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「スルー力」は「聴く」ためにこそ大事かもしれない、という話

お疲れさまです。メタバースクリエイターズ若宮です。
(メタバースクリエイターズはメタバするースのトップクリエイターを集めたクリエイタープロダクションです。クリエイターとメタバースのコンテンツを開発したい企業・自治体の方はご連絡ください)

今日は「スルー力」というテーマについて書いてみたいと思います。


「スルー力」はちゃんと聴くためにこそ大事

「スルー力」について。

ちょっと逆説的に感じるが、僕は「スルー力」というのは、「ちゃんと聴く」ためにこそ重要ではないか、と思っています。

僕はこれまで新規事業を長くやってきたのですが、新たな事業を始めるときには、ユーザーのニーズ調査というのをよくやります。僕も過去、たくさんユーザーインタビューを行いました。

ただ、こうした「ユーザーの声を聞く」という時には、考えなしにただただ多くの人の声を聞いてかえって迷子になってしまう、という罠が潜んでいるんですよね。

一見、声を集めるなら多ければ多いほどいい気がします。しかし、ただ数が多すぎるといわゆる「玉石混交」の状況に陥ってしまって、本当に聞くべき声が埋もれてしまう。

もちろん一方で、少数の意見しか聞かないのにも問題があります。n数が少ない、というやつですが、探しているケースに出会えなかったり、あるいは逆にたまたま特殊な事例やニーズに遭遇してそれが全体の意見だと拡大解釈してしまうことです。

ですから大事なのは、ある程度多くの意見を聞きつつ、しかしそれをすべて受け入れるのではなく不要な声は聞かない、「スルー力」だと思うのです。


全部聞いてしまうと大事な声が聞けない

たくさんの声があると、自分が聞きたい人の声が聞こえなくなることってありますよね。それはニーズ調査に限ったことではなく、身近な話としては、例えばお祭りのときや人混みの中では話が聞こえづらくなりますよね。

しかし、人間はそんな中でも聞きたい人の声だけを聴くことが出来ます。いわゆる「カクテルパーティー効果」というやつです。これは感性的な注意の能力で、本来耳には入っている他の人の声をスルーして聴きたい人の声だけをきく、「選択的聴取」や「選択的注意」とか言われるものです。

要は、「よく聴く」というのは、全てを聞くことではないんですよね。

さきほど、「選択的聴取」や「選択的注意」という言葉がでてきたように、「スルー力」で大切なのは、必要なものと必要でないものを選択する能力です。例えば、ノイズキャンセリング機能があるイヤホンやZoom会議では、人間の声だけを強調し、周囲の雑音は排除します。これは、何が重要で何がそうではないのかをまず判断しているわけです。

つまり、「スルー力」を鍛えるには、何が大事で何がそうではないのかを理解することが必要なんですね。

例えば、サービスのニーズを探る上では、コアユーザーとそれ以外のユーザーを分けたり、フェーズに合わせて「その時聴くべき人の声」を「選択」し、それとは関係のない人たちからの意見は「スルー」する。

カクテルパーティー効果やノイズキャンセリングのように、この「スルー力」があるからこそ、図と地のように、聴くべきものが聴けるわけです。


2種類の「ノイズ」①騒音

「ノイズキャンセリング」の話がでましたが、「ノイズ」をキャンセルする上では一つ注意が必要だと思っています。

それは「ノイズ」には2種類あるということです。

まず一つ目は、「大きくてうるさい音」です。日本語に訳すとしたら「騒音」。

「ノイジーマイノリティ」という言葉がありますが、これは「うるさい」という意味でしょう。一部の人たちだけががなり立てると(ほとんどの人はそうは思っていなくても)、つい「大きな声」に振り回されてしまう現象を指します。

ノイジーマイノリティの声は大きくてうるさいため、注意を引きがちです。しかし、声の大きさに惑わされず、必要ないものはスルーするほうが良い。

ちなみに「声の大きさ」というのは、物理的な音量だけを指すわけではないんですよね。企業内にいるとわかりますが、権力も声の大きさを生み出します。たとえば上司や本部長が話す意見は自ずと大きくなります。しかし、大きな声が必ずしも重要なことを伝えているわけではない。声の大きさには惑わされず、適切に判断し、必要ならスルーすることが大事です。


2種類の「ノイズ」②雑音

じゃあノイズをすべてキャンセルし、スルーしてしまうのが良いかというと、ちょっと注意が必要だと思っています。

「ノイズ」には「騒音」とは別に「雑音」という意味もあります。「雑音」は必ずしも大きな音とは限りません。むしろ「ホワイトノイズ」のように背景に小さく入ってくるのが雑音です。

なので「雑音」というのは、音の大きさやうるささによるのではなく、自分が期待する音かどうか、という事で決まっています。音楽を聞く時、楽器の音を聞きたいのに周囲の雑踏や風の音が邪魔、と思えば、それは雑音です。

しかし、ジョン・ケージが『4分33秒』で前景化したように、本来音には優劣はありません。音楽を聴くには雑音と思われる風の音も、自然の中では楽しむ対象にもなります。


ノイズキャンセリングについて考える時には、「望ましくない音」を恣意的に排除するという点に警戒が必要です。「自分が聞きたい音」だけを聴いて、「聞きたくない音」をスルーしてしまう。それは認識を歪めてしまったり、バイアスを強化することにもなりかねません。

耳触りの良い声だけをきき、「聞きたくない声」を雑音・ノイズとして切り捨ててしまうとたしかに心地よいのですが、ある種のフィルターバブルの中に入ることになります。自分が意図しない声は本当は存在しているのになかったことにしてしまうわけです。


自分と異なる意見は、多くの場合「雑音」として感じられます。そしてしばしばそうした「雑音」は「小さき声」であったりします。こうした小さな雑音は、スルーするのではなく、むしろ耳を傾けていくことが大事だと思うのです。

自分が聞きたいと選んだ音を聞いている時、その取捨の選択が必ずしも正しいとは限りません。もしかすると、スルーしてしまった音の中に聞くべき声があったかもしれません。自分が心地よいと感じる音や自分が選んだ音ではない「雑音」の中に大事なことが含まれていることもあるのです。


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「スルー力」には、「スルー」の前に「選択」があります。まずは、大きな「騒音」に惑わされることなく聴くべき声を選ぶこと。そしてさらには、スルーしてしまっているものの中に実は聴くべき声があったのではないか、と「雑音」にも耳を傾けてみること。このどちらもができるのが「スルー力」が高い人ではないか、という気がします。


「スルー」というと、受け身的であったり逃避的であるように思われがちですが、ほんとうの意味での「スルー」というのは実は「常に意識的に聴こうとすること」なのかもしれません。

何を聞き、何を聞かないのか。常に選択し、その選択の条件を見直す能動的な運動によってこそ、「スルー力」は磨かれるのかもしれません。


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