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「変化」のために必要なルール化。その3つのポイント

お疲れさまです。メタバースクリエイターズ若宮です。

今日は、前回の「イノベーションのジレンマ」にも関わることなのですが、変化を促すためには時にはルール化も必要、というお話を書きたいと思います。


変化を促すルールづくり

先日、大丸有SDGs映画祭というイベントでゲストとして浜田敬子さんとお話したのですが、その時にも変化を促すためのルールづくりの必要性について改めて考えさせられました。


ジェンダーエクイティやダイバーシティ、SDGsに取り組む中では、旧来の制度や資本主義の構造を変えていく必要があります。

日本は、ジェンダーギャップ指数では先進国中で最下位レベル。政治や経済の面での遅れが顕著です。その中で変化を起こすには男女の比率を決めたクオータ制など、ルール化することが必要と感じています。

「ルール化は息苦しくない?能力主義なんだから決めるのは逆差別」などの意見もありますし、賛否両論があると思います。ただそれでも、特定の変化を促すためにはルールが必要だと僕は考えています。

浜田敬子さんは多くの企業の取り組みに詳しいので、トークでは企業でのルールの実例についても教えて下さいました。そしてルール化することで(やっと)変化が起こり、その結果として成果が実感されはじめています。

僕自身、女性の比率が1/4を超えていないイベントには参加しない、というルールを定めたところ、予想外に大きな反響をいただきました。

ルール化した結果として登壇の依頼をお断りしたり、他の登壇者をご紹介したことも何度もあります。またそれだけでなく「こういうルールにしていて…」というと主催者側で企画から練り直していただけたり、登壇者の比率を見直してくださることも沢山ありました。これもルール化したからこそで、ルールにしていなければ、変化のきっかけとはならなかったのではと思います。


①目標ではなくルールにする

変化をもたらすためのポイントとして、「目標」ではなく「ルール」にしたほうがよいケースがあると思ってます。

たとえば2020年に管理職比率30%を達成しようという目標が設定されていたにも関わらず、ざっと10年先送りされました。

努力目標では変化は起こりづらい。なぜなら人間にとって変化には大きなエネルギーが必要で、現状維持の方が楽だからです。

たとえば企業内でも、新しい事業や取り組みは優先度が低くなりがちです。 新規事業をしている人たちは多少目立つように思われるかもしれませんが、実際のところ、会社のリソースやパワーバランスは既存事業に集中しています。その結果、コンフリクトや優先順位の競合があると新しい取り組みよりも既存の事業の方が優先され、変化は起こりにくい。

自然にまかせると個人でも企業でも現状維持になってしまい、経路依存に囚われてしまうのです。

なので変化を起こすためには、あえて「ルール」として確立し、優先度を高めなければならないことがあるのです。


②強者が自らを律する

変化のための二点目のポイント、ルールはルールでも「強者が自分たちを律するルール」をつくろう、ということです。

学校の校則もそうですが、組織の中で「ルール」というと、上位者が下位者を管理するために用いられがちだったりします。(以下、いささか単純すぎますが本記事では便宜的に、権力的に支配的であったり多数派を「強者」、マイノリティを「弱者」とよびます)教師が生徒に対して、「これはダメ」といった服装のルールを定めるのは、管理をしやすくするためです。

しかし、強者の都合のために弱者を統制するためのルールは、変化ではなく、現状のバランスを強化します。

ただでさえ権力的に強者、そのパワーをルールによって強化すれば、一方向に加速し、なにかおかしなことがあっても引き返したり方向を是正できない状態になってしまいます。(BモーターやJ事務所のように)


こうした非対称性の悪化を押し留め、変化できる状態を担保するためには、強者側で自分たちを律するためルールが必要だと思うのです。たとえば、管理職の登用において、「30%は女性にしましょう」というのをルール化するとしたら、それは(多くの場合男性が強者である)管理職が、自分たちの行動を律するものですよね。

そうでなければ、ルールは弱者を搾取するためにつくられていきます。変化のルール化は、権力者を有利にするものではなく、その力を制限し行動を律するためのルールであることが必要です。(憲法が立法者を超えてあるのは、国が国民をコントロールするためではなく、国や権力者の暴走を律するためです)


③マイノリティと一緒にルールメイクする

そして、ルールを作成する際には、強者だけでなくマイノリティも含めてルールを議論する、ということが大事です。

なぜなら、社会的な強者はしばしば問題に気づかないからです。社会は強者やマジョリティに合わせて設計されているので、困らない。だから問題が透明化してしまう。

たとえば僕自身も、子供が生まれてベビーカーを押すようになってはじめて、渋谷駅の「バリア」に気づく、という経験をしました。あれだけの大きな駅ですから便利だし問題には気づきもしなかったのですが、段差や改札の狭さなど、たくさんの「見えないバリア」があることに(ベビーカーというちょっとしたマイノリティになることで)やっと気づいたわけです。

少数派や社会的弱者の視点は気づきづらく、またその声も届きづらいため、多くの問題が見過ごされてしまいます。

なのでルール作りの際には、社会的弱者やマイノリティを意見に積極的に耳を傾ける態度が必要です。もし政治家がこうしたスタンスを徹底してくれるなら、男性だけでもいいかもしれません。

しかし実際には、弱者の声は無視され、強者の都合が優先されがちです。署名の受取りを首相が拒否したりされてしまいます。そんなんだからこそルールメイキングの場にマイノリティを増やすルールが必要だと思うのです。


ルールは人のためならず

以上で述べたように、変化のためには単なる努力目標ではなく、ルール化が必要です。そのルールは、弱者を縛るものではなく、強者が自らを律するためのものであり、ルールを作る際には、弱者やマイノリティと共に考え、ルールメイクを進めることが大切です。

そしてまた、ルール作りにおいては、強者が弱者のために「してあげる」ことではない、という意識も大事だと思います。

僕も時々、女性の味方、フェミニストと言われたり、「女性のために席を譲る男性」と紹介されたりしますが、実はこれはあまりしっくりきていません。「女性のため」というか、同質性の暴走を食い止めたり、社会の柔軟性を担保するために多様性が必要だと思っているだけなので、女性のために自己犠牲をしている感じはないからです。


なのでルールメイクする時も(今マジョリティである男性側が)「女性のため」にルールをつくってあげる、という感覚ではなく、組織や社会として多様性を持つ方が、中長期的にベターだからそうする感覚が大事です。

なぜなら「マネジメント」の仕事は、組織が良い成果を出せるようにみんなの能力を引き出し、チームとしてのパフォーマンスを高めることだからです。ルールメイクをする人は、全体のパフォーマンスをあげるためにルールをつくるのです。


某事務所の問題でも、事務所やメディアが自主的にルールをつくることを期待しています。人間は弱いです。良心や誰かの努力に期待するだけでは、きっと同じことを繰り返します。

知っているのに報道しなかったことが後でわかったら「幇助」として罰せられる。事務所の圧力で出演を変えない、変えたことがわかったら賠償金を支払う。(いたちごっこになる部分はあるでしょうが)メディア各社が今回を機に集まって業界ルールを自主的に定めれば、そのルールを盾にして「ちゃんと報道しましょう」「こういうのやめましょう」と言えるようになる。それは弱者のためというより業界のために必要ではないでしょうか。

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