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肯定的な言葉がひとを形成する力〜「シュートできなかった」ではなく、「シュートにつながるパスができた」自分、というセルフイメージ

「セルフイメージ」というお題をいただき、お話しさせていただく機会を得ました。準備にあたり、改めてセルフイメージってなんだっけということを含め整理している中で、タイトルに引用した父と妹のやりとりや、メンタリングの仕事との関連性にも思うことが湧き上がってきました。そんなことを今回は綴りたいと思います。


セルフイメージとは

自ら抱いている「自己像」や自己評価のことをセルフイメージと呼びます。人前で話すことが得意・苦手ということや、特定の色味が似合うというような自己認識もセルフイメージにあたります。就活などの際にやってみた自己分析がセルフイメージとして染み付いている例もあれば、親や上司などから言われたことが反映されていることもあります。

ポジティブなセルフイメージを持っていると、挑戦に抵抗が無くなったり、仮にうまくいかなかったときにも立ち直りやすいしなやかさを備えている場合が多いと言われます。逆にネガティブなセルフイメージは、そもそもの一歩を踏み出すことに及び腰になりがちであったり、失敗したときにもやっぱりダメだったと負の循環を生みやすい。

ネットで「セルフイメージ」を検索してみると、自身の心の持ちようや発言、社会との関わり方や人間関係の構築において前向きな変化を生めるようにと、ポジティブな思考を心がけセルフイメージを高めることを促す内容の記事やブログが多く見かけられます。

自分自身を肯定的に捉えるセルフイメージを持つことは、前向きな自己発信にながるセルフブランディングのためにも重要であることも指摘されています。

同じ出来事でも捉え方一つでセルフイメージは異なってくる

セルフイメージについて考えている中で、子どもの頃の父と妹の会話を思い出しました。

父「今日はミニバス(ミニバスケットボール)でシュート決められた?」
妹「決められなかった」
父「じゃあ、シュートにつながるパスはできた?」
妹「それはできた」

この時の会話がもし一往復で終わっていたら、妹の中にはその日のミニバスのゲームでの自己認識が、シュートを決められなかったというネガティブなものになっていたかもしれません。後半のやりとりは、そうではなくポジティブな認識として残るような捉え方を促すものだったように思います。

おそらく会話の後妹には、シュートできなかった自分ではなく、シュートにつながるパスができた自分という肯定的な自己認識が残ったのではないでしょうか

メンタリングはプラスのセルフイメージを見つけていく共同作業かもしれない

2年ほど前からメンタリングの仕事をしています。20代〜50代、性別問わず様々なバックグラウンドの方々のお話を聞かせていただく中でも、「自分なんて」とご自身を卑下されるような発言があったり、インポスターシンドローム/詐欺師症候群に陥っていたりと、自分を肯定的に評価する形でセルフイメージを持たれている方は多数派とは言えないなと感じます。

謙虚にそして厳しい目で自身を顧みることはとても大事だと思いますが、言語化されるネガティブなセルフイメージは、ひっくり返してみると肯定的な、むしろプラスの個性だったり強みを捉えられることもあると感じています。メンタリングの対話の中では、なるべくそういった側面を探っていくことを心がけます。

問いと対話を通じて、言葉を深掘りしてみたりその裏を探ってみたり、そんなプロセスを通じてご自身のプラスのセルフイメージにつながる様子をメンティーの方が見つけ出される瞬間に居合わせられることは、メンターの仕事の醍醐味だなと思います。そしてご自身の中から紡ぎ出されたプラスのセルフイメージは、その後の思考や行動にも少なからず影響を及ぼしているように見て取れます。

私自身、ネガティブに陥りやすい性分です。他人と比較して落ち込んだり、期待に応えられない自分を責めたり、いただく評価が実力に釣り合わない過分なものだと感じたり。だからこそ、マイナスなセルフイメージが沸きかけたときこそ、ひっくり返してプラスを探す。どんなに小さな細やかなことでも、前向きなmicro stepを見つけ出す。自分にもメンタリングの相手にも、そんな気持ちで寄り添う先に、きっとプラスなセルフイメージの形成があるのかなという思いに今至っています。

皆さんは、どんなセルフイメージをお持ちですか?



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