デフレーミングで読み解くアート思考の最前線 ~アルスエレクトロニカ・フェスティバル2024より~
今年、9月4日から8日までオーストリアのリンツで開催された、アルスエレクトロニカ・フェスティバル2024に参加した。
アルスエレクトロニカはテクノロジーとアートの世界的な一大拠点であり、常設のセンターがあるほか、毎年9月にフェスティバルを開催している。フェスティバルでは、世界中から最新の招待作品が展示されるほか、その年のテーマに基づく企画展、応募作品から賞を授与するPrixなど、実に多彩で膨大な作品が一堂に会する機会である。
また、もともと国際ブルックナー音楽祭(リンツはブルックナーが生まれ、オルガニストとして活躍した都市である)の一環としてスタートした取り組みであり、国際ブルックナー音楽祭も同時開催されているため、音楽の存在感が感じられることも特徴である。
現在、アート思考に関する研究を進めているが、その一環として本フェスティバルに参加した。今回はそこで感じたことなどをお伝えしたい。
今年のフェスティバルを読み解く3つの視点
前述の通り、非常に多様でボリュームも多い展示であったため、フェスティバル全体を総括することは非常に難しいが、個人的には以下の3つの視点にまとめてみたい。
斬新な「分解と組み換え」
技術と社会の変化に伴う「問い」の提示
自然界と人間の関係性の再考
1番目の「分解と組み換え」は、以前からデフレーミングの一環として、ビジネスにおけるイノベーションにおいて重要なものとしてお伝えしてきた概念である。しかしアートの世界でも「分解と組み換え」は非常に盛んで、しかもビジネスよりもさらに先を行っている高度なもの(斬新という意味でナナメ上と言っても良い)があることが、今回の展示を通じて印象的であった。
2番目の「問い」については、技術の進化や人間によってもたらされる様々な変化や将来の可能性や脅威について問いを提示するものも多かった。もともと現代アートは問いを提示するものであると言われているが、その中でもAI(人工知能)や環境問題など、直近の課題についてジャーナリズム的な視点も含めて作品化しているものが多くみられた。
第3に、その問いとも関連するが、デジタル化が進み、人間が人工物に囲まれて生きるようになっている中で、自然界と人間の関係を再考したり、土着の伝統文化を取り戻し、最新技術と融合するようなものも見られた。
今回は紙面の都合もあるため、上記の1.斬新な「分解と組み換え」を軸としていくつか作品を紹介していこう。
ナナメ上を行く「分解と組み換え」
まず紹介するのは、アルスエレクトロニカのセンターに展示されているShadowGANという作品で、カメラで撮影した人の姿から、動的に重要な骨格部分を描き出したり、輪郭だけを描き出したりする。そして、例えば輪郭に対して異なる映像(風景など)を重ね合わせたりすることができる。
一人の人など、本来分解できないものを映像的に分解して、異なる要素と統合する試みである。
また、今回はコンサート部分の目玉としてCello Octet Amsterdamというチェロ8重奏団が登場した。ここではチェロ8重奏+ピアノの演奏に合わせて、生成AIを使って作成された動画が同時に上映された。音楽の生演奏と生成AIによる動画という異色の組み合わせによるパフォーマンスである。
さらに異色な組み合わせだったのは、リンツ大聖堂で演奏された「BruQner」というパフォーマンスである。量子力学における「量子のもつれ」現象を光に変換し、光のレーザービームが指揮者の役割を果たし、それに合わせてオルガニストがブルックナーの「ペルガー前奏曲」をパイプオルガンで演奏するというものだ。
量子のもつれとブルックナーのパイプオルガン曲の融合など、なかなか思いつくものではないだろう。
その他にも、日本発のELECTRONICOS FANTASTICOS!による、家電製品を改造した楽器で演奏される盆踊り(しかもリンツ大聖堂前の広場で)パフォーマンスもあった。家電、楽器、日本の伝統的踊り、リンツ大聖堂という、これまた斬新な組み合わせのオンパレードである。フェスティバルを祝う場における独特な音色とビート感の演奏効果は非常に高く、とりわけ印象に残った。
このように、アートの世界でも、いや、むしろアートの世界において、非常に斬新で先端的な「分解と組み換え」が行われていることがわかるだろう。
なぜこれほど「分解と組み換え」が盛んなのだろうか。一つには、本質的に重要な「何か」に異なるアプローチから接近しようという試みがあるだろう。また一方では、新しい組み合わせを試行していくことで限界を超え、新たな表現や面白みを生み出していきたいという試みでもある。
実際にその表現効果、演奏効果がよかったかどうかには評価が分かれるところもある。しかし、そうしたことも含めて、限界を突破し、新たなものを生み出していこうとするダイナミズムにこそ、アートに学ぶべきところがあるのではないだろうか。
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