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他責的な管理職のマインドセットを、マーケティングアプローチで自責的に変えてみる

筆者は以前アップしたこちらのコラムで「マーケティングを軸としたコンサルを請け負ったものの、いつの間にか人事的な内容に変わっていくことがある」と記しました。

今回はその例をお話ししてみようと思います。

筆者は数年前、ある企業の役員約20名に対する研修を請け負いました。

月1日缶詰になってミーティングを行い、1年間かけてチームとしての次期ビジョンを策定し、最終回に社長へプレゼンする、という流れを人事部と握り、筆者は課題図書の選定や事前宿題の企画を始めました。

会社としての方向を定め、軸となる商品やサービスを起案し、それをどのように市場に浸透させていくかを固めていく、いわば広義のマーケティングを全役員と進めていく1年間のプログラムは、こうして意気揚々とスタートしたのです。

ところが、初回、第二回と進めていく中で、少しずつ違和感が募ってきました。

ビジョン構築にあたってのスパン、タイムライン、現在走っている施策(既に推進中のヴィジョンXXXという戦略が存在していました)との関係・アライメントなどについて、講師である私に矢継ぎ早に質問が飛び交ったり、「このアイデアは社長には刺さらない」「(パワポを作る時の作法について)これは以前社長が批判されていたやり方だ」「それはXXX部の問題」などの言葉が飛び交ったり。

大企業の役員という看板を背負っている方々にしては、なんというか、正解を当てに行く言動や、上におもねる言動が多く観察され、「会社を支えるために自分の専門性をベースに進言する」という気概が感じられなかったり、「自部署とそれ以外、という線の引き方をしており「会社の問題」という感覚が希薄」だったり。

そこで筆者は4ヶ月目のプログラムが終わった後、人事部と話をし、研修の大きな方向転換をすることにしました。

具体的にはその目的を「チームによるビジョン策定」から、

・会社で起きている問題については、全て自分の問題と捉え、その解決のために何ができるか、と考えるマインドセット
・上に当てに行くのではなく、自分が良いと思うことを会社に勇気を持って提案できるマインドセット

を醸成すること、つまりマインドリセットとしたのです。

方向転換の手始めとして、翌月のミーティングで筆者は、こんな話をしました。

・経営とは真っ暗な海を、海図・灯なく航海するようなものである(ので曖昧なことを曖昧なまま受け入れ、不完全な情報しかなくとも意思決定をしなければならないことの連続である)
・経営に絶対や正解はない。最も普遍的なことはMVVであるが、それとて環境の要請により変わり得る
・人間は知らず知らずのうちに「あいつら」と「俺たち」という形で線引きをしてしまう生き物である。しかし組織の中でこれが起きると会社の問題の大半が他人事化され、チームの力が矮小化される

参加者は、突如毛色が違う話をしていた講師に面食らっっていたようでしたが、「そんなことはわかっている」というようなリアクションを示しました。
そしてその後は何も変わらず他責的かつ上に当てに行く感じの議論が展開されました。

私が話した正論は、彼らの耳に入り、理屈としては理解されたり、なんなら事前から知っていた知識として追認されたりはしたものの、腹落ちはしなかったのです。

そこで筆者はショック療法を試みることにしました。例えば

(1)意識的に「それは誰が解決するんですか?」という問いを発し、参加者の誰かが「自分が」いうまでそれをしつこく繰り返す。

(2)参加者に他責的な言動が見られた時は「みなさん無責任ですねぇ」「会社全体のこと、考えてますか」「みなさん、それでも本当にXX社の役員なんですよね?」などインパクトの強い言葉で気づきを促す

(3)参加者に上に当てに行く言動が見られた時は「部下の方になんて説明するんですか?社長がやりたがってるからお前らやれ、とでもいうんですか?」などのやはり強い言葉で気づきを促す

それを続けるうちに、徐々に参加者に変化が見え始めました。「すべてのことは自分自身(や自分達)に責任がある」と考えるべきだ、というような発言が出るようになったのです。

それは段々と広がり、最後には参加者全員の総意となり、最終回の社長プレゼンは
・社長に頼りっぱなしだったことへの謝罪
・自責的な行動規範への変容コミット
といった内容で執り行われました。

かくして、最初は会社の方向・施策策定というマーケティング的なベクトルを指していた研修は、終わってみるとマインドリセットを行うための人事的研修に変容していた、という次第。

この経験を通じて、筆者は以下のようなことを感じました。

(1)この企業は特殊ケースではない

上の記事では「大会社の役員にしては」という表現を使いましたが、この種の現象はこの企業特有の事例というよりは、組織や人間の性質に根ざしている、一般的に観察されることだと思います。
組織の中ではチームとチームの境界で「あいつら」と「俺たち」という意識が芽生え競争的な意識が生まれがちです。これは企業内の部署だけではなく、クライアントとベンダー、隣国、夫婦など2つのパーティが存在するときに一般的に見られる二項対立で、人間のネイチャーの一部なのではないかと思われます。このような意識ができてしまったら、それは業務担当の境界線と化し「この問題は俺たちの担当ではない」という態度のもとになります。どんな問題であれ、それは部署ではなく企業に関わること。たとえ自分の担当でなくとも「自分にはどんな手助けができるか」くらいは考え、行動したいところですが、二項対立意識が起きるとなかなかそうはなりません。かくして他責的な空気は組織の中に広がっていきます。

また、上に頼る、指示待ちになる、というのも、この企業特有の事象ではなく、広く見られる現象であるように思われます。

(2)マインドリセットするためには、気づきが必要である

最初は1スタッフからスタートする企業勤め。初めのうちは上長からの指示に基づいて仕事をすることが主体ではあるものの、経験を重ねるにつれ視座を高め、ボトムアップで仕事のアイデアや知識の発信・提言をしていかなければなりません。チームを持ち、職掌が広がれば尚のことです。

指示待ちになる、というのは、個人の中でこの変化が起きず、いつまでも勤め始めのマインドセットでいる、ということであり、管理職や役員であれば、その立場に応じた考え方にリセットしなければ、組織の運営がおぼつきません。

にもかかわらず、なぜ上位職にある人が指示待ちになってしまうのでしょうか?

これは、人は権威に従う性質があり、会社組織の中では上長が権威となり易い、というのが最も大きな構造的要因だと思いますが、もう一点、(少なくとも筆者が見聞きしたことのある企業のうち、相当数では)職掌が広がってもマインドリセットに繋がりにくい空気がある、ということを指摘したいと思います。つまり

・職掌拡大(=昇進)にそれまでのパフォーマンスに対する報い、という意味合いが強く、本人としても新職務をそれまでの延長線上に位置付けてしまう(ので、マインドを変えようというモチベーションが起きにくい)

・拡大した職掌には、それまでの担当分野も含んでいることが多く、やはり延長線上感が強い

・職掌拡大しても、当然のことながらその人は、前と同じ人物であり、性能アップしたりしたわけではない。ある瞬間を境にマインドセットを変えるには、相当な自律が必要

というような背景により、職掌拡大に応じて必要であるマインドリセットがなかなか起きない、という次第。

これを解決するためには、本人が気づきを得ることが必要で、先述の研修の例で言えば「自分がやるというまで詰められる」「「無責任ですねぇ」など普段言われないインパクトのある表現で指摘される」がこれに該当します。


(3)人事研修の設計には、マーケティングの方法論が大いに活用できる

筆者は長年マーケティングを仕事としてきました。その本質は、人に対してどのような働きかけをしたら、その人はどう反応・変化するか、を考え抜き、検証を繰り返しながら、再現性を持って実施することです。

マーケティングでは、ターゲット消費者に対してそれを行う訳ですが、今回の話は、同様の考え方で人事研修対象者の態度変容を起こすべく働きかけを実施しました。

研修・トレーニング以外でも、例えば人事部門の重要な業務である制度設計は、人間としての社員が、どのようの仕組みづくりをしたら望ましい反応(仕事の仕方)を示すか、を設計することであり、こちらもマーケティングが援用できそうです。

人事との近接は、マーケティングが役に立ち拡張していく一つのパスとして、来年度以降も重点的に考えていきたいと思います。

読者の皆さんは、どのようにお考えでしょうか?

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