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ジンベイザメも入れ替わるー引退しないニッポン(下)

会社の寿命は30年という説がある。会社の創業から廃業までの平均寿命ではなく、会社の繁栄は30年くらいという意味。いくら売れた商品・サービスであっても、お客さまに支持されるのはせいぜい30年間。そういう意味で、「会社寿命30年」といわれているが、それは人だって同じ。世代も30年ごとに代わってきた。

1 3つの世代ゾーンをひとくくりしたらあかん

それが変えられないのは
   年寄りが現役から引退しないから
そうしないと、日本は世界に取り残される。もうひとつ、大事な問題がある。日本の社会は、かつてのような「ひとつ」の社会では捉えられなくなっている。

   世代ゾーンでシェアされる
   3つくらいの社会が重層化している

にもかかわらず、高齢者たちが日本のすべてを支配しようとしているが、そんなことは土台できない。これも、日本がダメになった理由

note日経COMEMO(池永)「日本がダメになったたったひとつの理由「引退しないニッポン」(上)」

日本は大きくわけて、3つの世代ゾーンの社会経済でわかれている

25歳までの世代の社会経済
25歳から55歳までの世代の社会経済
55歳以上の世代の社会経済

現代日本は、大きく分けて30年ずつの世代ゾーンが生み出す社会経済が重層化してある。この3つの違う社会経済をひとつの価値観で捉えようとするから、日本全体がごちゃごちゃになってしまう

この3つの世代ゾーンのうち、25歳から55歳までの世代ゾーンが創る社会経済が日本の中核の社会経済・ライフステージであり、この世代が日本の中心的な役割を果たす。その前の25歳までの世代ゾーンは、学びを深めて広げて、自らを鍛えて、次のゾーンにあがっていく。55歳以上の世代ゾーンには、次の社会経済・ライフステージが待っている。それを、新たに切り拓いていく

それぞれの世代ゾーンを越えるごとに、新陳代謝を起こし、日本社会経済全体を発展させていかないといけないが、真ん中の世代ゾーンに滞留しつづける人が増え、新陳代謝を停滞させている。これが現代日本の課題

ではどうするのか?それぞれの世代ゾーンごとに、結界のような、ここには入ってはいけないというような「線」をもうける。その線は、目に見える規制ではないが、そこには入ってはいけない、その年齢になったら、自主的に、そこから出ていく、そこを出て次の世界を一所懸命に生きるという世代交代、世代観に戻す

それぞれのゾーンごとに、交代時期をもうける。55歳を超えたら、25歳から55歳の世代ゾーンに任せ、次の社会経済を生きる。25歳までの世代ゾーンも、自分たちの社会経済を生き、次の世代ゾーンに向けて一所懸命に学ぶ。

政府が統一的な制度をつくるというのではない。そもそも、政府がなんでもかんでも社会経済を仕切ろうとするから、おかしくなる。政府の役割は、社会経済システムが暴れないように、間接的にサポートすること。にもかかわらず、ぐいぐいと引っ張る存在として自らを位置づけようとするから、政権を高齢者たちが握り、25歳までの社会経済や25歳から55歳までの社会経済も日本の社会経済すべてを仕切ろうとしている

どうころんでも、70歳台80歳台の人が、25歳までの世界の気持ちが分かるわけがない。若い人たちは、70歳、80歳の高齢者が描く世界観は

意味わからん、訳わからん

…と感じていた世代間の価値観・意識の乖離が、以下の日経の「縮小ニッポン 私たちの本音」の男女1000人アンケートで浮き彫りになった。とても衝撃的な世代間乖離が日本社会経済に広がっていることに気づかされる

2 分を弁えない人たち

それぞれの世代ゾーンごとに、線があって、世代ゾーンの線を越えたら、元の世代ゾーンにとどまらない。次の世代ゾーンの年齢になったら、前のゾーンには戻らない。次のゾーンで頑張る。そういう感性を持って、新陳代謝を起こさないと、日本社会経済は強くならない

定年退職して、引退しても、「いばって」いる人が多い。定年退職するということは、ゼロクリアすること。いったんそれまでをゼロにしたうえで、新たな自分の「分限」を得て、それを自分の「本分」にして「存分」に発揮して生きることが本来である。

しかし自らの「分限」がわからない人が多くなり、日本は「無分別」時代となった。自らの「分(役割)」を認識せず、「分」を弁えなくなった。それは高齢者だけではない。自ら稼いでいない高校生や大学生までが「ブランド品」を欧米に行って買い漁るようになっている。「分」を弁えない、まさに「分不相応」である。

イタリアの若い子の多くは、ブランド品を持っていない。そもそもブランド品をもちたいと思わない。なぜか?大人になって自分で稼いで、買えるようになって買うものだと思っている。

note日経COMEMO(池永)「一生チャレンジする人、「分」を弁えない人」

にもかかわらず、70歳を超えてもまだまだ、80歳を超えてもまだまだ、若いものには任せられない、経験豊富な私でないと、この国は、この会社はまわらない、ダメになるといったりする人もいるが、いつまでも既得権益にしがみつこう、守ろうとする理屈のように思える。それは

実力社会であるスポーツの世界や
動物の世界に比べたら、とても異質

江戸時代の隠居の相談は、年に1回あるかないか。トラブルがあった時くらいしか、相談にのらなかった。そもそも隠居には、隠居の「分(役割)」があった。やることがいっぱいあった。しかし令和の時代は江戸時代のような時代ではない、複雑で難解な時代になったので、経験深い私がこの会社には必要だと言って、居残りだす人が増えた

たまに先輩、ちょっと教えてくださいと言われてアドバイスするのはいい。しかし年配者は、若い人の邪魔をしてはいけない、押し付けるのはよくない。「あくまで参考に」とのスタンスでなくてはいけない。決めるのは、現役の人たち、若い人たちである

にもかかわらず、「やはり君たちには私が必要だろう」と、自分たちの存在意義(レゾンデートル)を主張して、権限を行使しようとするから、おかしくなる

かつて「分を弁えよ」という言葉があった

そもそも、世代ゾーンの線を越えた人がそこにいる限り、前の組織はその人がいた時代以上のことはできない、その人以上には組織は強くなれない。その人が体験してきたことには

本質はあるだろうが
今の時代には100%は通用しない

そのことに、気がつかないといけない

3 あなたにも、20歳台、30歳台、40歳台の頃があった

今までならば考えられなかったような事故や事件が増えた。そのなかに、高齢者が絡む事故や事件が多い

静岡県の幼稚園の通園バスの事故についての高齢の理事長兼園長の言葉は、若い保護者たちに、どれだけ伝わっただろうか?おそらく若い世代と噛み合っていなかったではないか?それぞれの世代ゾーンが生きてきた時代背景がつくりだす価値観の違いが、違和感を広げる

この理事長兼園長は73歳。この年齢で、理事長兼園長をしていることにも驚いた人も多かっただろう。また、この理事長園長以外に、通園バスを運転する人がいなかったのか?ということも

高齢者ではなく、若い人が通園バスを運転していたならば、このような間違いは起こらなかったかもしれない。しかし幼稚園は若い人を雇えない経営環境だったかもしれない。そこにも、事故発生の論点がある

高齢者が慣れない通園バスを運転していたことだけが問題ではなく、保育や介護が社会的に重要と言われながら、保育士や介護士にとって厳しい労働環境なのが真の課題かもしれない

とはいえ、高齢者がすることで、若い人だったら起こらない間違いが起こる可能性がでてくるのも事実

若いやつに任せると間違えるという人がいるが、戦後復興の立役者たちも、若かった。だからできないことはないはずだが、コロナ対策のなかで責任者として登場してくるのは、年寄りが多い

なぜそうなるのか。年配者が何かを言ったら、みんな文句がいえなくなるという日本社会の構造を利用している。若い人をトップに据えたら、みんなから意見や反論が出て、収拾がつかなくなることをおそれる。だから年寄りという「権威」を使って、黙らせようとする。シナリオどおりにまとめようとする。だから今までどおりでいこうとする。だから変えない。だから変わらない。それが停滞する日本の構造的課題

それがコロナ禍の日本を誤った方向に進ませている。その人でだめだったら、“できる人”に交代するというのが世の中の原理原則で、社会の進歩の最前線に立つ人を登用すればいいが、なぜか交代させない

なぜ交代させないのか?もめたくないからだ。もめないで穏便におさめたいから、日本人は「楽」をしようとする。だから「権威」に依存したり、世の中的に「偉い」という記号を持つ人を前に立たせ、話をさせ、それでなんとか収めようとする。若い人のほうがはるかに進んでいることはわかっているが、若く有能な人は「本当のこと」をいってしまう。そうすると、場が紛糾して収拾がつかなくなり面倒くさくなるので、若い人を前に出さないようにする

だから「場を収める」体制にしようとする。だから先延ばしにする。だからいつまでも解決しない。だから深刻さがさらに増していく

note日経COMEMO(池永)「なぜあなたはネクタイをしめるのか」

ではどうするのか。世代ゾーンの線を越えたら、若い人に代える。それは、自分たちがたどってきた道。30歳台、40歳台のやつらには任せられないと言うかもしれないが、年寄りの人にも20歳台、30歳台、40歳の時代があった。

フランスの飛行士サン・テグジュベリが書いた「星の王子さま」の有名な冒頭の言葉を思い出すーおとなは、だれも、はじめは、子どもだった。(しかし、そのことを忘れずにいるおとなはいくらもいない)

私も、世代ゾーンの線を越え、引退して、現在、次の世代ゾーンで生きている。

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