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過去を向いた教育ではなく、未来の可能性のための教育にしていこう 〜『教育と愛国』と『成長戦争』の比較から

お疲れさまです。uni'que若宮です。

今日は久々に「教育」について書きたいと思います。


過去を向く『教育と愛国』の違和感

先日、『教育と愛国』という映画を見てきました。

「愛国」という言葉があるように、政治的なテーマも半分入っていますが、日本の教育の問題について、改めて考える機会になりました。。。(教育に携わる方は是非みてほしいです。そして問題だと感じたらなにか変えるアクションをとっていきましょう)

最も違和感を感じたのは、その中で

教育はちゃんとした日本人をつくること」という言葉が繰り返されていたことです。

「ちゃんとした日本人」を「つくる」。

工場のように成形して「つくる」という思想。これは大人や国が子供をコントロールしようとすることであり、全く子供たちの可能性を信じていないように僕には聞こえます。


そしてもう一つ、教育「再生」という言葉が沢山使われます。この言葉も日本の教育が過去に向いている証左だと強く感じました。

日本の歴史教育では「歴史修正主義」の傾向が強まっています。

具体的にいうと、日本国や旧日本軍に都合の悪いことが教科書から消えていっている。かつては教科書に掲載されていた内容が教科書検定による「言葉狩り」で修正を指示され、記述自体が消えている。(もちろん、歴史とは研究によって変化していくものなので教科書の記述が変わることはあります。しかしこのケースでは研究結果によるアップデートではなく、国際認識とも逆行した内容へと政治的な圧力によって変えられているのが問題なのです)


過去を「正当化」し、子供たち(=未来)の可能性を信じずに、むしろ過去に合わせて指導し型にはめようとする(「ちゃんとした」を「つくる」)。日本の教育は過去に向いているのだと感じます。


合わせて読みたい、未来に向かう『成長戦争』

ちょうど同時期に『オードリー・タン 母の手記『成長戦争』 自分、そして世界との和解』という本を読んでました。

この本は、台湾のデジタル担当大臣・オードリータンさんのお母さん、リーヤーチンさんの著作を元に近藤弥生子さんが書いた日本版の書籍です。

この本めちゃくちゃいい本なのでいま子育てしている方はマジで全力でぜひ読んでほしい。(成長「戦争」というタイトルがミスリードですが(このタイトルはリーさんご一家も誰も気に入っていない、と文中解説があります)、楚々としたとてもあたたかい本です。本を読んでいて目頭が熱くなる家族のことばがたくさんあります)


オードリータンさんといえば「IQ180の天才」で有名ですが、まじで神なの?とおもうような人格者で、彼女の考えるテクノロジーはとても温かく、僕が最も尊敬している方の一人です。(オードリーさんのTwitterに貼られているジョブ・ディスクリプションを読むだけでもそれが分かると思います)

When we see “internet of things”, let’s make it an internet of beings.
When we see “virtual reality”, let’s make it a shared reality.
When we see “machine learning”, let’s make it collaborative learning.
When we see “user experience”, let’s make it about human experience.
When we hear “the singularity maybe near”, let us remember: the plurality is here.

そんなオードリーさんですが、幼少期は画一的な「学校」の仕組みに馴染めず、ひどいいじめにもあっていたりして、決して順風満帆に優等生として育ったわけではありませんでした。そのせいで(今のオードリーさんからは想像もできないのですが)家族に激しい感情や言葉をぶつけたり、死を口にすることもあったそうです。

当時の台湾は日本以上に管理型の教育。オードリーさんは学校に行かないことを選んだのですが、なんと当時の台湾では学校を休ませると親に国から罰金が課せられるシステムだったという…。

リーヤーチンさんはオードリーさんの子育てを経て、後にオルタナティブ教育の場である《種の親子実験小学校》をつくるのですが、当時の台湾の教育はいまの日本と同じかそれ以上に希望のないものだったそう。

「台湾の教育には絶望する」――筆者自身、保護者たちからも、若い友人からも、そんな言葉を何度も聞いたことがある。 「変えることなどできないから」と、海外へ留学する台湾人も少なくない。問題がどこにあるのかは分かっていても、根本が複雑すぎて、一朝一夕で変えられるようなものではないからだ。そんな中、この学校の誕生は1つの大きな希望だった。

『オードリー・タン 母の手記『成長戦争』 自分、そして世界との和解』

当時の管理型教育との狭間で、オードリーさんのご両親が壮絶な悩みを抱えながら、それでも子供の可能性を信じ、子供を第一に寄り添っておうともがく姿が描かれています。

そこにあるのは『教育と愛国』とは真逆のあり方。子供を大人に合わせようとするのではなく、子供のために大人が悩みながら一緒に変容していく姿です。

リーヤーチンさんと夫の唐光華さん(オードリーさんの両親)だけではなく、というかそれ以上にオードリーさんの祖父母からみると学校に行かないという選択は受け入れ難かったようで、家族の間でも葛藤や衝突が沢山ありました。

しかし、それも乗り越え、やがて祖父母も考えが変わっていきます。

学校設立の初期、様々な批判を受けることになった時にも、義母は『あなたが創ろうとしている学校は、みんなが分かるものではないんだよ!!昔の私たちもあなたを誤解していただろう?』と言って、私を慰めてくれた。
また、義父母は子どもに無理強いをしないよう、周りの人にアドバイスするようになった。
『子どもの面倒はしっかり見ないといけないけれど、うるさく言ったり、叩いたらダメだよ』
『子どもには子どもの幸せがあるんだ、私たちは心配しすぎたらいけないよ!』

『オードリー・タン 母の手記『成長戦争』 自分、そして世界との和解』

一度は理解できない、と分断しかけた祖父母に「みんなが分かるものではないんだよ!!」「昔の私たちもあなたを誤解していただろう?」そう励まされた時きっと本当にうれしかったことでしょう。

リーヤーチンさんはこう書いています。

義母が電話で親戚や友人たちにこう言っているのを聞いて、私はいつも思っていた。『これまでの歳月、子どもたちは私たち大人にどれだけのことを教えてくれたんだろう』と。
愛と内省の心がありさえすれば、どんなに歳を取っても、強い偏見があっても、必ず同じ道を行く友人になれると信じている。

『オードリー・タン 母の手記『成長戦争』 自分、そして世界との和解』(強調引用者)

そして一家の試行錯誤はやがて台湾の教育自体にも影響を与えていきます。台湾の教育に馴染まないオードリーさんは中学校を前にドイツに行くことになるのですが、一家は帰国後にドイツの教育と台湾の教育について小冊子を書いています。

聞くところによると、この小冊子は新聞局(筆者注: 政府機関内のニュース局)から『年度のおすすめ』としてご紹介いただいたそうだ。このような深く繰り返される教育の反省の記録が政府機関に肯定されるというのは、政府が教育の改善に対して開かれているということだと思う

『オードリー・タン 母の手記『成長戦争』 自分、そして世界との和解』(強調引用者)

「台湾の教育には絶望する」かつてそう言われた台湾の教育も、こうして開かれている限り変わっていけるでしょう。


教育は過去と未来、どちらを向いていくのか?

過去を向き、未来をそれに合わせて「作る」という日本の教育。

子供との葛藤に悩みながらも、子供たちの可能性を信じ、大人の方が自分たちの方が間違っていたのではと内省し、変わっていこうとする台湾の教育。

僕はこの2つを対照して、「ああ、日本は自信がないのかもな」と思いました。

以前、こんな記事を書きました。

上記の日本と台湾の比較でいうと、日本の教育は、過去が偉大だと「慢心」し、過去の過ちを認めず、変化しようとするどころか未来の可能性を塞ぐ、「慢心」から「卑屈・卑下」へと下る負の傾きであるように思えます。(『教育と愛国』の「歴史から学ぶ必要はない」という東大名誉教授の言葉はまさに「卑屈」だと感じました)

これに対し、『成長戦争』で描かれるリーヤーチンさん一家の、そして台湾教育の変化は、過去を「内省」「反省」し、子供=未来を信じる、「謙虚」から「自信」への正の傾きです。


(VUCAと言われる時代ではますますそうですが)そもそも子供の可能性というのは前の世代の大人からは推し量れないものではないでしょうか?(大人はいつの時代だって「最近の若者は」と言いますし「子供は分かってない」と言います)

その可能性を信じるということは、自分たちの当たり前を押し付けず、むしろ自分たちの方が変化する機会と捉えることです。こちらの植松さんの記事も示唆深いので貼っておきますね。

ところが、今の時代のことを知っている子たちに対して、昔の常識と世渡り術を教えている人があまりにも多すぎるということなんです。僕たち大人は、うっかりしておくと、昔の教育しか受けていないんです。
・・・(中略)・・・
今の時代のことを知っている先生、子どもたちが社会に出ていく10年後の未来を見通している先生たちがもっと増えてくれないと、子どもたちは苦しくなるばかりだろうという気がしています。

教育は、過去を正当化するためや未来を過去に合わせて矯正するためのものでもなく、未来の可能性を信じ・開くものだと僕は考えます。

わたしたち大人がすべきことは子供たちを「指導」したりを「しつけ」たりしようとすることではなく、その可能性を信じ、開花するようにサポートすること。そしてその過程でむしろ自分たちが変容することこそが重要なのではないでしょうか。

『教育と愛国』と『成長戦争』を比べると「だから日本の教育はだめなんだよ…」と失望してしまうかもしれませんが、僕が言いたいのはそういうことではありません。台湾がたった「絶望」と言われた教育を数十年で変えていきつつあるように、日本の教育もこれからきっと変えていくことができる、そう思うのです。

(少なくとも、こうした映画がまだ放映できたり、権力者がこうした批判的なドキュメンタリーの取材に答えてくれているうちは、まだ望みがあります)

大人のみなさん、未来のために教育を変えていきませんか。

(本記事には政治的意図はありませんし僕は特定の支持政党もありませんが、未来のためには選挙も大事です!!みなさん選挙行きましょうね!!
明石市泉さんのように子供を真ん中にする政治や、

未来のために、「投票権」をただ捨てるのだけは勿体ないのでやめましょう!!)


ーー告知ーー
こうした教育への問題関心から、ワーママはるさんこと尾石晴さんと『成長戦争』の著者でもある近藤弥生子さんにお声がけをしたら、なんと「子供の創造性」をテーマにしたトークイベントが実現しました!

リスペクトするお二人との鼎談、すでに500人近い方に申込みいただいており、教育への関心の高さを改めて感じております。申込者にはアーカイブもお送りしますので、興味ある方はぜひどうぞ。


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