資生堂クリエイティブを退職しました。
定年まで資生堂で働くつもりでした。
「美しさと人の在り方」について考えることも書くことも好きだし、家庭のケア事情をあれこれ抱えた私が社員としてい続け、声を発することが自分の使命だとさえ思ってました。
でも人生が「資生堂の近森未来」だけじゃなくなってきて、その時間が増えると考え方や価値観が変わり、ありたい人生が変わってくる。自分の居場所を改めて考えるようになり、10月末に退職しました。
しかし平たく言ってしまえば、仕事と家庭の両立ができなくなってしまった。圧倒的にどこにでも転がっている理由です。
決してそれだけが辞める理由ではないのですが、令和になっても、恵まれた環境をもってしても感じた両立の難しさなど、私の個人的な退職話を今回はさせてください。
家族2人のケアが重なった
今年の年明け。
ほぼ同時期に家族2人が、前よりも確実に長く病気と付き合っていくことが見えてきました。ひとりはちょっと厄介な病気。でも改善する希望を持ち続け治療中。ただ劇的に改善しても、一生何らかの形では付き合いは続くもの。
もうひとりは認知症の加速。あっという間に自分で立つことも厳しく、私の存在の記憶も多分もうあやふや。我が家の場合、想像以上に進行が早かった。
今までも2人のケアはあったもののスポット的であり、それらの濃さと長さが変わってきた。
会社は休職や仕事を減らす選択、介護時間の取得や制度の活用など様々相談にのってくれました。一時的な対応の制度としては本当に整っているのです。
ただ一時的に減らす・休むなどはできても、ケアを抱えたままでのキャリア構築というのは実は開拓されていないことに気付きました。落ち着いたら元のルートに戻る、というのが前提なのだと思う。
資生堂がということではなく、どの企業でも多様なキャリアプランが提示されず、いわゆる「出世ルート」も単一であると、記事のように介護を抱えていては2度と元に戻れないと恐れ、会社に言い出せないケースも。すべてをこなす超人もいるかもしれないが例外だろう。
立ち向かう敵は資本主義そのもの?
それに我が家のような、複数人のケアというのはさすがに制度の想定外だろうし、会社を責めるつもりは毛頭なく本当に感謝してるのです。ただ私は前に書いた投稿で、家庭と仕事の両立の厳しさを改めて思い知らされてはいました。
ああ私は自由競争主義、もしかしたら資本主義社会全体の価値観に立ち向かおうとしているのかもと。
今回退職にあたり考えてみると、「会社員」というのは、例えば9~17時など一定の「時間を会社に捧げる」ことで給料をもらい、様々な保障で守ってもらうのが大前提の仕組みなのだと今っっさら改めて気付き。
だから時間を帯で捧げられない人はたちまち苦しい。(それこそ制度のヘルプは多少あるが)
個人のスキルなどはそこから先の加点みたいなもので(しかもクリエイティブは評価が難しい)
前述の投稿にも書いた、さらに評価がされる「どん欲な仕事」というのは、
突発・不規則・長時間の顧客対応ができ、誰かと替えの利かない性格の仕事。
私の日々は、10時からの通院に付き添い、結果翌日から急遽日帰り入院に、14時からは施設と面談で、今日は調子がよくないと言われるのはもちろん突然だし、そうなると仕事休んで看病。(ちょっと盛りverです…余裕ある日もあります)その隙間に集中力をねじり上げて仕事でした。
それはそれで誇れるスキルになったけど、時間を帯で丸ごと会社に捧げる基本ルールにはもう乗せられない。
ルールを変えたくても戦う相手は、現在の経済構造というのは敵として大きすぎる。
挑む時間はない。去るしかない選択肢
でも資生堂という会社ならば、私の状況でもキャリアを構築していくチャレンジを認めてくれたかもと思う。
ただ誰も開拓してない未舗装の道を切り開いていくには、あまりにエネルギーが必要で、今その時間をかけるより、目の前のやるべきことが山積みなのだ。誰かのケアというのは待ったなしで、後でまとめて挽回が非常に難しい。
となると自分が変わるしかない。
労働のベースが(長)時間拘束でないフィールドに行くしかない。
前に女性クリエイターがフリーランスを選択せざるを得ない状況を書きました。
でも私は当時、問題の本質が実感としてまだ分かっていなかったのだと今は思う。
でもね、背中を押してくれた2人に感謝してる
ここまで書くと無念の退職に見えるかもしれない。
正直まだ消化しきれていない様々な感情が渦巻いているところもある。
でも家族2人にはとても感謝していて。おかげで私は新しい世界への冒険の扉を開くことができた。後ろから背中をどつかれるぐらいの荒っぽさだったけど…
2人のおかげでまだ知らないことが沢山あり、世界はとても広いことを思い知った。日々起こることはCOMEMOを書く燃料でもあった。
ケアすることと稼ぐことを同じテーブルに乗せたいという目標もある。ケアというと育児や介護が浮かぶがダブルケア(私もそうですね)や不登校へのケアなど実は多様だし、誰かのためでなくても、自分自身のケアは生きていく上で不可欠だ。
働き方の多様化も、少しずつ確実に波が来ている。私なりの新しい働き方の模索が、今すぐ答えは出なくても、何か1ミリでも世界が変えると信じたい。
私も支えられながら。書き続けたい
会社で最姉(造語です)と勝手に思っている先輩から「あなたは毎日の暮らしと作るものの距離が近いひとだから、最近の様子を見て、辞めるという選択は驚かなかった」と声をかけてくださり胸がいっぱいになった。先輩を始め、人生の血肉どころか全身を作る出会いを会社から沢山もらった。
私が自分のことを話すと「実は…」とご自身の事情を話してくださる方もいらして思い切ってよかったと思った。
(そんな風に身を削って書いて出していく技しか持ってないんですけどね…)
まだしばらく先が見えなすぎるのですが、幸運にも一緒にケアを分かち合える家族がいて、またこの国の医療と福祉に助けられながら(その話は今度書きたい)コピーライターとして、何か言葉を紡ぐ仕事は細々と続けたい所存です。
もし今後こんな私と何かつくってみたいと思う方いたらお声かけください。
この連載もストップがかかるまで笑、続ける所存です。また来月!