広告(AD)・広報(PR)から「共鳴(CR)のマーケティング」へ
お疲れさまです。uni'que若宮です。
今日はこれからますます重要になると考えている「共鳴のマーケティング」について書いてみます。
スタートアップのプロモーションの罠
スタートアップや新規事業ではプロモーションをあまり早くしすぎてはいけない、と言われます。
なんとなれば、実力が伴っていないうちにブーストしてしまうとネガティブプロモーションになったり、本来のユーザーではない「冷やかし」が入ってしまい、それがノイズになってサービス利用実態の分析が難しくなったり、あるいはユーザー・コミュニティが壊れてしまうことがあるからです。
サービスのローンチというのはやっぱりテンションがあがりますし、プレスリリースを出したりメディアに広告を出したりして「スタートダッシュ」をキメたい、という気持ちにもなります。
記事がバズった!取材きた!というのはたしかにうれしいのですが、その後には「悲しみの谷」がやってきます。わーっと入ったユーザーはわーっと離脱していき、結局は実力値のユーザー成長に落ち着き、「あの盛り上がりはなんやったんや…」と涙目になります。そして「観察」がいちばん大事な時期にも関わらず一過性のノイズのせいでユーザーの行動や提供価値の本質を見誤ってしまうこともある。(プロモーションに意味がない、とはいいません。時期が大事で、あくまでしっかり自分たちの提供価値やユーザーのことがわかってからブーストのためにやりましょうね、という話)
それでもユーザー数に反応があればまだマシかもしれません。○R Timesとか@○ressとかにプレスリリースを打ってもユーザー数はほぼほぼ無風なのに営業電話だけ300%増です!みたいに不要なKPIだけハネることも…
インフルエンサー・マーケティングの罠
これに似たものにインフルエンサー・マーケティングの罠があります。
2010年頃から、ブロガーやフォロワーの多いSNSアカウントをもつ「インフルエンサー」を集め、商品の訴求を請け負わせる「インフルエンサーマーケ」の会社も増えてきました。
プレスリリースを打つとわらわらと湧いてくる営業の電話の半分くらいはインフルエンサーマーケの会社だったりするのでw(後は人材紹介4割とオフィス賃貸1割)、沢山そういう会社があるということは企業からのニーズもまだ一定あるのでしょう。
しかし僕自身は、今の時代にインフルエンサーマーケが効果的かというとかなり懐疑的です。とくに「職業インフルエンサー」になってしまうとほとんど効果がないか、あるいは余計なノイズになってしまうことすらあると感じます。
インフルエンサー・マーケティングが注目されて来た背景には、消費者にマス広告が効かなくなってきたことがあります。
そもそもマス媒体に接触する人が減った、というのもありますが、消費者も情報をインターネットで入手できるようになり賢くなっているので、企業側の一方的な美辞麗句の「宣伝文句」はそもそも信用されづらくなってきています。宣伝広告では実際の商品の良いところだけを言ったり過大に美化したり…(チューリップだけど「バラ」のように語る)
また、マス型の広告では関心がないものをおすすめされることも多いのですが、興味関心に関わらず全員に向かって街宣車のように情報を喧伝します。情報が溢れかえる今では、関心がない情報は価値がないどころかむしろ邪魔です。その証拠に、YouTubeやSpotifyは「広告」を暗に「邪魔もの」扱いしており、「広告のない快適な利用のために課金しよう!」と誘導されるのです。
こうして「広告」が消費者に届かなくなる中で、「広報」の重要性は増してきたように思います。企業側からの1wayの宣伝文句ではなく、提供者ではない中立な視点で書かれた記事や情報の方がより信頼できる、というわけです。
語源的に「注意を向けさせる」という意味の「広告Advertisement」や「(購買を)促進する」という意味の「Promotion」では、企業が意図したように消費者を動かそうとする一方的な仕掛けなのに対し、「広報」とは「Public Relations」であり、消費者や社会との関係を構築する、双方向的なものです。
インフルエンサーによるサービスの紹介も、本来こうした企業と社会との双方向的で信頼できるコミュニケーションなはずですが、そこにはいわゆる「ステマ」による汚染もあります。
「ステルス・マーケティング」とは「広報」をよそおった「広告」です。そもそもこのように広告が「ステルス」になり、広報に擬態したということが、いかに「広告」が効かなくなり、「広報」の重要性が増したか、ということの一つの証左でしょう。
しかしこうした「ステマ問題」によってインフルエンサーマーケも実は信用ならないということがバレはじめ、その効果は下がってきたように思います。生活者はインフルエンサーが自分自身の声を発信しているのではなく、時に企業の「広告塔」にすぎないことを理解しました。
中にはそのインフルエンサーがその商品を本当にいいと思って発信していることもありますし、そういう場合にはちゃんと熱量が伝わるものですが、そうではない単なる「ビジネストーク」は見抜かれるようになってきたのです。
「広報」の課題
「ステマ」問題では、インフルエンサーからの投稿に「#PR」「#AD」「#広告」「提供:●●社」などを明記することが求められます。
ここで注意していただきたいのは「#AD」だけでなく、「#PR」というタグが入っていること。本来、広告と広報はちがうはずなのですが、インフルエンサーマーケティングではそのどちらもが同じような意味で使われています。
「広告(AD)」と「広報(PR)」は本来違うものですが、金銭の提供を受けていると、中立だったはずの発信者は「企業の代弁者」となり、実態としてはプロモーションと変わらなくなります。これはインフルエンサーマーケに始まったことではなく、メディアが広告主から「記事広告」(いわゆる「ペイドパブ」)としてお金をもらって(通常の取材記事をよそおって)発信をすることは元もありましたが、インフルエンサーの場合、「いち消費者の生の声」のようによそおうので、さらに「誤認」されやすい。
僕自身はこうした記事は本来、「#PR」ではなく、「#AD」と表記すべきだと思っていますが、さきほど
とあったように、「PR」もすでにあまり信頼されなくなっています。インフルエンサーの投稿でも「ペイド」のものはエンゲージメントが低いことがわかっています。
また、広告のように一方的な発信ではないにしても、「PR」でもメディアによる「拡声」がされます。
この過程で、不十分な理解の情報が拡声機で語られたり(チューリップなのにひまわりだと言われる)、その「声の大きさ」のせいで街宣車型の広告と同じくみんな(public)に聞こえてしまうので、本来届くべきではない人に届いてしまったりする。
冒頭で述べた初期のプロモーションやインフルエンサーマーケの罠は、本質的に、本来届けたい価値ではないものが・本来届けるべきではない人にも届いてしまう、という問題です。
広報PRの効果はメディア「掲載数」が指標にされることが多いのですが、どんなメディアでも露出できるならした方がいい、というものものではありません。
そもそも「メディア」というのは「間の人」という意味です。自分たちとそのプロダクトやサービスを最終的に届けるべき社会との「間の人」。
社会に適切に声を届けてもらうためには「間の人」の共鳴度が重要です。よくわかっていない人だと誤った情報になったり、批判的なスタンスの人からあえてネガティブな表現をされたり、(PV目当てでセンセーショナルな誇張をするなど)望まない歪曲も生まれてしまいます。
ペイドかノンペイドか、というだけではなく、メディアが本当に共感して商品を紹介してくれるときには、その発信も共鳴度が高く正しく情報を伝えてくれるのでとても効果が高いでしょう。
「共鳴(Community Resonance)」へ
とくにプロダクトの初期には、一方的な街宣のようなADは適さず、またPublic Relationsでは「間の人」の共鳴度が大事だという話をしました。もし「間の人」の共鳴度が高ければ、伝えられる「内容」は適切で効果的なメッセージになります。しかしさらにいうなら、その内容を誰に届けるか、ということも大事です。広報により、とくに声が大きいメディアにとりあげられると、「拡声」効果によって不用意に「みんな(Public)」に伝わってしまうことになります。
ここで試みに、一時にPublicに伝わるものではなく、一部の共鳴者にのみ伝わっていく広報のあり方を「CR=Community Resonance」と呼んでみたいと思います。
Resonanceとは「共鳴」のことです。共鳴がおこれば音はさざなみのように広がっていきます。そしてこの時に重要なのは、「拡声」とはちがい共鳴の場合には、波長の近い共鳴度が高そうな人に”だけ”伝わっていくということです。
逆にいえば、共鳴しない人には知られない。「拡声器」をもって「みんな」に大きな声でではなく、むしろ仲間にだけ耳打ちして伝えていくような秘密結社的なコミュニケーションです。
自分らしいバリューをわかってくれる人が共鳴し、それをわかってくれそうな人にだけおすすめしていく。そこでは意図的な「美化」や誤解による「歪曲」はなく、深い「理解」と「愛着」によってつながりが紡がれていきます。「公衆Public」にいきなり伝えるのではなく、共鳴のつながりの中で、コミュニティが生まれ、育っていく。(NFTなどトークンエコノミーの可能性も本質的にはこうしたCommunity Resonanceにある気がします)
そして共鳴はさざなみのように徐々に広がりながら、やがて社会を鳴らしていくのです。
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