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倹約は美徳ではない「個別最適は全体最適にならない」

「お金が貯まらないのは無駄な消費をしているからだ」的な論法は、個人的には諸悪の根源だと思っていて、以下の記事にあるようなのは本当勘弁してもらいたものである。

コンビニで買うのは経済的合理性のない頭が悪い奴だとかいう輩もそうなんだが、全体的に金を使わない事が賢いわけではなく、むしろそれが消費低迷による経済環境悪化を招いているわけで。

別に「浪費しろ」と言っているわけではない。ない袖はふれないというのも仕方ない。が、使える金があるのにチマチマ節約して金を貯めることはミクロの個人や世帯単位でみれば文句を言う筋合いではないので勝手にすればいいが、それをマクロ的に全体にいきわたらせると全員が死ぬということは理解した方がいい。個別最適は全体最適にならないという話。

だいたい、使わない金を貯めてそれが一体何になるのか?
遺産の相続人がいないなどの理由で国庫に入る財産額が2021年度過去最高の647億円にもなっているらしい。20年前から6倍増だ。

https://www.asahi.com/articles/ASR1N4VWKR1HULFA00H.html

そんな風潮だから、本来もっとも消費性向の高い若者が消費をせず、貯蓄率が最大になるとかいうわけのわからないことになる。

ただでさえ高齢者は消費しないのに、若者まで消費しなくなったら終わりでしょう。

江戸時代にも倹約を美徳とし遊興に金を使うなんて悪だとか言って消費行動をキャンセルしようとしたバカ殿がいる。松平定信とか水野忠邦とかいうアホ老中がそれ。百歩譲って、それが公儀の経費削減や大奥のムダ金をなくすという政治の方面での対応ならいいのだが、それを庶民にも押し付けるのは筋が違う。そのせいで経済が停滞し、庶民がより一層貧困に苦しんだわけで。

特に、松平定信は「正義の人」である。当時の江戸幕府において、儒教(朱子学)的なことが絶対で、乱暴にわかりやすくいえば「道徳的に正しいことをすれば世界は良き方向に向かう」という考え方だ。今でいえば、さしずめポリコレ的なことだろう。
だからこそ定信は「商いは詐なり」とまで断じて、徹底的に商行為そのものを蔑んだ。もはや米本位制や重農主義では立ち行かないレベルの経済環境になっていたにもかかわらず、そんなことを言ってるのが老中(今でいえば首相)なのだからどうしようもない。

定信は、本人も相当ストイックなところがあり、「房事(性行為)というものは、子孫を増やすためにするもので、欲望に耐え難いと感じたことは一度もない」と言ってるのだが、そら自分がそういう姿勢でいることは勝手にすればいいが、だからって庶民が快楽のためにセックスをすることにいちいち目くじら立てるものではない。欲望にまで倹約すすめてどうする?

定信がやった愚策のひとつに、当時混浴が当たり前だった銭湯に「混浴禁止令」を出したこと。風紀が乱れるからだそうだ。混浴なら風紀が乱れるというその発想自体が「お前が煩悩まみれなんじゃないの?」とも言いたくなる。

とはいえ、老中の命令なので江戸の銭湯は銭湯は男湯と女湯との間に間仕切りをしたりして対応していたのだが、それにクレームをつけたのが女性の方である。理由は別に「男の裸が見れないじゃない」というものではなく、「狭い」というものだ。

結局、定信が失脚するとまた混浴に戻った。しかし、また前述したアホ老中の水野忠邦が混浴禁止令を出して、庶民の不満がまた募ることになる。

結局、日本において男女混浴が大体のところで統一されたのは(地方の温泉では今でも混浴はある)、明治維新以降のことである。

これも面白い話があって、明治以降日本に来日した西洋人が日本の混浴文化を野蛮だと非難。その外圧に屈した形で、兵庫県知事は混浴禁止令を出すのだが、「入口が別なら中は一緒でいいよ」というゆるやかなもの。そのお触れを出したのが後に初代総理大臣になる伊藤博文である。

話がズレたが、他にも、定信は言論統制、出版規制を行い、そのためにそれまで活況を呈していた浮世絵文化や黄表紙などの洒落本文化が大いに打撃を受けることになる。喜多川歌麿、葛飾北斎、曲亭馬琴、十返舎一九、写楽などを世に輩出した江戸の名プロデューサー蔦屋重三郎も処罰されている。

水野忠邦はもっとひどくて、寄席や歌舞伎の禁止、茶屋の規制までやっている。徹底的に庶民の娯楽を禁じようとした。特に歌舞伎に対しては熾烈で、市川團十郎の江戸追放、役者の生活の統制などもしている。今でいえば、芸能人の仕事剥奪、国外追放をしたようなものである。

そんなことをしたら、庶民にとって消費をする場がなくなるわけで、当然経済が停滞するに決まっているし、生活を楽しむ遊びもなくなってそれこそ景気(民の気持ちの景色)が悪くなるだけだ。

そもそもなんで定信が老中になれたのかという話は、一般的に天明の大飢饉の折に定信の白河藩だけは餓死者を出さなかったというのが評判となって推挙されたといわれているが、一地方自治体の首長として成果をあげたからといって、そのまま国全体のマクロで通用する話ではない。経済は循環しているものだからだ。
そもそも白河藩が餓死者を出さなかったのは、日本中から米を買いあさり、自分の領民は救ったかもしれないが、その買占めのせいで米価格が暴騰し、他の藩が買えなくなったという事情もある。

結局、定信は6年で失脚するわけだが、それは庶民だけではなく、旗本などの武士や大奥からも嫌われていたので当然だろう。自分が正しいと思い、自分に厳しい人間が上司になると単なるパワハラ野郎にしかならない典型のようなものだ。

もちろん松平定信がやったことのすべてがダメではない。が、ウィキペディアで偏って絶賛されるほどの有能な政治家ではない。当時、外交も含め、大変化の兆しがあったことに気付けず、復古的な政治をしようとしたことが大間違いだし、自分こそが正しいと思う人間がリーダーになると最悪なのだなと痛感する。

ちなみに、倹約令というか奢侈禁止令はつい80年ほど前にも出されている。戦争に向けて国家総動員法が出された時だ。「ほしがりません、勝つまでは」などと節約生活を余儀なくされた。今も社会保障費のためにと、増税を余儀なくされているが、あまり戦前と雰囲気は変わらないのじゃないかと思う。


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