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「海外就職」というフレーズを考える

先日、"Z世代、女性に広がる海外就職 「私たちは待たない」"というタイトルの記事を見かけた。もちろん、なかなか留学や海外就職の機会を均等に与えられてこなかった女性や若手が夢を成し遂げることは至って素晴らしいことだ。しかし同時に、メディアがこの現象を報じる際に注意すべきことも色々とあるように思う。

「海外」と言っても、当然色々ある。しかし投稿のコメントなどを見ている限り、勝手に「欧米」ないしは「経済的に豊かな英語圏」と想像する人が多いようだ。「海外」が英語圏だとも限らないし、「女性は海外の方が生きやすい」というのも事実だとは限らない(アジアだけでもたとえばインド、韓国、マレーシアなどは日本とはまた異なる角度の男尊女卑やジェンダー・セクシュアリティ差別が根強く残っている)。「日本で生きづらい、働きづらいと考えている若者や女性は海外でなら自由に生きられる!」というのも、極めて短絡的かつ不正確なフレーミングなのだ。

また同時に議論されなければならないこととして、この「海外で就職」という現象は、そもそも日本人がかつて他のかつての発展途上国の人々に対して見下して使っていた「出稼ぎ」という概念と代わりないということ。海外留学支援が年々おろそかになっている今、「就職で海外経験を積む」というような宣伝文句も、一見素晴らしいことしかないように見えても、裏の「豊かさの欠如」が透けて見えることもどうしても気になってしまう。たとえばアメリカを見れば日本人の留学生はナイジェリアやサウジアラビアの留学生より数が少ない状態だ。「海外に行くのはいいことだ!」とすぐ全面擁護する前に、他に日本国内でできる若者や女性、マイノリティへの支援はないのだろうか?自己責任で果たした自己実現を賞賛する前に、見落としている「海外進出」へのインフラ整備の欠如はないだろうか?

加えて、シンガポールや台湾のように「国外でスキルを得た人をどう国内に取り戻すか」という課題を国単位の政策としても考えなければ、どんどんスキルと人口の流出ばかりが続いてしまうだろう。

以前、「海外」というワードについての違和感については音楽業界の文脈で以下の記事を書いた。

"これは別に「海外で活躍したい」というアーティストの願望に限らず、一般的な人が「成功したい」「幸せになりたい」と漠然と思っていても永遠にそれを実感・達成した気になれない原理と特に変わらない。「海外でも注目/活躍」というフレーズが「決め台詞」として雑に使われていることが問題だとも思う"


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竹田ダニエル
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