「DE&I」と向き合うのをやめた話。
みなさんこんにちは、澤です。
前回の記事も、とてもたくさんの方に読んでいただいてうれしいです!
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まずはこの記事。
「D&I=ダイバーシティ・イクイティ&インクルージョン」は、様々な企業や組織で重要視される世の中になりました。
元々は「D&I」が一般的でしたが、「公平/公正性」を意味する「Equity」を加えて、「DE&I」も浸透してきました。
ボクは、顧問先などで「DE&I」について研修を行ったり、講演をしたりする機会が多くあります。
自分なりに、文献を読んだり、様々な人からヒアリングをしたりして、知見を深めているつもりです。
幸いなことに、本当に多種多様な国籍・年齢・性別・職業・生い立ち・性的特性の人たちとの接点を持てる環境で生きているので、自然とDE&Iを考える材料には事欠きませんでした。
そんな環境で生きながら、DE&Iに対するボクのスタンスはしっかりと決まりました。
それは「真正面から向き合わない」というスタンスです。
「そんな意識でDE&Iを語るな!」とお怒りの方もおられるかもしれません。
そういう意見も含めて、ボクは正面から向き合うのをやめたのです。
ボクにとってのDE&Iは「向き合って対処する課題」ではなく「あるがままに存在するものを受け入れて、一緒に歩みを進めるもの」になっているのです。
以前は「人類の重要課題としてしっかり向き合おう」と考えていた時期もありました。
しかし、その時の体験は残念ながら圧倒的にストレスの方が大きく、得るものより失うものの方が大きいという印象でした。
なぜそうなるかというと、「勝手にマイノリティを代表する人たち」の格好の攻撃の的になるのです。
「女性はみんなXXだ!」とか「ゲイはみんなXXと考える!」とか、そんな風に代表者として語ってしまう方々です。
こちらは必死に理解しようと思って行動しても、なぜか「あんたは勉強不足だ、もっと理解してから行動せよ」と上から目線でものをいう「自称マイノリティ」の人たちに攻撃されるのです。
自分は女性でもなくLGBTQの当事者でもないので、実体験として理解することはできません。
なので、理解不足であることは認めます。
暮らしにくい日々、社会構造に対して不満を持っていることも理解します。
ただ、何かしら役に立とうと思って行動するのに、感謝されるどころか欠けている部分ばかりを指摘されるのは、正直割に合わないなと感じました。
もちろん、当事者たちは普段から大きなストレスにさらされており、「分かってもらえない」ということへの不満が大きい部分もあるでしょう。
ただ、ボクはその不満をぶつけられる対象になりたかったわけではないのです。
ということで、ボクはこの問題に向き合うことをやめました。
その代わり「あるがままの状態を受け入れる」そして「自分の友人が困っていたら、友人として真剣に向き合う」というスタンスを徹底することに決めました。
つまり、DE&Iを特別なものと扱うのではなく、「普段の生活に当たり前に存在するものとして組み込む」という考え方です。
ボクは、大人になってからたくさんの友人ができました。
かけがえのない友人は、ここ10年くらいで出会った人たちが大半です。
そういう人たちの中には、様々なマイノリティ属性を持っている人も含まれます。
ただ、そんな属性よりも、「友人であること」の方が大事です。
大きな社会課題に向き合おうとして奮闘している友人がたくさんいます。
ボクはその課題に向き合うのではなく、その友人に向き合ってサポートする生き方を選びました。
今のボクの仕事は、全てにおいてそのスタンスです。
あらゆるものが個別対応。その数をできるだけ増やしていくというマインドセットで仕事をしています。
だから、事業化して展開するようなアクションもとらないですし、気が向かない仕事はしません。
ただ、友人が困っているのなら、まずは手伝うというのが基本姿勢になっています。
おかげで本当に仕事がしやすくなりました。
こんな風に仕事を選ぶ人間も、ある意味マイノリティかもしれませんね。
そんな仕事のやり方をするようになった考え方をまとめた本がこちら!
澤の新著、ぜひとも手に取ってみてくださいね。
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