?
その答えはでなかった。課題は解決しなかった。価値創造できなかった。技術の位置づけも、違っていた。技術が、社会を、産業を、経済を変える―そういう面もあるが、そんな単純なものではなかった
2020年に、コロナ禍となった。コロナ禍を契機に、価値観が変え、価値観がスタイルを変え、時間と場を変え、その変化に技術と文化が影響を与え、その結果として、都市・地域・産業・経済を変えていくのではないかと考えた。左から右へと、社会は構造変化していくものと考えた。現実、社会は
左から右に変わりつつある
とりわけ、コロナ禍を契機とした最大の変化はなにか?と問われたら、私は、「間」—関係性の変化であると答える。なぜか?
多くの人は、そう捉えていない。人は見えるものは見ようとするが、見えないものは見ようとしない。たとえば、【会社と家庭と近所】とか【都市と郊外と地方】など、関係性を大きく変えつつあり、ビジネスを変えようとしているのに、多くの人はそう見ようとしない。不思議に思うが、みんな、前のまま、いままでどおりに、見ようとしている。人は見たくないものは、見たくない
関係性の変化が、社会を大きく変えているが、多くの人はそう考えていない、そう行動していない。その差は、とてつもなく、大きい
4 都市のなかの広場の孤独
では、具体的に、これからの社会はどう変わるかを考えていく。その未来を展望するうえで、3つのドライバーがある。移動革命、選択と集中、そして、場と時間の構造変化の3つのドライバーがある
コロナ禍を契機に変わった最大の構造変化はこれではないか?
それまでの輸送技術の進歩がヒト・モノの物理的移動革命をおこし、時間の構造を変えてきた。それがコロナ禍を契機にIT・デジタル技術の社会実相が加速したことで、「場」と「時間」の構造が変化した。DX,メタバース、5G、生成AIで、さらに場と時間の構造を変えていく
変化の流れは先の社会の構造変化のメカニズムである。
コロナ禍を契機としたテレワークが、価値観を変え、ライフスタイルとビジネススタイルを変え、時間・金の使い方を変え、それが都市と郊外・地方の構造を変えていく
このように 、まちは変化しつづける
「朝夕の満員電車」のワークスタイルから、「通勤時間のない」オンライン時代の職住一体・職住接近・多拠点スタイルに移行しつつある
このように、都市と郊外と地方の構造が変わる。こうして、郊外は、寝るだけの住宅街から、暮らしながら働く街に変貌していく
では都市はどうなる?
高齢者は増え、単身者が増えていく。その人口構成も、都市を変える。これからを考える論点は
人と孤独
人は人がつながる場所を求めるが、人が集まる広場には孤独がある
戦後、1951年に芥川賞を受賞した堀田善衛氏は、戦後混乱期の孤独の本質を「広場の孤独」として社会を捉えた。宮崎駿氏は、堀田善衛の「広場の孤独」という生存様式を『風の谷のナウシカ』(1984)と『天空の城ラピュタ』(1986)にて表現した
それから40年後、これからの都市はどうなる?その都市を読み解くキーワードがある
新たな広場の孤独
この新たな広場の孤独を軸に、未来社会を考えていく