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お疲れさまです。メタバースクリエイターズ若宮です。

4/1に毎日新聞さんから、こんなインタビュー記事が公開されました。

記者の方には丁寧に取材いただいたのですが、どうしても文字数の都合上、ちょっと誤解を招きそうというか、本心や文脈が伝わらないところがある気がしたので、ちょっと今日は本人による「註」的な感じで補足記事を書きたいと思います。
(なので、まず記事をお読みください。1,500字くらいなのですぐ読めます)


なぜ「男性」の話ばっかり?

記事タイトルに『「VRおじさん」のすすめ』とありますし、本記事も単独で読むと、メタバースは男性におすすめ、という印象を受けるかもしれませんが、全くそんなことはありません

記事が男性にばかりフォーカスしているのにはちょっと背景がありまして、同日に同じ記者さんの↓のような記事(こちらは有料記事)もでている通り、

実はこの「VRおじさん」がNHKでドラマ化され、ちょうど4/1が初回放送日だったので、そもそも「VRおじさん」に引っ掛けた取材だったのです。


タイトルの

仕事一筋“男らしさ”求められた人へ

に始まり、全編にわたって「男性の生きづらさ」が書かれているのはそういう理由です。こうした取材で男性の口で「男性は・おじさんはつらいよ」的なことを言うと、「女性の方がつらい」「それを棚に上げて男性のつらさを言うな」というご指摘をいただくことがあるのですが、今回はそもそも「おじさん」という切り口からみたメタバース、というテーマがあったことをご理解いただけるとうれしいです。

女性の生きづらさや可能性に蓋がされてしまっていることへは問題意識を持っており、個人的にもそれを変えていくべくアクションしています。が、単に今回は男性についての取材だった、というだけです。(「男性が」「女性が」「どちらの方が」という話ではなく、社会全体としてそれぞれ呪縛から解放されていけるといいなと思っています)


論が飛んでない?

また、ちょっと話が飛躍しているように思われる箇所がいくつかあります。これにも理由があります。

当日のインタビューは1時間強あり、色々なお話をしました。記事ではひとり語りのように編集されているのですが、実際には記者さんからの質問に答える感じで進行していました。このときの記者さんの質問が載っていないので、話の流れにちょっと無理やり感があったり、前後がどうつながってるの?というところがわかりづらくなっているかもしれません。

これは媒体側としても文字数の制限もある中で致し方ないところもあり、むしろあれだけ多岐にわたったロングインタビューを上手くまとめていただいたな、と思っています。(ちなみに事前チェックは今回はなしでした)

とはいえ、ちょっとコンテキストと発言の意図について誤解を招きそうなところもあるので、以下に補足させてください。


なんで「見た目」から「性的マイノリティー」の話になるの?

「こんな見た目に生まれたくなかった」と思っても現実の体は気軽に交換できませんが、VRではアバターの性別や髪形、服装も好みに変えられます。

 性的マイノリティーの方が病気や障害のように扱われていた時代もありましたが、今は多様性を認める社会に変化してきています。

ここ、「見た目」の話をしたかと思えば、急に「性的マイノリティー」の話になり、「見た目」と「性的マイノリティー」を恣意的に結びつけている印象があります。しかも「病気や障害」というネガティブなワードが急に出てきてちょっと危ないなと。実はだいぶ色々なやり取りが割愛されています。

まず、その前の文の

「物理社会(現実)は生きづらい」

という文脈から。

以前こちらの記事でも書いたように、

僕はメタバースの可能性は「物理的制約からの解放」にあると思っています。

「物理的制約」というのは色々あり、時間や場所、物理法則などもありますが、社会的動物としての人間にとってでいうと、「見た目」や「性別」、「年齢」「人種」など個人の物理身体にまつわる属性も、かなり僕らの生活や思考を呪縛しているところがあります。


こうした話をした上で、メタバース内では物理身体を超越して、仲良くなったりたとえば中身がおじさん同士で恋愛(「お砂糖」)をすることも増えているんですよ、ということをまずお話しました。

で、こういう話をするとしばしば「とはいえ生物学的な性はあるんだし、会ってがっかりしたりしないの?」とか「恋愛としてはちょっと不自然」とか「本当の恋愛じゃなくて擬似恋愛でしょ」というような否定的な声が挙がります。

そんな風に言われることがあるんだけども、恋愛における「ノーマル」って「単にいま・ここの因習」でしかなく変化しますよね、というお話をしたのですね。

ギリシャやローマに始まり、日本でも武士の時代では、男性の同性愛は珍しいことではありませんでした。多妻や多夫を許容している時代や地域も沢山あります。


なのでただの「因習」でしかないのですが、その時代、その場所においてはの「ノーマル」から外れると「異常」とされることもあるんですよね。性自認や性的志向については理解が進んできましたが、ほんの数年前まで性の多様性は、「障害」や「疾患」とされ、治療して「ノーマル」に戻そうとされてきました。

これって「自然」とか「生物学的」とかそういうことでなくて、単に時代で変わりますよね。そういうことがメタバースでは起こっているので、今のノーマルからはちょっと理解しづらいかもですけど、やがて時代がついてきますよ、ということをお話したわけです。


なんで急に女性のルッキズムと男性の収入の話に?

次に、ここです。

親しみやすさや触れ合いやすさでいうと、子どもや女性、若い男性と比べて、おじさんは「底辺」に位置するもの悲しい存在。VRでのコミュニケーションが癒やしとなっている人も多いかもしれません。

 外見でジャッジされたり、見下されたり、生きづらさを抱えているのはどちらかというと女性の方で、男性には「高収入で家族を養う」などの「男らしさ」を求められるという別のプレッシャーがあります。

 ただ、「おじさん」の姿形では、誰かに弱音を吐きづらくなります。それがVRで可愛らしい動物や少女の姿になると、弱音の吐きやすさが体感として変わります。

おじさん=「底辺」と文字になるとだいぶ強い感じがしますし、主語が大きいので「おじさん」全体をdisっていて感じが悪いですが(もちろん親しみやすく触れやすいおじさんだっています)、まあここはおじさん自らの自虐として流していただけると幸いです。

気になるのはその後。急に「外見でジャッジされたり、見下されたり、生きづらさを抱えているのはどちらかというと女性の方」と出てくる文脈がちょっと「????」となるかもしれません。

ここも流れを補足する必要があります。これはその前の段落の、「VRではアバターの性別や髪形、服装も好みに変えられます」というところを受けて、「おじさんもかわいくなれますよ、僕はシロクマなのでめっちゃかわいいし可愛がられますよ」みたいな話に対し、

記者さんから「おじさんも可愛くなりたいっていうのは実は見た目にコンプレックスがあるからなんでしょうか?」という質問があり、

「うーん…。でもそれほど「見た目」を気にしている人がいるかっていうとどうだろうなあ…。「見た目」でいうと女性の方がルッキズムが強くて、男性はそこまででもないかも…というお答えをまずしたわけです。

実際、社会の構造によるバイアスとして、現状だと女性のほうが「見た目」が求められがち、というところがありますよね。もちろんこれも可変なものなのですが、少なくとも現状は、メイクしたり整形したりと美容への意識は圧倒的に女性の方が高いことでもそれがわかります。

じゃあ男性が求められるものは?というと「大黒柱的な男らしさや強さ」みたいなのがあり、男性は「年収」とかで価値を測られがちなのかもしれませんねえ…。それでいうと、男性が美少女になったり動物になったりするのは「見た目」それ自体のためじゃなくて、「大黒柱的な男らしさや強さ」からの解放なんじゃないかなあ。弱音を吐いたり甘えたり、本当はしたいのかも…?

そんな「どうしておじさんがVRで可愛くなろうとするのか」という問いに対しての僕なりの回答だったのです。


「女性の気持ち」と「無駄な性欲」?

 男性として生きていると、日常生活で性被害に遭うことへの脅威は感じにくいでしょうが、メタバース上で女性の姿を体験することで、あくまで疑似的にですが、女性の気持ちが多少分かるようになるのはいいことだと思います。

(段落をまたいで)

 私はVRにおける他者への好意の持ち方には、プラトニック的な側面があると感じています。メタバースを介して「無駄な性欲」が発動することなく、人同士の好意的な関係を発展させられるのは、ある種の理想なのではないでしょうか。

ここは段落をまたいでいるので逆につながりがわかりづらいのですが、実はつながっている話です。

まず、その前の「プロテウス効果」を受けて、メタバース内で女性として振る舞ったり、痴漢にあったりする体験をすると、男性は今まで自分が無自覚でいたような「加害性」や「恐怖」に対しての共感力がすこし上がる可能性があると思います。


そこでなんで「無駄な性欲」が出てくるのか?

これは物理社会において、「肉体的な距離」が誘発する「無駄な性欲」がセクハラや性加害の原因になっていることが多い気がしているからなのです。たとえば同僚や上司部下の異性同士が「仕事相手として」一緒に行動している時、「肉体的な距離」が近くなると、(勘違いするのは男性側が圧倒的に多いですが)恋愛感情(というかしばしば性欲)が起きてしまいがちです。

それ自体は問題ではないかもしれませんが、でもそこからしばしばハラスメントや同意のない性加害みたいなことが起こってしまう。これって純粋に「仕事」で協力する関係からしたらすごいバグじゃないですか?

メタバースでもアバター同士で好意が深まることはあります。でも物理的接触よりは「肉体」への欲求が起こりづらく、性欲に振り回されずに「中身」同士の関係を構築できます。これを「プラトニック(プラトン的)」というように言ったわけですが、本来仕事関係だったらそれで十分というか、その方がよくないです?

また、「無駄な性欲」と敢えて言ったのには別の理由もあります。

メタバースの関係性や恋愛の話をすると、「そういうのが増えるから少子化が進むんだ!」という短絡的な主張をされることがあります。(LGBTQでもそういう話が出がちですが)

でもですね、よく考えてみてください。生涯に数回しか子供を持たない人類において、「性欲」って実はもう「生殖」とは直接関係ないものじゃないですか?

男性のみなさんが生涯でする射精のうち、99.99%は妊娠に関係ないです。そのほとんどを生殖に関係なく、セックスや風俗、AVなどでの自慰行為で消費しているわけです。こういう妊娠と関係ない「性欲」が多少減ったからって少子化にはほとんど影響ないでしょう?むしろその「無駄な性欲」のせいで性暴力とか痴漢が起こっているというデメリットを考えたら、それ抜きに人とつながれる方がよくないですか?


メタバースは「おじさん」だけでなく、「一つの顔」で苦しむみんなを解放する

最後の段落ではこうあります。

 「男らしさ」を常に求められてきた世代の男性たちは、社会での生き方が一つに固定されがちです。「一つの顔」しか持っていないと、退職した瞬間に居場所も自分のアイデンティティーも失うというリスクがあります。

これも読み方によっては、「男らしさ」を常に求められてきた世代の男性たち
だけ
「生き方が一つに固定されがち」と主張しているように読めるかもしれませんが、そういう意図は全くありません。

冒頭に述べた通り、取材がそもそも「VRおじさん」きっかけだったので「男性の生きづらさ」フォーカスになっていますが、「女らしさ」を求められるがために「生き方が一つに固定されがち」なつらさは女性も同様です。(パワーバランス的に自己決定しづらい社会構造があるので女性の方がむしろより大変です)


僕は、ルッキズムを含め、社会から物理属性で押し付けられる役割や物理的属性の呪縛からの解放としてメタバースに可能性を感じています。「分人主義」にも触れているように、「メタバースがすべて」とはなりませんが、メタバースという自分で自分を選択できる世界は、あらゆる人にとって救いになるのではないでしょうか。


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