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生成AI時代を生き残る学びと仕事法とは

本物の紅葉はどっち?本物の紅葉とテーブルに映り込む紅葉のどっちが本物?京都嵐山の祐斎亭で、リフレクション(反射)してシンメトリーに映し出される紅葉の写真を撮った。幻想的な京の空間に入りこんだ


1 学びと仕事で、おころうとしていることー生成AIの衝撃

同じようなことが、私たちの身の廻りでおこっている。ネットによる情報収集が主流となった現代社会に、生成AIという情報編集ツールが登場した。1995年のインターネットに並ぶ情報革命をおこす技術開発となり、学びや仕事の方法を大きく変える可能性がある

生成AIで、なにが変わる?生成AIで、どうなる?と話題になっているが、まずおさえておくべきことは、生成AIは情報処理の手段であり、学びや仕事をする主語ではないということ。私の、あなたの学びや仕事が生成AIを使ってどうなるかである。得られることと失うことがある。目に見えることと目に見えないことがある

生成AIが普及していくなか、目に見えない課題がある。生成AIが出してくる答えを、100%信じてしまう人がいる。生成AIが出す答えにまじっているかもしれない間違いや嘘に気づかない。間違いを間違いと思わない、すべて正しいと受け止めてしまう人が生まれてくる。いや、すでに生まれているかもしれない

世の中には、相反する答えが共存する。正しいかもしれない答えと、正しくないかもしれない答えが共存する。その答えのどちらかを、それらの答えのどれかを選択するか、選択しないかという

「矛盾との対峙」の連続であった

その世の中で、ネット検索で出てくる答えを唯一の答えとして受け入れる人がでてきた。そして現在、私たちの質問に生成AIがスピーディーに、綺麗に、答えを出してくれそうになり

そのもっともらしい答えを受け入れ
矛盾との対峙を避ける人が増える

2 AI・生成AIで、どうなるのか?

生成AIが話題になり、積極的に利用している会社・学校と、禁止している会社・学校、使いこなしている人と使っていない人とバラバラだが、そもそも生成AIってなに?

情報をスクラップしてまとめてくれるもの

この情報処理プロセスは、これまで人間の頭脳が行ってきたウエイトが多かった。その人間がやっていた部分をAIが受け持つようになりつつある。現段階では、生成AIが出してくる答えの精度は高くなく、間違いも多いだろうが、これからアナログ情報のデジタル化とAI技術の進歩で、精度は高まるだろう

生成AIが普及すると、仕事のなかから情報収集・情報編集する仕事量が減り、それに従事していたスタッフはいらないとなるー生成AIで失業者が増えると言われているが、生成AIで

仕事、学びの形が変わる

仕事、学びで、重要なことがある。生成AIがつくりだすのは模範解答で、その模範解答をみんな使うようになると

差異がなくなる

たとえば国や自治体の補助金を申請する際に生成AIを使うと、みんな同じような内容になる。そうなると、その同じような申請書からどれが採択されるのか?

学校の宿題とか論文とか新聞とか雑誌とか小説とかをAIでつくるようになりだしているが、どうなるだろうか?たとえばAIでイラストを描くようになると、みんな一緒に見える、似てくる

同じようなものが
世の中にあふれる

そうなると、人はなにをもってなにか一つを選ぶのか?同じようなものがあふれると

コストが安いものが選択される

そんなものがあふれたら、タダに近いものに行きつく。タダのものが選ばれるようになると、どうなるか?

生成AIが進むと、賃金が下がり、メディアが売れなくなり、創作物が安くなる。アメリカのハリウッドの俳優たちは、AIと戦うため、118日間ストライキをしたのは、それが背景

生成AIが普及すると、自分たちの仕事はなくなるかもしれない、そうなると自分たちはいらなくなってしまうかもしれない。では、どうしたらいいのだろうか?

3 生成AI時代を生き残る学びと仕事法

生成AIが普及していくと、どうなる?
みんな、生成AIを使いだすと、これまで大学受験ランキングの上位だった大学とそうでなかった大学の差がつかなくなるかもしれない。今までの受験知識教育での勝利者は、生成AIで差が出なくなる。そうなると、ほんとうの実力が問われる。どうなるか?

学びの形で変わる

どんなチカラが求められるのか?これまでの知識・記憶ベースの学びは機能不全して、アウトプットベースの創造・創作が問われる。すでに、その動きが出ている

ロボットコンテストで優勝する大学は毎年変わる。これまでロボコンでの最多優勝回数の大学は豊橋技術科学大学で、東京大学よりも多い。ロボコンは日本発だったが、アジア・太平洋のロボットコンテストで、日本の大学はなかなか勝てなくなった。中国やベトナムやタイの大学が勝つ(今年は10年振りに豊橋技術科学大学が優勝した)。この動きに

これからの学びや仕事を考える
論点がある

知識は、ネットや生成AIで、手に入る。知識をいくら集めても、出来上がりイメージ、アウトプットをイメージする想像できるチカラが大事。そのイメージにもとづき、情報を集め、活きた情報を編集して、想像したイメージのモノ・コト・サービスを創造することができるか否か。なによりも、これら一連のプロセスでの想像と創造するチカラが社会全体で弱まっているのではないか

エンジニアが極限のアイデアとテクニックを競うNHK番組「魔改造の夜」でも、有名な大企業が中小企業に勝てないことが多い。ここにも、大切なことを示唆している

その原理が分かるとか、計算ができるということよりも、実際に勝てるモノ・コトを想像して、それを創れるかどうか?モータースポーツのF1世界選手権はそういう意味で分かりやすい。FIレースに勝つ車を創った会社が勝ちなのである

実際の学び・仕事において、何が必要なのか?

ありたいモノ・コトを想像して
創りだす、結果を出す
学び、仕事が大事

わかる」「しっている」ことよりも、「できる・やれる」ことが大事。生成AI時代を生き残る人は、結果を出せるチカラを身につけた人ではないか?


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