「後輩投資」という自己投資をしています。
今月の日経COMEMOのテーマは #やってよかった自己投資
なのだが、
僕は正直、投資に向いていない。
今年40になると言うのに、投資やら資産形成の経験がない。
つい先日も飲みの場で「つみたてNISAって何がいいの?」と聞いて、後輩たちを呆れさせたくらいだ。
帰宅して後輩たちが仕切りに言っていた「つみたてNISA」やら「iDeCO」について調べてみたが、よくわからなかった。
と言うか、スッと入ってこなかった。
わからないものには、投資をしない。
をモットーにしているので、そっとページを閉じた。
そんな自分が「やっててよかった」と言える自己投資なんてあるだろうか。
そんなことを考えていたら「好きな後輩たちと飲みにいくこと」は投資かもしれない、と思えてきた。
今日はそんな話。
■自分が関与できないものに投資はしない
いわゆる「投資」と言えば、
・企業の株式に投資をする。
・日本や海外の通貨に投資をする。
・あるいは、どこに投資するかを企業やAIに任せる。
などだと理解しているが、僕にとっては、どれをとっても話が大き過ぎるというか、お金が自分の手を離れ過ぎている感覚がある。
例えばアメリカのドルに投資をしても、僕はアメリカのドルの価値を上げることに貢献できない。
自社や他社の株式に投資しても、経営者でもない限り、その株の価値を上げるレベルまで関与することはできないだろう。
つまり僕は
・自分でコントロールできないもの
・自分が関与できないもの
に対して投資ができないタチなんだと思う。
逆に言えば「自分が関与できるもの」には投資ができる。
だから多少高くても土地を買って、その土地の価値を上げるために、自分で酒屋さんを誘致したりした。
「あなたの資産を自動で運用」などはむしろ怖くて、投資に「手ざわり」のような感覚を求めているのだと思う。
■短期的にも長期的にも、後輩投資
そんな僕の投資感覚からすると、唯一「自己投資している」と言えるのは「好きな後輩たちと飲みにいくこと」かもしれない。
後輩たちと飲みに行くと、当然自分が多く払うことになるのだが、それが「自己投資」になっている。
・自分が関与できる
・未来に期待ができる
・自分に返ってくる
という側面から見ると、後輩とは僕にとって「投資の対象」になり得る。
後輩とは、自分の言うことを聞く部下ではない。
後輩とは、自分の未来を左右する大事な存在だ。
しっかり関与して育てば、自分を助けてくれる存在にもなるし、いつか自分よりも偉くなって、自分を助けてくれる日も来るだろう。
そんな後輩投資は、短期的にも自分のためになる。
「価値観のアップデート」をしてくれるからだ。
「若者とは、もっとも進化した人類だ」という話があるが、飲み会で若者から聞く話に驚かされることは多い。だからこそ新鮮で面白い。
後輩と飲みに行くと「つい自分の話ばかりしてしまう先輩」は多い(気をつけたい)が、自分より後輩たちがイキイキと話をしている飲み会の方が豊かで、刺激的だ。
例え若者らしい意見や価値観を聞いたとしても、「そんなのは違う!」と脳直で説教を垂れるのではなく「そんな考え方もあるんだ」と驚いた方が身になる。
僕は自分に対する研修費としてお金を多く払っている。
「自分の話を聞いてもらった」ことにお金を払うのであれば、後輩ではなく、キャバクラやホストクラブにでも行けばいいのだから。
■投資と手ざわり
いかがだったろうか。
後輩を「投資の対象」なんて表現したので「なんてドライなやつだ」と、嫌悪感を抱いた人もいるかもしれない。
もしくは「そんな打算的で利己的な気持ちで、後輩を育てるなんておかしい!」と憤慨している人もいるかもしれない。
確かに僕には、打算的で利己的でドライな側面がある。
ただ僕が求めているのはやはり「手ざわりのある投資」だ。
誰かが損をして、誰かが得をする。そして自分が「勝ち組」になる。
そんな投資ではなく、お互いが刺激し合って、高め合う関係性を「投資」と呼んでみたい。