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コロナ禍の真実(下)

先週までイタリアのシチリア島にいた。経由地のドバイ空港もそうだったが、そこでマスクをしているのは日本人だけだった。マスクのある日本を出て、マスクなしの国の風景に違和感を感じたのは、私が外国人であるがゆえ。マスクの無い街のなかでの私のマスク姿は、イタリアの人から奇異に映っただろう。日本に戻り、マスクのある街の風景に、なぜか安堵している

1 コロナ禍を契機とした社会的検証

コロナ禍が始まって3年を過ぎ、コロナ禍は次のフェーズに入ろうとしている。コロナは伝染病的には収束してはいないが、コロナ対策による社会への「副反応」という問題(トラブル)が多く、影響が大きいため、ここらでリセットしようという色合いが強い。コロナの政策的位置づけの変更は、がんやインフルエンザよりも死亡者数が少ないこと、社会的に管理するコストが財政を圧迫していることなども勘案して、季節性インフルエンザと同等の第五類に分類を変え、自己負担化に移行しようとしている

その結果、海外からの観光客は増え、行動規制もなくなり、観光や繁華街がおそらくは快方に向かうだろう。快方を支えるのは、「コロナがありふれたレベルになった」という考えからであり、感染率がどれほど高かろうが、がんやインフルエンザよりも死亡率が低いからという事実で、解放は進む

この点では、コロナ禍以前に戻っていく

しかし、この3年間で、身のまわりの風景はがらっと変わった

オンラインやテレワークなどの生活スタイルやビジネススタイルは、「コロナ禍を乗り越えるために」ではなく、「コロナ禍を契機に」変わったのである。コロナ禍対策が長期化したため、通勤スタイルに戻した人・会社もいるが、それが不合理だと思う人・会社も多くいる

「コロナが流行したから、リモートワークや分散オフィスをつくった」というのは、順序としては正しい。しかしコロナ禍以前から課題・潜在的なニーズがあったからこそ、テレワークがこれだけ短期間に浸透したのではないか。これまでのワークスタイルが機能不全となっていて、不合理だと考えていた人・会社も多かったから、一気に広がったともいえる

つまり、この3年間の流れを鳥瞰してみると、「コロナ禍を契機に、もとより課題・ニーズはあったが、誰も踏み出そうとしなかったテレワーク・リモートワークという働き方の社会的検証が行われている」といえるのではないか

当初はしっくりいかなくても、この3年で慣れた。WEB会議もオンライン講義も、定例になれば慣れた。オンラインでは意思疎通がとりにくいという声もあるが、工夫すれば、なんとかなった。デメリットもあるが、それを上回るメリットもあり、定着した。

そうなると、「毎朝、満員電車に乗って会社で仕事をして、取引先を接待して、最終電車で家に帰っていた日常って、なんだったのだろう?」「みんなが毎日集まって、同じ空間に一緒にいるということって、なんだろう?」 「会社って、なんだろう?」「会社の建物、スペースはこんなに大きくなくてもいいのではないか?」という疑問が湧いてきた

そして、その社会的検証はおおむね成功している。平日の昼に自宅の近くの飲食店でご飯を食べていても、「あの人、在宅勤務なんだ」と思われるだけで、不思議なスタイルではなくなっている。そんな人が増え、ゆっくりと街の風景が変わりだしている。この新たな生活スタイル・ビジネススタイルは「禍」の文字通り、コロナ禍以前に戻ることはない

2 みんな一緒から、みんなそれぞれに

東京出張が大きく減った。会社に行かなくても、大きな問題がないことも分かった。従来のやり方を不合理だと考える人が増えた。裏返すと、合理的なやり方を追求する人・会社が増えたということ

その結果、各社は各社の考える合理性の基準で、物事を判断するようになった。従来のやり方に捉われることなく、会社が求める仕事の質と量が担保できるならば、東京出張も自由、リモートも自由、どこで働こうとも自由、副業も自由、そのようになってきている。

働き方は本来、合理性で判断されるべきである。都心のオフイスに通勤して働くことをよしと考える人はそれでいい、在宅で仕事をすることをよしと考える人はそれでいい。ただし会社が決めたスタイルを取らなくてはならない以上、会社と個人の問題がクローズアップされていく可能性があるが、会社のスタイルが自分の価値観にあわなければ、自分の価値観にあった会社にかわる、場合によれば自分で会社をつくるという行動をとる。もうかつてのような一律な価値観ではなくなった

「みんな一緒」ではない
みんなそれぞれ」である

仕事とはこんなもの、会社とはこんなものという固定的な考え、発想のままでは、通用しなくなってきている。仕事も会社も、人・会社それぞれになった。

もはや「コロナ禍以前に戻る、戻らない」という議論そのものが意味を持たなくなるほど、コロナ禍の断層を乗り越えた新しいスタイルが浸透し、「当たり前」となった

この3年間の社会実験を経て、「そもそも、それはおかしかったのでは?」「こうしなければいけなかったのでは?」「こうでもいいのでは?」と合理性を考え、何が当たり前か?という価値観が変わった結果が、いまのスタイルを「当たり前」たらしめようとしている

「価値観が変わった」という前提条件を認識しないと、これから先を読み違えてしまう。働くうえでの前提条件を変えられない会社は選択されなくなる

3 コロナ禍を契機に始まった社会変化の本質

2020年からの3年間は、コロナ禍一色だった

新型ウイルス感染者数が毎日のトップニュースだった時期が長かった。マスク騒動・ワクチン接種・緊急事態宣言・外出自粛・行動制限・ウィズコロナ・ソーシャルディスタンス・三密・黙食・3つのNo・5つの小・勝負の○○・巣ごもり・動画配信・オンライン授業・オンライン飲み会・オンラインフイットネス・勝負の○○・コロナ不況など、さまざまな施策やスローガンが発信され、影響が出たり、話題になったりと、浮き沈みしてくるコロナ問題に逐次対応してきた

しかし全体としてどうなっているのかが見えない、こんなことをしていて良いのだろうか?これから先は大丈夫なのだろうか?いつまでつづくのだろう?それが不安だと考える人、会社が多い

現在、どうしたらいいのか? この3年間のコロナ禍を、ここで、いったん総括する

3年間の流れ・トラブルの全体を並べて
それぞれの関連、意味を問い直し
なにがプロブレムなのかを掘りおこす

コロナ禍を契機とした様々な社会変化を引き起こしているプロブレムはなにか?コロナ禍の本質はなにか?を突き詰めて考えると

コロナ禍を契機に進んでいることは
場と時間の構造変革といえる

場の構造変革とは、新たなオンライン・DX技術を活かしたスタイルが可能となることによって、仕事の再定義がおこなわれ、ものごとの本質・合理性を追求するなかで、「場」に求められる役割が変わり、オフィス・家、都市・郊外という「場」の使い方が変わり、それぞれの関係性が変わっていくことである

時間の構造変革とは、テレワーク・リモートワークによって、ワークとライフの時間の使い方が変わり、自分時間が拡大し、自らにとっていかに佳く生きるとはなにかを考え、それぞれが行動するというスタイルに変わっていくことである

そしてこの場と時間の構造変化が混ざり合い、人々の価値観を変え、ライフスタイル・ワークスタイルを変え、その結果、生活、会社、都市・郊外・地方、産業、経済の構造を変えていくことが、コロナ禍の真実である

このコロナ禍を契機とした社会変化のプロブレムを掴み、根治療法・真の価値を創造していこうとする人・会社と、現在目の前で起こっているトラブルへの対処療法に終始している人・会社の現在のみならず未来の差は、とてつもなく大きい。あなたは、あなたの会社、組織は、そのどちら?



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