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【イベントレポ】新しい時代の働き方のヒントはアートとサッカーにある!?

1月8日、青山ブックセンターでトークイベント「アートとサッカーから学ぶ、自分らしい働き方」が開催されました。


登壇されたのは、COMEMOのKOL(キーオピニオンリーダー)uni'queCEO/ランサーズタレント社員の若宮和男さんと、元KOLで仲山考材株式会社代表取締役/楽天大学学長の仲山進也さんです。


今回のイベントは、若宮さんの新刊「ハウ・トゥ アート・シンキング 閉塞感を打ち破る自分起点の思考法」と仲山さんの新刊「サッカーとビジネスのプロが明かす育成の本質 才能が開花する環境のつくり方」の出版を記念して行われました。モデレーターはお2人の共通のご友人でもあり音楽プロデューサーの濱田織人さん。若宮さんと仲山さんがお互いの本を読んだ感想や質問をお互いに投げかけながら話が進められました。「アート」と「サッカー」という異色のコラボでありながら、たくさんの共通点が見えました。


■天才は育てられるのか?

(若宮)ーーー
じゃあ、僕から先に本を読んで聞きたかったことを言いますね。僕の中で「育成」とか「教育」というのはかなり関心が高いものなんですけど、日本の教育とか企業の中での人材育成って、個性を潰しがちな気がするんです。この本の第1章のタイトルに「天才の育ち方」と付けられていますよね。普通は「育て方」だと思うのですが?

(仲山)ーーー
この本の最初のページに「人を“育てる”から“育ちやすい環境を作る”へ」と書いてあるんですけど、実は一番最後にここを書き足しました。「これだよな」って思って。僕は、人は育てられないと思っています。

僕は楽天で20年くらい、楽天市場に出店している人たちと「遊ぶ係」をやっていました。これは世の中的な表現をすれば「教育事業」みたいなことだったわけですけど、僕の立場からするとこれは非常におこがましいことなんですよね。ネットショップへの出店は初めてとは言え、10年も20年も商売をしてきた大先輩たちに対して「人を育てる」というのは。

だから自分の中では「育てる」というよりも「育つのを伴走する」というイメージでした。

(若宮)ーーー
本の中に、「天才」というのは「努力の天才」であって、楽しみながら努力を続けられる人が「天才」になると書かれているんですけど、そもそも「天才」って育てることができるんですか?

(仲山)ーーー
今回の本では菊原志郎さんという方を紹介しているのですが、志郎さんは東京ヴェルディの前身の読売クラブ時代に活躍していた選手で、15歳でプロデビュー、16歳で日本リーグデビュー、その後日本代表にもなった「天才ドリブラー」と呼ばれていた人です。その志郎さんが「どうやって育ったのか?」という話を聞いていたら、お父さんが超絶ユニークな人だったということがわかって(笑)

例えば小学生のときには、家の前にあった100段くらいある階段をドリブルで20往復してから学校に行くように言われて、それを毎朝やっていたそうです。最初は「やらされ感満載の状態」で。でもなんでそれをやったかと言うと、単純にお父さんが怖かったから(笑)嫌だと言ってやらないという選択肢はなかった。とりあえず言われたことはやる、という感じだったそうです。

(若宮)ーーー
志郎さんの場合は、そのことでサッカーの才能が開花したからいいと思うんですけど、全然違う場合もあると思うんですよ。やらされて潰されて終わる人も、結構いると思うんです。

(仲山)ーーー
志郎さんは「やっているうちにだんだん楽しくなった」と言っていました。最初はつらくても、いろいろ工夫して上手くなって、楽しいと感じるところまでやったってことですよね。

実はサッカー以外にも、子供の頃はいろいろなことを自分の意思とは関係なくやらされていたそうなんです。空手、スキー、卓球、歌。お父さんは「15歳までにオレのすべてをお前に伝えるから、あとは自分で選んでやれ」という教育方針だったそうです。

志郎さんは階段ドリブルが自分の基礎を作ったと言っていました。あれをやっていなかったら「天才ドリブラー」と呼ばれるようなことにはならなかったと。僕は「天才がどうやったら育つのか?」ということについては「やりすぎた人」だと思っています。他の人が「もうこれでいいかな」と止めてしまうところを、もうちょっと「やりすぎる」ことによって大きな差が出るということなんだと思います。

(若宮)ーーー
それすごくよくわかります。僕は娘が2人いて、今ちょうど「何をやりすぎればいいのかを探している段階」なんですよね。

何かをやらせることは選択肢を与えているように見えて、実は、時間に制限がある中でその人の可能性をオキュパイしていることにもなると思うんです。「いろいろやらせてる」って言っても無限にやらせることはできないので、その段階で絞っているところもあるじゃないですか。しかも、自分のことじゃなくて相手のことですから、相手をよく観察しないとダメですよね。

(仲山)ーーー
志郎さんの場合は、とにかくいろいろなことをやって、どこかから芽が出てくるだろうという感じだったそうです。最終的に「オレ、サッカー好きだな」になったということですね。

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■どうしたら夢中体質になれるのか?

(若宮)ーーー
今日は多分、企業で働いている方とかマネージャーの方とかもいらっしゃると思うんですけど、僕の大企業時代を振り返ると、ジェネラリストを養成すべくかなりジョブローテーションをさせられたんですよね。いろいろなことを経験しているという意味ではいいんですけど、結局何もできない人が大量に生産されているということが、実際には起こっています。

志郎さんのような「天才が生まれた」という表面的なやり方だけを真似しても、うまくいかないんじゃないかと思います。うまくいく場合とうまくいかない場合の境目は、どこにあるんでしょうか?

(仲山)ーーー
志郎さんの歩んだ道を見ていると「夢中体質」なんだな、と思います。自分で勝手にどんどんやっていくタイプです。それに合わせて能力が上がっていく。だから、育つ環境を作る側としては「夢中体質」にしてあげられるかどうかが大事だと思います。

(若宮)ーーー
アートの世界で考えると、例えば美大なんかではきちんとデッサンをやるんですよね。ひたすらやるんです。志郎さんの階段ドリブルのようなことです。描いても描いてもこれが自分の表現なのかどうかわからない、というところに必ずぶつかって、そうやって自分の表現を模索するようになっていきます。

ただ、アーティストはもともと独自のものを出すことが求められているジャンルなので、書き直しまくって、捨てまくって、自分の表現を見つけていくことを繰り返すような「夢中になれる」環境があるかもしれません。

(仲山)ーーー
多分、企業とかはそうなっていないし、実は育成の現場もそうなっていないことは結構あります。

僕が横浜マリノスにいたとき、小学生向けのスクールがあったんですけど、そのスクールコーチからこんなことを言われたことがありました。「学長(仲山さん)の話を聞くまでは、子供たちが私の言ったことをきちんとやっているかどうかを見ていたんですけど、最近はその子が夢中でやってるか退屈そうにしているかを見るようになった」と。それを聞いて、天才が育つ環境を作ることって、それだけのことでいいのかもしれないなと思いました。

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■アートを難しく考えすぎ!

(仲山)ーーー
じゃあ、今度は僕から質問なんですけど、先に読んだ感想から言いますね。「なんだ、アートの見方ってそんなんでいいんだ、早く言ってよ」という感じでした。ホッとした感じでした(笑)苦手意識をもってたんで。

(若宮)ーーー
そう言われることが本当に多くて(笑)いわゆる固定概念みたいなもの、例えば会社での役職とか、本来の自分とは関係のないものに多くの人が捉われすぎているんです。それをどんどん剥いでいって本来の自分に出会い直す、というようなことをこの本には書いてるんですけど。みんなアートをとにかく「わからないこと」だと思っているんです。

(仲山)ーーー
何を見たらいいのかが「わからない」んですよね。

(若宮)ーーー
アートって「わかんなきゃいけない」っていう変なプレッシャーを感じている人がすごく多いような気がします。そもそも答えがないのがアートだし、どう読んでもいいし、100人が100通りの違う解釈をしていいのに。美術館に行くと、作品よりも隣のキャプションを見ている時間のほうが長い。この作品は「こう読まなきゃいけないのかあ」ってなってるんですよ。

「美」っていうのが「ねばならない」になって、教養としてアートを理解できていなければならないと考えるのは、僕はあまり意味がないなと思っています。もっと遊ぶ感じでいいと思うんですよ。

「ロジカルシンキング」「デザインシンキング」「アートシンキング」を考えるとき、「ロジカルシンキング」と「デザインシンキング」は、みんなを同じ方向に引っ張っていくところがあるんですよね。ロジカルに考えればみんなが同じところに到達できるのがロジックだし、デザインも、例えばドアのノブがあったら誰に教えられなくてもみんなが引くようになっているのがいいデザインだし。

でもアートは、出会ったときにみんなが全然違う方向に向かっていく。それでいいんだというのが基本にあって、「こう読まなきゃいけない」ではなく、違いを増やす方向にいくのがいいんですよね。だから、この本を読んだ感想として「自分の見方でアートって見ていいんだ」とか「すごくホッとしました」とか言われて、そんなにハードルが高いんだ、と思いました。

(仲山)ーーー
多分、小学校の通知表で、図工のところに「2」とか「3」とか付けられた時点で、「もう何も言えねーな」ってなりますよね(笑)でも今の話を聞くと、別に正解があるわけではないから、先生だって評価のしようがないもののはず。それを無理やり評価することで芽を潰してるなら、それはもったいない感じがします。才能が開花しない環境の作り方みたいで。

(若宮)ーーー
それで言うと体育も「2」って付けられるとへこむじゃないですか。でもサッカーとかスポーツのスキルは、頑張ればある程度量的に増えていく感じがあると思います。アートは比べることがなかなか難しいので、技量としてうまいというのはあると思いますが、「これなんかいいよね!」っていうのを比べて評価するのは難しい、ただの違いなので。だから、より正解に近い点数付けのようなことには、馴染まないと思います。

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■アートとサッカーからビジネスを学ぶ

(仲山)ーーー
サッカーをやっている人がみんなこの本に書いてあるようなものの見方とか考え方になるかというと、全然そんなことはないんです。どちらかというとマイノリティーな考え方だと思います。例えば、アートをやってきた人は、ビジネスをやったときにアート思考のまま仕事ができたりするんですか?

(若宮)ーーー
アーティストにはビジネスシンキングが足りていないところがあると思います。アートシンキングと言うと「自分がやりたいことだけやればいい」みたいに思われがちですけど、他者と完全に切り離された自分だと、全然面白くもないし価値もないんですよね。価値って、自分と他者の掛け算なので。自分のほうが先にないと意味がないとは思いますが、他の人に対しても意味があるものじゃないといけない。そうやって初めて成立するものだと思います。

アート教育では作ることばかりを教えて、「どうプレゼンテーションして届けていくか?」ということが少し足りていないような気がします。

ビジネスパーソンにとっては、この20年って、ロジカルシンキングとかPDCAとかにすごく捉われてきたと思うんです。僕はそれに対するアンチテーゼが必要だなと思っているところもあります。

アーティストは自分に向き合うことをやっていても、ビジネス側が足りていない。これは、売れるものに合わせにいく、ということとも違う話です。「自分だけが作れるもの」という価値に起点はあるものの、社会との接点がないものをやっていてもしょうがない。ここのニュアンスが実感としてつかめている人がなかなかいないんじゃないかなと思います。

(仲山)ーーー
「天才」というのは「努力の天才」で、天才が育つには「夢中体質」になれる環境を作ることだとここまで話してきたんですけど、それは「長続きする」ということなんですよね。夢中に遊ぶような仕事の仕方が長続きする。そのために必要なものは、喜ばれることだと思うんです。

僕はそれを「自己中心的利他」と呼んでいるんですけど。自分がやりたいことをやると、周りの人がそれを「よかったよ」「ありがとう」と喜んでくれる状態を確立する。それを確立しないとただの自己中ということになっちゃうんですけど。この関係性が作れて、それを楽しいと思えるようになると、うまく回り始めるような気がします。

(若宮)ーーー
僕の本の中では、それを「プレゼントを誰かにあげるとき」の話でたとえています。徹底的にリサーチしてこれが一番売れているらしいからあげるのが「ロジカルシンキング」。一緒にいてずっと見ていたらあれがほしそうだなと思ったものをあげるのが「デザインシンキング」。自分が好きなものを自分が好きだからあげたいと思ってあげるのが「アートシンキング」。

みんなが検索して同じようなものを選んであげるような世の中はつまらない。自己中心的な考え方をする「アートシンキング」には当然リスクもあって、趣味が合わずに「こんなのもらってもしょうがない」と思われる可能性もあるけど、その価値を喜んでくれる人に出会うことも大事だと思うんですよね。自分があげたいものをあげるっていうのも、良いことだと思うんです。


■質疑応答

質問:お2人のおっしゃるような考え方は、教育の根本にこそあるべきだと思うのですが、子供たちの頭をどんなに柔らかくしようとしても、学校に行くと固い頭に戻されてしまうんですよね。今は時代の変わり目だとは思うのですが、学校や教育のシステムがどのように変わっていけば、日本は沈まなくて済むと思いますか?

(仲山)ーーー
先生たちに「通知表をつけなければならない」という仕事があるから、そのために「テスト」をやっていて、そのテストをやりやすくするために「正解がある問題」を作っているわけですよね。もし、先生のリソースが無限にあるなら、論文なんかでもいいわけです。それぞれ自由に書いてきたものを先生が見る余裕がないから、正解のある問題を作らざるをえない。だから僕は「通知表っている?」と思っています。

(若宮)ーーー
教育に関しては、僕も極めて強い危機感をもっているので、自分としてもいろいろなアクションを起こしていきたいと思っています。学校教育は、いずれは変わるかもしれないけど、当面は変わらないと思っています。なぜなら「受験」というシステムがあるからです。

これは、学校だけではなくて塾もそうなんですけど、受験のシステムに沿うような教育とは違う教育、よく言われるのは「ティーチャーよりもファシリテイター」のほうが必要だということです。要は、「こうしなさい!」じゃなくて、子供たちの良さを引き出すようなことができる場を、学校の外にどれだけ作っていけるかじゃないかなと思います。

それから、あともう1つ最近思っていることですが、親が教育を消費するのをやめなきゃダメだなと。お金がなくて子供が産めない人が多いから少子化だと言われている一方で、塾に毎月何万円もかけて受験のための通り一遍の教育を子供にしている親も多いわけです。今生まれた子供たちが80歳になる頃には、人口は4000万人を切っているような状況です。そんな社会で「いい大学を出ている」ということが通用するわけがないと思いませんか。それに早めに気づいてお金を別のことに投資したほうがいい。

結局、学校や塾が、民営化したり新しい教育を作るような取り組みをしても、親が消費者としてそこにお金を払って「テストの成績が下がったじゃないですか!」「受験に失敗したらどうするんですか!」と言い出すと何も変わらないと思います。子供たちの未来のために何ができるのかを、今の親世代はすごく考えたほうがいいんじゃないかと思っています。

(仲山)ーーー
そもそも、学校はその先の就職を視野に入れたときに、そういうことを求められるからやっている、みたいなところがあると思うんですよね。会社の中にも「人事考課」ってあるじゃないですか。僕は「あれいる?」と思っています。

「人事考課」は、要するに査定をしなければならないから、少しずつみんなに違いをつけなければいけない。そのために、あらゆる手段で違いをつけてそれを正当化している。ほんとはもっと雑で大雑把な感じでも、全然いいと思うんですよね。

(若宮)ーーー
評価側が、怖くてもそれを「良し」としなければダメですよね。アートもそうなんですけど、売れてる絵とか本を「良し」としていると、結局その業界の重鎮が「良し」としたものが「良し」になってしまって、アートじゃなくて政治になってしまう。「なんなのこれ?」というよくわからないものを面白がるような、マネージメントや評価側、社会全体がそんなふうに変わっていかないと、子供だけを変えようとしても無理なんじゃないかと思います。

質問:世の中に「バカと思われたくない」という恐れのようなものが蔓延しているような気がするのですが、それを取り除かないと、アートシンキングはうまく機能しないのではないでしょうか?

(若宮)ーーー
「バカのほうがいい」って言うと、それはそれで違うような気もします。

(仲山)ーーー
さっき、こういう考え方をもっている人は、世の中にたくさんいないと言っていたじゃないですか。特にビジネスの世界にはいないわけですよね。ってことは、これをちゃんとやっていると変人だと思われちゃいますよね(笑)

(若宮)ーーー
そうですね。それを「バカ」って言うと価値基準が入ってしまっているように思うので、ちょっと違う気がするんですけど。僕の周りにいる「この人、好きだな」と思える人をよく観察してみると、みんな「面白い!」っていうワードをよく言う人たちだということが、あるときわかりました。見たこともないものに出会ったときに「バカじゃないの」とか「なんなのこれ」って言う前に「面白い!」って言えるっていう「面白がり力」があるような気がするんです。「バカだな」って言われたら、「これ面白いっしょ?」って言えるような、そんなカルチャーに変わっていったらいいなと思います。ちょっと価値軸をずらせるようなことができるといいと思います。

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■最後にお2人からひと言ずつ

(若宮)ーーー
今回、本を出してみて一番うれしかったのは、いろんな読み方をしてくださった方がいて、その感想をいただけたことでした。「アートシンキング」は答えをくれるメソッドではなく、「アートシンキング×教育」とか「アートシンキング×地方創生」とか「アートシンキング×新規事業」とか、そうやって掛け合わせていくものだと思います。「アートシンキング」に興味をもってくださっている方といろいろな対話をしていきたいと思っているので、興味のある方はぜひお声がけをいただければと思います。今日はありがとうございました。

(仲山)ーーー
サッカーが面白いのは「手を使ってはいけない」という超理不尽な制約があるからです。手を使えないから足をうまく使えるように練習をする。例えば「会社の中をフラットにしたい」と言うならば、「これやっといて」という指示命令はできないわけです。「これやってもらえないかな?」とお願いして相手がいいと言えばやってもらえる。つまり、指示命令の権限をもった状態のまま「会社をフラットにしたい」と言っている経営者は、その時点でルールを破っている、サッカーで言えば「ハンド」と同じです。「会社をフラットにしたい」なら「指示命令が使えない」というルールを先に作って守らなければいけないということです。そういうことをちゃんとみんなで考えていけば、仕事はもっと楽しくなると思います。

日経COMEMOは、2月19日(水)にアート思考をテーマにしたイベントを開催します。

新著「ハウ・トゥ・アート・シンキング」が話題の若宮和男さんプロデュースで4月からアート思考のシリーズイベントを開講します。その名も「アート・シンキングの学校」。

開講直前のプレイベントの今回は、若宮和男さんがいま最も注目するアーティスト・山崎阿弥さんをゲストに迎え、アート・シンキングを語り、学ぶだけでなく、参加者全員で体感します。詳細はコチラから。


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