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ぽつぽつと観測気球的な記事が出てきていますが、近いうちに2030年の温室効果ガス削減目標が改めて公表される予定です。

本来であればというか、これまでの考え方ですと、まずはわが国のエネルギー基本計画のなかでエネルギー安定供給・安全保障や経済性、CO2削減目標のバランスをとって定めたうえで、そこからCO2削減目標を導き出すという手順だったわけですが、先にCO2削減目標が定められるということになるわけです。(エネルギー基本計画の見直しに向けた議論は始まっていますが、夏から秋にかけて公表の見通し)

ちなみに、エネルギー基本計画について補足。エネルギー政策基本法という法律によって、少なくとも3年に一度、エネルギーをめぐる情勢の変化を勘案し、及びエネルギーに関する施策の効果に関する評価を踏まえて計画を見直しすることが国の義務として定められています。

エネルギー政策とはすなわち、エネルギー安定供給・安全保障とエネルギーコスト、環境性の3つの要請のなかの重心を定めることとされ、それが本来の議論の順番であると考えられてきたわけです。
「いまや環境ファースト(どこかの政党の名前みたいですが)。CO2削減目標を先に決めて、そこからエネルギー政策を考えるべき」という論もあるでしょう。本当にそれで持続可能な政策たりうるのかはよく考えるべきですが、世界が直面する喫緊の課題として第一に気候変動を挙げる方も多くなっていますので、議論の優先順位も変わっていくのかもしれません。

でもなぜそこまで2030年に向けた温暖化目標の策定をそれほど急ぐのか。それは、バイデン政権が4月22日に開催する気候変動サミットです。この国際会議で日本として積極的な姿勢を見せたいから。
欧州は1990年比▲55%(2013年比では44.2%)を既に掲げています。バイデン氏は大統領選挙期間中に、2050年までに米国全体でネットゼロを達成するという2050年目標は明らかにしていたものの、2030年目標については言及を避けてきました。4月22-23日に各国の首脳を招いて気候変動サミットを開催するのにあわせて、自国の2030年目標を公表する見通しですが、2005年比▲50%といった大幅な削減目標を出してくるとも予想されています。
いまや温暖化目標は世界的にハイパーインフレともいえる状況で、わが国も40%台は当然、45~50%くらいは言いたい、という声も政府部内では高まっているようです。

目標のハイパーインフレと表現した通り、この目標提示の目的は「やる気を見せること」であり、実際にできるかどうかは関係ないとする向きもあります。「言っちゃえ、ニッポン」といったところでしょうか。
気候変動に前向きでない国や企業に対して、その国債購入や投資を控えるという動きも強まっていますので、実現性はともかく高い目標を掲げることの意義があるというのも確かですし、高い目標を掲げるところから何かが始まるという期待もあります。

ただ、どうも引っかかるものがあります。
一つの理由は、京都議定書の失敗を繰り返すことにならないか、という懸念。
京都議定書は、足元の短い期間(第一約束期間は2008~12年の5年間)を区切って、その間の削減目標を掲げることを一部先進国に求める仕組みでした。掲げた目標は法的に達成義務があり、未達成の場合にはクレジットを買って達成しなさい、という仕組み。
パリ協定においては、目標の達成は法的義務ではありませんので、パリ協定よりしっかりしたスキームであるように思えます。ただ、人類が挑んでいるのは産業革命以降200年近く増やし続けてきたエネルギー消費とCO2排出量を(下図参照。正確にいえば、今回のコロナ危機も含めて、世界的な経済停滞の時にはCO2排出量が減少した時期もありますが、その後の経済回復に伴いV字回復)、あと数十年でゼロにしようという壮大なチャレンジです。これはもうむしろ、革命と呼ぶべき大転換です。
イノベーションが必須であり長期的に腰を据えて取り組もう、足元の短い期間で区切っての目標達成にはあまりこだわらずに・・という話がされていたのですが、長期目標が定まるとそこからバックキャストで語り始める人が当然出てきます。そして今、2030年目標の引き上げに焦点が当たっているというわけです。


図1

今2021年。あと5-6年もすれば2030年にどのくらいの着地になるかは見えてくるでしょう。もし目標未達が濃厚になったとき、「2050年に向けての通過点として野心的な目標を設定したわけで、大事なのは2050年に向けて長期的に取り組むことだよね」という落ち着いた議論ができるかどうか。
「クレジット買ってでも達成せよ!」、「2035年、あるいは2040年の目標を引き上げよ!」という声が噴出するだろうなと思うわけです。
もちろんクレジット購入が悪いわけではありません。「地球温暖化問題」なので日本国内の削減にこだわるべきではなく、クレジットを買う(=新興国や途上国での安価なCO2削減に貢献する)ことは有効な手段です。

ただ、このチャレンジの大きさを考えると、より大きな金額を技術開発への投資に振り向けるべきではないかと思いますし、日本の生き残り戦略にもつながるでしょう。他国も同様にコスト負担をするのであればよいのですが、一度掲げた目標は切腹してでも達成しようとする日本だけがクレジット購入に走るということになるのではという懸念がぬぐえません。長年温暖化の国際交渉を見ていると、そういう例をたくさん見てきました。

もう一つ引っかかっているのは、高い目標を「言っちゃえ」と言っている人と、実際にその目標達成に向かって努力する人が違うこと。
政治家、メディア、金融界、環境NGO。高い目標を掲げる意義を主張される方は多くいます。
その意義も十分理解します。長年地味な存在だった温暖化の問題にこれほど関心が集まることは、正直私も嬉しい気持ちが先立ちます。
ただ、実際に目標達成に向けてコストを負担し、産業の転換を進めるのは、国民であり日本の産業界です。コスト負担について、国民はどれほど認識しているでしょうか。雇用が生まれる産業もあるでしょうが、失う雇用も多くあるでしょう。そうした痛みについてどれだけ意識されているでしょうか。
「環境と経済の両立」といった美しいイメージの言葉で議論するのではなく、痛みや負担の可能性もちゃんと伝えることが、政治の責任ではないかということは繰り返し書いてきたとおりです。

そして今から言っておきますが、この目標が未達だったとしても、抵抗勢力がいたとか、国民の意識が変わらなかったとかいうことではない。目標が無理筋だった(無理筋の目標を掲げることに意義があった)ということは認識されるべきでしょう。

日本は省エネルギーや水素、核融合などの技術開発に先行的に取り組んできたとはいえ、圧倒的な強みとまでは言えません。大幅な低炭素化のセオリーである「需要の電化」と「ゼロエミ電源の活用」の同時進行を愚直に進めるしかありませんが、ゼロエミ電源の柱の一つである原子力がこの状況であり、自然エネルギーを拡大するには自然条件に恵まれていないという現実があります(国土が狭い×山がち×風況が良くない×海底がすぐ深くなる×送電線の系統制約・・などなど)

化石燃料を持たないという圧倒的な不利を克服して日本は驚異の経済発展を遂げてきました。もう一度チャレンジしようということに反対するわけではありません。
ただ、チャレンジはリスクを伴います。そのリスクをとるのが国民・日本の産業界である以上、その理解・納得なしに議論が進むことはあってはならないのだろうと思います。


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