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ある大学教員のオンライン授業、試行錯誤の記録:実践編

「教育×テクノロジー」は進むのか?

COVID-19によって生じた社会変化は、概ねネガティブな要素が多いが、一部では「新しい様式にアップデートする機会である」とポジティブにとらえている。その1つが、教育関連のテクノロジー「EdTech」だ。EdTechの一分野である、eラーニング市場はCOVID-19の影響で市場拡大している。

EdTech分野に明るい研究者の多くが、「教育のIT化」の起爆剤にしようと声を挙げている。

教育分野におけるテクノロジーの導入は、元来、現場からは抵抗感を持って迎えられることが多い。教員側がこれまでのノウハウを流用することが難しく、新たな教授法を確立するまで一時的にパフォーマンスと生産性が低下する。こういったコストを支払うことに、心理面での抵抗感と労働資源に限りがある実務面での問題から、導入は牛歩の如しだ。

しかし、テクノロジーは使い方を覚えてしまいさえすれば、既存の手法とは比べようもないほどの優れた生産性と効果を発揮する。どれだけ身体能力に優れた人間であっても、自動車はおろか、原付にも勝つことはできない。人間は、道具を使うことで他の動物よりも優位性を獲得してきた生物なのだから、その優位性は最大限活かすべきだろう。


世界は「EdTech戦国時代」

政治家の良く使う言葉に「教育は国家百年の計」というものがある。この言葉の起源は、紀元前7世紀の古代中国にあった斉という国の宰相である管仲が桓公へ送った言である。原典である『菅子』を要約すると、「穀物を植えることで1を得ることができ、木を植えることで10を得ることができる。しかし、人を1人育てることは100を得ることができる。それは神のようである。王者とは神のような振る舞いができるものだ。」とある。

紀元前7世紀の古代中国は春秋戦国時代であり、現代のEdTech業界もまた戦国時代の様相を呈している。EdTech業界で覇を唱えんとするのは、中国・米国・インドだ。CB insghtsによるユニコーン企業のリストを見ると、2020年5月現在で472社あるユニコーン企業の中でEdTech関連企業が17社ある。国別でみると、最も多いのは中国の8社で、次いで米国の7社となる。そして、最も企業評価額の大きな企業はインドのBYJU'Sだ。企業評価額は約1兆600億円を超え、ユニコーンを超えたデカコーン企業と呼ばれる。

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制限がある中で、日本の教育現場はどうするか

このように世界的に活気づいているEdTech界隈であるが、実際の教育現場はというと予算や制度の都合上、そこまで選択肢が多いわけではない。ほとんどの現場では、手持ちのツールや無料で使用できるソフトウェアをやりくりして授業をしなくてはならない。

それでは、どのようにテクノロジーと教育を組み合わせて、オンライン授業を行っていくことができるか。前回の記事で紹介した3要因モデルと照らし合わせながら、筆者の担当する講義での工夫を紹介したい。

3要因モデル


300人以上の大講義における工夫

筆者の受け持つ講義で最も大人数なのが、1年生を主な対象とした選択必修科目となっている「経営学入門」だ。受講生は高校を卒業したばかりの新入生であり、大学の講義に慣れていない。尚且つ、「PCを使うのは生まれて初めて」「スマホは、友達とのメッセンジャーアプリと動画鑑賞、ゲームしか使っていない」というデジタル・リテラシーの低い学生が一定数いる。

【使用ツール】大学指定ツールのみ:MoodleとZOOM

【学習体験の多様性】

学生の受講環境にばらつきがある中で、多様なツールの活用や先進的なテクノロジーで多様な学習体験を与えることは難しい。そのため、講義資料や授業の進行を工夫することで五感を刺激するような工夫を行っている。

例えば、講義資料のスライドを投影するときにも、できるだけ「ただ観ているだけ」という状況を作り出さないようにしている。例えば、動きのない画像を長時間見続けるというのは、集中力を持続することが難しい。そのため、講義中はカメラを常にオンにして、身振り手振りをしながら話すようにする。時には、スライドではなく、カメラ画面のほうを注目するように指示する。例えば、参考文献を紹介するときに本の表紙を手にもって見せる。

また、スライドにも動きを取り入れている。とはいっても、パワーポイントのアニメーション機能は使わない。ライブ配信の時、読ませたいところが動くことは集中力をそぐことになる。具体的には、スライドでは4つの工夫を取り入れている。サンプルとして、実際の講義に使用しているスライドを提示する。

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1つ目の工夫は、講義とは関係ないところにループ動画を入れている。すべてのスライドの右側にノートを取る人のループ動画を入れ、動きを持たせている。集中しているときは目に入らないが、疲れてきて集中が切れてきたときにスライドに動きがあることで脳にメリハリがつくようにしている。また、ノートを取る動画によって「この授業ではノートをとるように」というナッジ(人の行動を後押しするように小さな工夫を指す行動経済学用語)を狙っている。

2つ目の工夫は、授業のアジェンダをスライドの決まった位置に入れている。授業の進行度合いがわかるようにし、自分のペースで授業に参加することを補助している。

3つ目の工夫は、用語の解説をスライドに入れないことだ。文字情報は極力少なくし、ノートで補足しないとわからないようにしている。授業を受けながら、手を動かすことで集中力を持続させたり、眠気を防止する。常にペンを動かすようにノートをとらせることで眠気を防止するというのは、普段の授業でも意識している。

4つ目の工夫は、解説を口頭だけですませないようにしている。授業のどこを話しているのか、マーカーを引きながら話したり、用語の定義を手書きで書き込みながら説明する。そうすることで、ライブ観をもたせている。だいたい、授業後のスライドは書き込みで真っ赤になる。

そのほかの刺激として、必ず講義中にYouTubeやTEDなどの5分以内の動画を用いるようにしている。学習体験の多様性を持たせることが目的のため、長い動画は使わない。感覚としては、ニュース番組の中継を挿入するイメージだ。前回の講義では、COVID-19の状況下でも成長を続けているワークマンの事例を紹介し、YouTube動画を用いた。


【コミュニティと受講生の距離】

300人も受講生がいると、ビデオ会議システムを用いてグループワークやペアワークを行うことがほぼ不可能に近い。ZOOMのブレイクアウトルーム機能は、200名までの制限がある。そうすると、小グループを作って受講生同士の交流ではなく、別の方法が必要となる。

本講義で主に用いているのは、チャットである。学生はLINEやツイッターで慣れているためか、口頭で発言を求められると大きな抵抗感を持つが、文字で書くことに抵抗感が少ない世代だと感じる。講義では、開始時にアイスブレイクとしてチャット記入、講義中に質問で2回と最低3回は全員がチャットに入力する機会を強制的に設けている。

同時に、チャットで積極的にコミュニケーションを取ることを推奨するために、褒めに褒めることを徹底している。YouTube LiveやShowroomで、配信者が投げ銭をもらったときに即座に「投げ銭ありがとー」と御礼を言うように、とにかく御礼と称賛を与えている。「今日初めのチャットありがとう!」「質問ありがとう!」「〇〇さん、この質問良いからシェアして良い?」など、講義で話すよりもチャットに応えるほうがエネルギーを費やしているのではないかと思うくらいだ。YouTubet的だと言われるかもしれないが、まず授業に集中してくれないことにはどれだけ良い授業内容でも意味がない。オリエンタルラジオの中田 敦彦が教育系YouTuberとして支持を集めているのであれば、良いところは積極的に取り入れるべきだろう。

慣れてくると、授業中に頻繁に質問が来るようになる。「さっきの用語、わかりにくかったのでもう1度説明してもらえませんか?」「こういう理解をしたんですけど、会っていますか?」など、講義中に質問が来る。また、「この部分、理解できた?」と投げかけると「大丈夫です!」「楽しいです」といったリアクションも返ってきて理解度を確認しながら授業の進行もできる。

毎回、授業の最後10分程度は質疑応答で盛り上がり、次の授業時間になるまで残って議論を続ける学生が何名か必ず出る。本当にひっきりなしに質問が来るので、マシンガンのように回答していく。中には、学生同士でチャットで議論をし合うこともあり、学びの場としてチャットを活用し始めるところが面白い。

尚、人数が40人と少ない授業ではグループワークのためにSpatial Chatを用いている。さまざまなツールを試用したが、グループワークの自由度でSpatial Chatに勝るものはない。


【受講生の積極的姿勢の時系列変化】

どれだけ工夫を凝らしても、90分間の講義で集中力を途切れずに持続させることは不可能に近い。人間が集中できる期間は15分がせいぜいであると言われてもいるが、そうであれば授業中に最低でも6回は集中力に限界を迎えることになる。

そうすると、集中力を保たせるために行動面と感情面で学生自らが積極的に関わっていくように仕掛けを準備する必要があるだろう。

例えば、行動面での積極的な参加を促すために立教大学の中原淳教授が勧めている「突然のマイクオンでの指名」を取り入れている。いつ意見を求められるかがわからないため、学生は講義中に貼りついていなくてはならない。こちらとしても、授業中の緊張感を持たせるためのギミックとして行っていることなので、学生は何を発言しても否定せずに褒めて、協力への感謝を伝える。答えられなくて恥をかかせないように、指名した後に何を質問したのかを繰り返すことで、「ほら、授業聞いていなかっただろう」というメッセージを消すように努めている。対面式だと、固まってしまいまったく答えられない学生が少なからずいるが、オンラインで何も答えられないという学生はこれまでいない。

感情面での積極的な参加を促すために、授業の内容も学生生活に直結した内容をできるだけ使うようにしている。学生の反応を見ていると、経済学部の1年生にとってウケが良いのは「企業の実際の事例」「就職活動」に関連した内容だ。嬉しいことに授業後に個別にメールが送られてきて、1年生でありながら「将来の夢を叶えるために、どのようなことができるか」「〇〇という社会課題に関心があり、学生時代にどうしたらよいか」という相談をいくつも受けている。毎回の授業で出している宿題も提出状況が良く、講義のあったその日のうちに、300人のうち25%の学生がA4用紙1枚程度のレポート課題を提出してくれる。積極的に授業に参加しようと言う感情を上手く引き出せているのではないかと思う。

行動と感情の両面における積極的参加を促すため、課題に対するフィードバックに時間を割いている。講義時間の40%近くを、提出された宿題に対するフィードバックと解説に費やしている。そこでも、基本としているのは褒めるだ。良かった回答を紹介し、基本的には批判しない。批判するのは、あまりにも文字数が少なすぎるなどの様式に関する時だけだ。そのときも、誰がそうかという犯人を晒すことはしない。できるだけ、宿題をこなす労力を割いてくれた学生に敬意を払い、講義の理解を深めるために課題解説の時間を取るようにしている。そのときにも質問は来るので、それにも応える。


結語

正直、授業中に行っている工夫はそんなに画期的であったり、特別なことはしていない。当たり前のことばかりだ。それには、予算や機材などの割けるリソースに限界があることが背景にある。しかし、小さな工夫をいくつも組み合わせることで、学生の学びを促進させることはできるのではないかと考える。

シカゴ大学のリチャード・セイラー教授が述べるように、私たち人間は「ヒジでチョンと小突く」ような些細な刺激から、行動を変えるような影響を受けることがある。ささやかな切っ掛けのもつ力を軽視するべきではない。

限られたテクノロジーであっても、工夫次第で学習効果を高めることはできる。しかし、冒頭で述べたように、そもそも日本の教育は他の先進諸国や新興国と比べてテクノロジーの導入が遅れている。市場としてもできあがっておらず、米国だけではなく、中国やインドにも周回遅れの現状だ。まずはできるところから始め、テクノロジーの活用に前向きになり、周回遅れの現状を巻き返していくことが重要になる。

なにせ、教育とは百年の計であり、王者の振る舞いだからだ。そして、人間の努力は、圧倒的なテクノロジーに勝つことはできない。厳密には、テクノロジーに勝てないのではなく、テクノロジーを活用した人間には勝てない。人類最速の男であるウサイン・ボルトは、原付に乗った大学生よりも速く走ることはできない。現在の状況は、まずは目の前のテクノロジーを活かすことから始め、教育×テクノロジーの分野で一転攻勢を仕掛ける局面にあると言えよう。

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