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あなたの幸せはーコロナの真実(下)

おそらく江戸時代の前から、そうしていた。400年以上も続いたビジネススタイルが、現在大きく変わろうとしている。テレワークで、在宅勤務を週2日・3日・4日にしようとしはじめている企業。週休3日・4日を導入しようとしはじめている企業。毎朝、家を出て満員電車に乗って、会社に着いて仕事をして、夕方に電車に乗って、家に帰るというスタイルが崩れようとしている。

オフィスに行っても、仕事をする場所が定まらない。朝から晩まで、月曜から金曜まで、オフィスで仕事をするというパターンがなくなろうとしている。職場のみんなと一緒の場所にいられなくなる。コロナリセット最大の変化は、このようなテレワークを契機とした生活スタイルの転換ではないだろうか?とてつもない大変革が進んでいる。

1.テレワークが普通になろうとしている

サラリーマンは毎朝スーツを着て家を出て、通勤電車に乗って出かけないと恥ずかしかった。家族は、よけいにそう思っていた。お父さんにはスーツにネクタイも締めて外に出てもらわないと格好悪いと、周りの人の目が気になった。

…そんな話を最近、殆んど聴かなくなった。家の外に出かけなくとも、平日に家のなかにいても、私服で近所をうろちょろしても、なにも思われなくなった。こう、見られるようになった。

「あの人はリモートだ」

東京出張も減った。
毎週のように、毎月のように、東京に行っていた。全国から、東京に集まり、会議に出席したり、話題のテーマの講演会を聴きに行ったり、イベントに参加したり、東京のお客さま・関係者に営業に行った。早朝、暗いなか家を出て、深夜に家に帰った。東京でいろいろなところに行けることは楽しかったが、疲れてくたくたになった。しかしそれは社会人として普通の生活で、そのスタイルに、なんの疑問もだかなかった。それが突然オンラインになった。会議も講演もイベントも営業もみんな、リモートとなり、オンラインになった。その生活が2年半経った。

オンラインに慣れた。東京に行かないワークスタイルにも慣れた。本当は東京に行くことは面倒くさかったし、無駄も、浪費も多かった。しかしそんなものだと思っていた。それが、コロナを契機に、それが常でないということに気づいた。

東京に行かなくても、なにも問題ない

ということが分かった。現実には東京に行かなくて問題がまったくないというわけではない。しかしそれを大きく上回るメリットがあるということに気がついた。だから東京に行かなくなった。

このようにコロナ禍を契機に、いろいろな場面、いろいろな場所で、社会実験がおこなわれている。そして、これからこうなっていく。

各社、各組織、各人が
「合理性」の判断基準で判断していく

リモートで仕事をするのも自由、東京に出張するのも自由となろうとしていく。


2.「元に戻る・戻らない」 の議論はもう古い

コロナ禍に入って、「コロナ禍の前に戻るのか、戻らないのか」の議論が盛んにおこなわれてきたが、その議論はもう古い。

コロナが収束したら、コロナ禍の前に戻るのか、いやコロナ禍の前には戻らないのかという単純な話ではなく、このコロナ禍2年半で、さまざまな「社会実験」がおこなわれ、いろいろな場面

そもそも、おかしかったのとちがう?
こうしないと、いけなかったのとちがう?
こうでもええんとちがう?

という声が高まり、「それまで」の前提が覆され、「これまで」が一新されようとしている。

3.コロナの2年半、問題なかった

コロナの2年半、問題なかった。
「もう、これでええのと違うか」

接待もそう。接待をしなくなって、お客さまとの人間関係は崩れたのか?
この2年半、出会いはなかったのか?まったくないわけではない。コロナ渦の間でも、出会っているカップルはいる。

都会も、そう。なんでもかんでも、わざわざ都心に出かける必要があったのか?時間をかけて人混みのなかを、お金をかけて行くのが馬鹿馬鹿らしく、勿体ないと思うようになった。つまり、こう。コロナ禍の2年半で

無駄・コストが
はっきりと見えた

みんな、合理性で判断するようになった。

確かに緊急事態宣言やまん延防止等重点措置にもとづく行動制限が、国から自治体から企業から学校から命じられ、結果として

新幹線のお客さまが減った
旅館・ホテルのお客さまが減った
銀座や北新地に行くお客さまが減った

しかしこれらはコロナの影響ではなく

「そうしなくていい」という合理性

で判断した結果である。コロナ禍で、「やりたいことがやれなかった、できなかった」と思っている人も多いけど、本当はそうではなく、コロナ禍の2年半の社会実験で、わざわざ出かけなくても

楽しいことがある
意味があることがある

ということがわかった。だから日本社会は、こうなろうとしている。

コロナ禍の前までは、そこに当然のように行っていたが、「コロナで、行けなくなった」のではなく、「コロナになったので、行かなくてよくなった」のである。

それがコロナの真実である


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