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「海外で活躍」について考える

「海外で活躍したい」というのはアーティストなら一度は抱きくであろう漠然とした野望だが、具体的なゴールや現実的な道筋がないと、満足感や達成感が得られないままバーンアウト(燃え尽き症候群)に陥ってしまいがちだ。 「海外で活躍」したいのか、「日本での活動環境が悪くてそれを変えたい」のか、良く見極めるべきだとクライアントや友人のアーティスト・関係者にアドバイスしてる。

以前にもツイート・寄稿した通り、特にアメリカでのツアー状況は金銭的に年々過酷になっているし、今ではストリーミングやSNSがあるから「海外で活躍」の判断は海外ツアーに限られない。 曲を世界中で聴かれたいのか(どのくらい聴かれたいのか)、誰に支持されたいのか、ツアーをしたいのか、フェスに出たいのか、一体どこまで行ったら「満足」なのか。大規模フェス出演は実力だけでなく、コネクションや財力も問われる。コネとカネで出演を勝ち取って、名誉を得て嬉しいのか、それとも「日本からのレジェンドアーティスト」として現地でも名を残したいのか。ありとあらゆる選択肢があるからこそ、細かく目標設定をしない限りは永遠に見えない終わりを追いかけるばかりになってしまう。


日本国内での単一的なエンタメに対する価値観とは全く異なり、一歩外を出たら「日本/アジア」のアーティストとしてのステレオタイプや価値判断が自動的に付随してくるし、「業界の大人の言うことを聞いてればいい」国内の状況ではやっていけない。「自分というアーティストまたは人間」である以前に、「アジア人」であることや、国内とは異なり背景情報がほとんど知られない場所での戦いになる。さらに、倫理観やアーティスト本人の生き方が強く問われてくる。

これは別に「海外で活躍したい」というアーティストの願望に限らず、一般的な人が「成功したい」「幸せになりたい」と漠然と思っていても永遠にそれを実感・達成した気になれない原理と、特に変わらない。「海外でも注目/活躍」というフレーズが「決め台詞」として雑に使われていることが問題だとも思う。

「海外」は日本に比べて潜在的なリスナー数は多いが、それだけ競争も比べ物にならないくらい高いということも理解しないといけない。その競争に勝つには、そのアーティストが自分自身を内省的も客観的にも良く理解し、「現実的」になる必要がある。自分ではない何者かになっても、それは受け入れられない。一瞬受け入れられたとしても持続可能ではないし、何よりも「海外でウケる」ために嘘偽りのような表現を行うことで、アーティストとして満足できるかと言えば、おそらくできないだろう。

日本ではウケないからって、当然海外でウケるってわけでもない。そもそもの圧倒的(自然に湧き出る)個性と、無理せずその個性を発揮できることが大事で、わざわざ海外ウケするもの作ろうというメンタリティが少しでも芽生えてしまった段階で、アーティスト、またはそれを売り出すものとして原点に立ち返り、内省する必要が出てしまう。何のために存在し、音楽を作ってるのか、その主張があることが最も大事だから。


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竹田ダニエル
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