共視の有用性 コラボレーションによる新規事業創出のヒント
浮世絵の母子像には、互いに見つめ合うのではなく、同じものを2人が共に見つめる共視の構図が多く存在するそうです。共視対象が、二人の間をひらいて間接化しつつ、同時に間を取り持って繋いでいる。これは境界線というような細い線ではなく、境界帯というべき豊かな領域なのではないか、と言われています。(『共視論 母子像の心理学』より)
また、共視は、発達心理学では、ジョイントアテンションとも呼ばれ、幼児が他者の意図や心的状態を読み取り始める、発達上のターニングポイントとされます。二者の外にある対象を共有し、考え、言葉を交わすようになっていく時期。これを、「関係性の始まり」と捉えると、何も親子の間の発達の話しだけではなく、僕たちが新しい関係性を結ぶ際にも、とても大切な段階なのではないか、と思うのです。
以前書いた正客の例( https://comemo.nikkei.com/n/nc0f4407af667 )でみても、亭主と正客は、茶室という空間を共視しており、他の客らも共視することで、繋がりが生まれています。かつてカリフォルニア大学でゲーミフィケーションの実験用につくられたバウンスというゲームがあります。20才以上年の離れた面識のない相手と電話で20分間話すというものです。今思えば、このゲームには共視が活用されていました。行動のリストが双方に渡されており、そのリストから自分がやったことのあるものを選び共通点を探すというのです。たとえば、「考え事をしているときに、ゼムクリップを伸ばす」とか。共通項がみつかることで、そこをきっかけに話すことができるようになるのだとか。
こうした共視の構造は、同じものを異なる視座から解釈し、語り合うという場をつくることに繋がるのだと思うのです。共視という構造によって、朧な姿を多角的に見定め、そこに何かを見出すことができるようになるのではないか。東洋思想の大家である鈴木大拙は、相手の中でもなく、自分の中でもなく、間にこそ価値が生ずる、と書いていました。まさに、自分の中だけでもなく、相手の中だけでもなく、その間に世界が立ち現れてくるのだと思うのです。
これは、「互いに何ができるか」からの組み合わせに着目するアイディアソンやハッカソンとは別の、価値基準をすり合わせることから始める、少し遠回りに思えるかもしれない価値の連携の形を探るコミュニケーションです。しかし、価値基準の共有こそが、将来にわたって共に事業を進める上で、とても大切な核となるものです。そのため、プロジェクトの初期の段階で、こうした価値基準を共有を含めた世界観構築に時間をかける必要があります。その際に、最適な共視設計をすることで本質的な議論ができるのではないでしょうか。
カンブリアナイトでも、まず大切なのは価値基準の共有である、としています。そこから生まれる伴走者との出会いが、新たな世界を作る一歩になるのではないかと信じています。