「個」の先にこそ「全体」がある理由
やっと春めいてきましたね!新しい季節、さまざまな出会いやチャンスの中で人の可能性が芽吹いていく時期です。わたしは昔から人の発達に興味があり発達心理学が好きなのですが、前々からひとつ疑問に思うことがありました。それは、多くの心理学者が個人の発達のその先に共同体感覚など個人を超えた全体性の感覚・精神状態があるという結論に至っていること。人はなぜ、どんな経緯で、最終的に「共同体」に行き着くのでしょうか?
こんにちは、フリーランス×チームの働き方ナラティブベースのハルです。
最近、国家資格キャリアコンサルタントを取得しました。今まで自社に所属するフリーランスのキャリア相談に乗ることはありましたが、これだけ労働環境が変わるなかでもっといろんなキャリアをみていきたいと思ったのです。そんな中で思い出した一つの疑問…しかし、今まさに働き方の多様化を眺めながらわたしが感じている仮説があります。今日はその『人は自律するほどに、むしろ全体とつながるのではないか』という話を書いてみたいと思います。
自律とはバラバラになることか?
関係ありませんが、うちの愛犬「ティル」って名前です。5歳のミニチュアシュナウザーで我が家にきたのは5年前。ちょうど「ティール組織」が組織進化論として注目されていたころ…そう、うちの愛犬、ティール組織から名付けられました(笑)。もうあのムーブメントから5年以上も経つのですね。進化した組織のあり方として『自律』というキーワードが注目され、いまや「自律した働き方が大切だ」ということに異論を唱える人はいません。組織に所属する各々の個人が、自律的な判断を持って働いている状態…でも、言うが易し行うが難しで、実際そんなにうまくいくのか?個人が思い思いに自由に判断していたら、まとまりがなくなるんじゃないか?組織がバラバラになってしまうんじゃないか?そう考える経営者やマネジメント層も少ないくないでしょう。自律的に動けることはいいことだけど、その先にあるものって・・・いったい?(不安…)
意識変容は止まらない
一方、偶発的にもおきたコロナ感染症の蔓延によって進んだリモートワークの普及で、私たちの働き方は急速に変化し意識も変容していきました。以前、『ワーママのカーブカット効果』という記事でも触れましたが、一度動き出した変容は止まりません。人は状況が変わるとあっという間に前の状況は忘れてしまい、今ある状況をベースに次を意識し始めます。
例えば、誰でも経験があるところで言えば、携帯電話を買い替えて「軽いなー」とか「画面が見やすくなったなー」と思っていても、2、3日もすればそれが当たり前になって前のことなどすっかり忘れ、その状況がスタンダードになってしまうというあれです。それに似たことが「働き方」についても、今、起きています。
家で仕事をすることになって子どもの姿をよくみるようになったり、移動がなくなってできることが増えたり、親の介護で実家に戻らなければならなくなっても仕事を続けられたり、通院しながら仕事しやすくなったり…
あれ?今までなんでこれが叶わなかったのだろう?と思ったのも束の間、今やそれが普通になり、私たちは無意識に次を感じ始めています。
多面性に気付くと、自律が必要になる
働き方が変わって多くの人に起きたことは、「自分たちが本来は多面的な存在である」という、ごくあたりまえのことに気づくということ。そして、つぎに、その多面をどう扱いバランスを取るか?について考え始めるということ。これによって、実はごくごく自然な流れで自律性が求められるようになっていっているというのが、今の時代の流れだと思います。
(言い換えれば、それだけ私たちは長らく仕事という一面において場所や時間を拘束されることで、不自然に他の面を見つめる機会を失ってきたのかもしれません。)
そういった「これも自分」「あれも自分」という自分の中の複数の側面を感じることが普通になっていくと、不思議と「それぞれの面が、自分の一部であり、そしてつながりを持つ全体性の一部である」ことにも目が向くようになります。
一面が肥大して認識されている状態では、その面を広げていくことや強くしていくことに意識が集中され、そこでの貢献を優先し、その場で力を得ていこうというマインドになっていきます。しかし、多面に意識が分散されると、自ずと俯瞰が必要となり、結局どれも一部でしかないという視野に到達すると言うわけです。
バラバラだからこそつながる
このように「自分はたくさんの一部の集合体なのだ」という感覚は、多面性と共に人間の中に内包されていて、発達とともに育っていく感覚のように思います。
一面に集中しその貢献に力を注ぐことが悪いことではありませんが、人は本来、いろんな側面でまわりとつながることで、安心したり、気持ちのバランスがとれたり、さまざまな相手の役に立つことで自信をつけたりするようにできている…。今起きていることはその自然な形に戻っていくような流れのように感じますし、実はその先にこそ、つながりを大切に感じる感覚、共同体感覚があるのかもしれません。
冒頭で、以下のような疑問を投げかけましたが…
自律的であることは、それぞれがバラバラに考えることではなく、それぞれがバランスをとってつながることなんですよね、きっと。
以上、わたしが持った仮説『人は自律するほどに、むしろ全体とつながるのではないか』という話でした!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。