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生きるために、必死に生きているのだよね?

人は何かを目的として生きているのではなく、生きるために生きているはずです。だが、目的を言葉で説明できないと現代人の資格がない、と言わんばかりの話が多いなあと思います。

ビジネスのために設定された目的が、いつの間にか、人が生きるための目的に置き換わったような錯覚を与えている。だから、ビジネスの目的達成のために開発された手段が、あたかも生きるための手段であるかのように思い込まされている・・・または、生きるにあたり当然(前提)と思われるものが、ビジネスの手段として喧伝され、すべてが「ビジネス化」してしまう。誰もがもつ創造力なんて、その極端な事例です。

そうした生きることへの基本認識のずれや目的と手段の歪んだ関係が、実は世界に蔓延している分断を後押ししている背景の一つなのではないか・・・ということを先週末からつらつらと考えはじめています。

『世界の危機と分断を、つながりのチャンスと捉えられるか?』というお題を振られたのがきっかけ

きっかけは、11月12日に開催された「100人カイギsummit 2022」のテーマセッション『世界の危機と分断を、つながりのチャンスと捉えられるか?』にオンラインで登壇したことです。

100人カイギは、ある地域やあるテーマに関わる人たちが自分を紹介するプレゼンを100人までやったら解散、とのルールに従って開催されるイベントです。例えば、5人/日のプレゼンが断続的に20日間実施されれば、そこで終わりというフォーマットで、高嶋大介さんが7年ほど前からはじめたものです。彼は、以下のような動機を語っています。

「同じ会社に勤めていても、1度も話したことがない人がいる」ある時ふとこんなことに気づきました。

会社規模も様々ですが、すぐ隣の席の人ですら話をじっくり聞いたことがない。視野を広げていくと、

「同じ建物に多くの人が出勤しているのに、エレベーターで会っても一言も話さない。」

「(私の会社がある)港区にこれだけの人が集まっていても、ほとんど知らない」

「地方で生まれ、地域に根付いた仕事をしていても、意外と接点がない」

と感じるようになりました。

100人カイギのサイト「100人カイギとは」

気づかずにいた分断に気づいたとき、お互いに知り合う場を高嶋さんは作ろうと思ったのですね。その100人カイギのサミットというのが、今回、ぼくが呼んでいただいた場です。

それにしても、えらい難しいタイトルだなと一瞬ひるんだのですが、このテーマは最近のぼくの関心事でもあるので、お引き受けました。ディップ株式会社の宮内俊樹さんのファシリテーションのもと、リアルに登壇されているグローバルシェイパーズ の徐亜斗香さん、オンライン参加のぼくの3人で話しました。

左が徐さん、右が宮内さん©Atsushi Nakamura 

分断はあらゆるところにあるのだが・・・・

3人で話した内容は、田中友美乃さんによる以下のグラフィックレコーディングによくまとまっています。

©田中友美乃

今、分断と称されることは世界の政治、経済、文化のあらゆるレイヤーにあります。地域もどこかに限定されていません。それぞれの分断の軽重を論じること自体が分断の裏返しである、とさえ言えるかもしれません。

さまざまなコミュニティのロジックはそれなりに正当性があるのだけど、それらの正当性をすべて認めていっても「公平で平和な世界とは程遠いじゃない!」というのが、ある程度の数の人たちの正直な声であり、ため息であり、怒りなわけです。

他方、「いや、正当性をちゃんと認めないから、中途半端な状況にしかならないじゃない!」と批判するのが、やはりもうひとつのサイドに一定数います。そして、その中間にまったく無関心の人たちがもっとたくさんいます。無関心層もいつの間にか分断の壁をつくるのです。

人種や宗教あるいはジェンダーにはじまり、更にこまかく区切ったグループやコミュニティが、それぞれに「公平」を求めてきた結果、共通言語を失いつつあります。さらに詳細に言うと、共通言語があっても、その共通言語にさまざまな色が付きすぎ、何を語るにも膨大な注釈をつけないと共通言語になり得ない、というところでしょう。

その代表例の一つとして、マスメディアの言説が支持されづらいという現象があるのだと思います。その一方で、ソーシャルメディアで接する言説が全面的に信頼されているわけでもないのです。一体、どこに信頼をベースにした笑顔ある関係ってあるの?という感じですね。

英情報通信庁(オフコム)のメラニー・ドーズ最高行政官は、ニュースフィードが社会の分断を加速させていることを示す証拠が出ていることに一層懸念を募らせているとフィナンシャル・タイムズ(FT)に語った。また、ユーザーがどのニュースを目にするかを決定するアルゴリズム(計算手法)には世間からの監視の目がほとんど注がれていないと指摘した。

近隣のコミュニティに生きるとは何なのか?

そうは言うものの、小さなサイズのコミュニティで話される言葉が誠実であると思われやすい、との傾向があります。ヒューマンスケールで表現されることには嘘が少ないだろうとの期待もあるのでしょう。言うまでもなく、小さなサイズがゆえに抜き差しならぬこともありますが(家庭や兄弟のなかにでさえ、偽りがないとは言えない)、身体性を伴う圧倒的なリアリティがもつ説得力は無視できません。

100人カイギが地域やテーマとの小さなサイズを基盤とするがゆえにもつ力は大きいと思います。いろいろな地域の100人カイギの方の話を聞きましたが、小さい=閉鎖的ではないことがよく分かります。

さて、このサミットの翌日、ぼくはミラノのADI美術館で開催されたトークショーに出かけました。ソーシャルイノベーションの第一人者であるエツィオ・マンズィーニと社会学者でデジタルプラットフォームなどを研究対象としているイヴァナ・パイスの2人です。

2人は近隣の生活をテーマにした本の共著者です。因みに、ぼくはマンズィーニの本『日々の政治』を訳しています。

左がマンズィーニ、真ん中がパニス

近隣のコミュニティのあり方が問われるのは、人は単一機能の社会では生きられるはずがなく、常に多くの機能をもったうえでの関係価値(どんなに世界で嫌なことがあっても、顔を合わせれば笑顔になれる)がベースになるからです。そして、それには、お互いのケアが求められます。他人をケアするのであれば、必然的に自分もケアされやすい環境に身をおくことになるのです。

活性化したコミュニティなぞを目的としてはいけない

マンズィーニは近隣コミュニティをテーマにしていても、巷でよく使われる表現「活性化したコミュニティ」を目的にしていません。彼が求めているのは、どのようにすれば人間関係構築の確率があがるか?です。その先に何が起こるかは、人が設計できることでもないし、すべきことではないからでしょう。

言ってみれば、ぼくたちは一義的には「共感するために生きているわけではない」し、「ストーリーを作るために生きているわけではない」のです。いわんや「街の賑わいをつくるために生きているわけではない」。

あくまでも、生きるために生きているのです。

彼の話を聞きながら前日のぼくの登壇したイベントを思い出します。そして、「もしかしたら、分断というのは、目的と手段の先鋭化が作っているのではないのか?」とふと思い至ります。

自らの指針と行動を明確に輪郭づければづけるほど、それに合わないものに相対主義の名のもとに無関心を装うか、逆に自らの正義の立証のために他者に攻撃的になります。

例えば、1980年代以後、各国で多くの公共サービスが民間の手に渡り、その結果、ケアとみなされる領域にビジネス論理が入ってきました。それによる効率化が当初歓迎されましたが、一方、徐々にサービスの質の確保に無理があると指摘されるようになります。人の人生がビジネス的輪郭を得たことのマイナス面が出てきたと思われます。

本来、生きるために生きるという人生は因果関係もない、まったくもって生物の法則にしかよりどころがないものです。こう考えていくと、ケア以外の領域でも似たような話はあり、教育なども最たるものかもしれないと考えが膨らんでいきます。

ハイパーローカルというオープン性に希望がある

トークショーが終わり美術館を後にしながら、ぼくは『日々の政治』にある「ハイパーローカル」という概念を想起します。ローカル重視といった場合、往々にして「伝統的で閉鎖的なコミュニティ」への回帰の匂いがします。

しかし、そういう懐古調の話をしているのではなく、今のローカルは昔からの定住者だけでなく、若い人や移民の人たちが常に出入りする場所であるというのが「ハイパー」の1つ目の意味です。2つ目として、遠い距離にあるローカルがお互いに繋がるという意味があります。地球の反対側のローカルにいる人たちとも何らかのことができるわけです。

このような2つの意味で「オープン性」が強調されています。どこかの地域の100人カイギのメンバーとミラノのある地区のコミュニティの人がダイナミックな動きをつくっていく、というようなイメージが湧きやすい条件を整えておく、ということです。前述したように、最終的なアウトプットまでを想定するのではなく、オープンループを基本とします。

なるほど、土曜日に東京でのイベントにオンライン参加し、日曜日にミラノのオフラインイベントに参加することだけで、分断をつくる背景に想像を働かせるに必要な何かを刺激してもらったことになります。もちろん、これで「分かった!」とはなりません。しかし、あらゆることをオープンループに置き換えてみると、見えている景色がまるっきり異なったものになってくるのは確実でしょう。

このテーマ、さらに考えていきます。

トップの写真©Ken Anzai

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