発信に際して安易に権威を頼らない。
今回は発信における「権威の頼り方」の是非をテーマにします。まずは、トルコのワインから話をはじめます。
トルコのワインの知名度をあげるにコンクールを使う
ワイン発祥の地にはジョージアやアルメニアなど諸説あります。黒海からカスピ海にいたるコーカサス山脈周辺地帯で、現在のジョージアとアルメニアにあたる、というわけです。両国はトルコと国境を接している国々です。
その接しているトルコでワインが生産されているとの日経新聞の記事に目が止まりました。それもかなり積極的に商売を仕掛けているようです。トルコはイスラム教徒が大半ですから、「おっ!アルコールが商売になるのか?」と思いますよね。オスマン帝国時代はマイナーな扱いだったのが、1924年の政教分離でワイン生産が再び活発化したとあります。
この記事ではコーカサス地方ではなく黒海の反対端、エーゲ海沿岸、ギリシャ、ブルガリアに続く欧州大陸側のトラキア地方のワイナリーを紹介しています。バルカン半島は農産物が豊かなところなので、大いに頷けます。そしてビジネスの最前線の経験を経て、故郷でワイナリーをはじめたチャムルジャ氏のブランドがコンクールも活用しながらアピールをしています。
「なるほど、知名度の低さをコンコールを使ってカバーしようとしているのね」と納得する流れです。主に国外PRに貢献するのでしょう。
「〇〇コレクションに参加する」の背景にあるもの
それから、上記とはまったく関係のない別の記事が目に入ります。「ミラノ、パリの「コレクション」と呼ぶのは日本だけ? 誤解の一因に」という朝日新聞の記事です。パリやミラノのファッションウィークの呼称を話題にしています。
正式名称は「地名+ファッションウィーク」であり、そこで「参加した」と名乗れるのは、そのファッションウィークの主催者の審査を通ったブランドのショーやプレゼンテーションだけである、ということです。
しかしながら、いくつかのファッションブランドがファッションウィーク開催中に非公式のイベントを開催し(あるいは、非公式のイベントに参加し)、「〇〇コレに参加した」とPRに使っていることを、この記事の記者は以下のように問題視しています。
「参加した」とPRする会社自体がファッションウィークの仕組みをよく知らないことも情けないですが、そもそも、こうした「公式」を全面的に祭り上げるというか、頼るメディアも事業者も、そして消費者も反省すべきことじゃないの?とぼくは思います。
記事の最後にある以下の提案はもっともなことですが、ある知られた目安を「すべて」と過大評価するからこそ、その性格を見抜いた非公式イベントのオーガナイザーがブランドに営業してくるのでしょう。そして、それが「凱旋的な意味」をもつと思い込むブランドが、よく知らずに話にのるに過ぎない。
権威とされるものに弱い、かつそこでビジネスが成立してしまう性格が問題ではないかと思います。あるいは、日本のファッションブランドはすべからく、ワインにおけるトルコのような地位にあるのか?ということです。
残念ながら、「なぜ「生地の生産地表示」が一歩前進になるのか?ーLVMHの方針が指し示すもの」で紹介した以下のグラフが、その疑問に答えているわけですが・・・。
似たような例は「ミラノサローネ」や「ヴェネツィアビエンナーレ」にも
「○○に参加しました」と日本の企業や人が喧伝するのは、ファッションの世界だけではないです。ぼくがよく見聞するケースだと、毎年春に開催されるデザイン分野のミラノサローネです。
サローネは郊外の会場で開催される「サローネ国際家具見本市」のみを指しますが、市内での勝手イベントの「フオーリサローネ」に参加しても、「サローネに参加しました!」と言う例は多いです。企業、デザイナー共に、です。そこで、今や両方を総称して「ミラノデザインウィーク」もよく使われます(この経緯の一端は、ダイヤモンドオンラインに書いた「国や行政主導ではない、ミラノデザインウィークが世界的イベントに発展した本当の理由」を参照ください)。
もちろん、サローネ国際家具見本市の広報は口すっぱく区別をアピールします。しかしながら、商標を毀損するのは問題ですが、多くの人々の意識がその点(区別に厳密になる)に向かうと期待するのも無理があります。
アートや建築分野の「ヴェネツィアビエンナーレ」も同様で、規定の会場の外で勝手に開催されるイベントが多数あり、今やそれらを含めてヴェネツィアビエンナーレであることに主催者が寛容な風があります(ぼくの印象ですが)。
その背景にあるのは、公式か非公式かによって商品なり作品の評価の差が出ない、少なくても消費者や鑑賞者は自分の目でみることを第一とする、という姿勢が主催者側にあるからではないかと推察します。
また、これは音楽などのコンクール入賞に対する日欧温度差にも適用でき、欧州の人もコンクールに入賞することは栄誉ですが、皆が皆、コンクールに参加することを至上命題にしていない。コンクールに出なくても、自ら道は拓けると思っているから、参加にそう熱心にならない実力ある人もいる。仮にそういう人がいても、周囲の反応として「どうして出ないの?」とならない。不参加に不思議がられたりしないのですね。
つまり、主催者も企業も表現者も、自分たちが自分たちの存在を世に伝えるアプローチはさまざまにあり、いかにオープンに自分たちの知名度をあげたり領域を広げるかが第一の関心事にある。
逆の言い方をすれば、ある規定のもの、どこかの組織が設定した指標、それらを絶対的なものとして見ない。やや批判的にいえば、そこまでそれらを信用していないのですね。そういうことを欧州で生活していて感じます。
・・・ということで、やっぱり、発信に安易な権威頼みは危ないです。最近よく言及している記事を再掲しておきます。
冒頭の写真©Ken Anzai