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未来は変えられないが、過去は変えられる

調達活動とその困難さ

昨日、Holoeyesという医療機器ソフトウェアベンチャーにて約4億円の資金調達をしたと発表しました。

昨年晩夏から始めた調達活動でした。世界的に厳しい環境と言われていますが、想像以上の厳しい局面も目の当たりにしました。その中でも、ダウンラウンドにもならず、なんとか目標額の調達を完了することができました。

選択と集中

この調達活動の中でも、数々の選択がありました。選択とは、何かを選ぶということで、それは何かを捨てるということと。事業の選択と集中は、やるべきことを決めると同時に、やらないことを決めること、とよく言われます。

#あの選択をしたから  というテーマの募集がありました。

日常生活の選択

この記事を読んでくださっている方も同様と思いますが、振り返ってみれば、日々、選択のくり返しですよね。どこに行こうか、何を着ようか、何を食べようか、誰と話そうか、何を話そうか、何をしようか。能動的に、したいことを思い浮かべますが、その裏には、選ばなかった無数の選択肢があります。選んだことよりも、選ばなかったことの方が圧倒的に多いことに、当たり前ですが圧倒されそうです。

僕のキャリアについては、別記事にてまとめたことがあります。

改めて、選択という文脈で、現在から過去へと遡ってみたいと思います。

医療機器ソフトウェア事業

現在、医療機器ソフトウェアベンチャーの役員として、CT/MRIで撮像した患者固有の3DデータをVR等にて空間的に体験できるサービスを構築しています。医用画像や医療知見を空間的に再現・共有し、医療の最適化を実現することを目指しています。サウジアラビアをはじめとする中東や台湾展開を見据えCT世界最大市場である日本での社会実装に向けて活動しています。

創業者との出会い

関わるようになったきっかけは、創業者との出会いでした。出会いの場は、心理学とロボットをテーマにした勉強会でした。

その勉強は、その数年前からブリーフセラピー学会で出会った仲間たちと、サービスロボットやスマホアプリ等の人ならざるモノが、コミュニケーションに介在してくる時代を見据えて、様々に議論したり、会社を作ったりしていたことがきっかけでした。そのメンバーのひとりが、創業者と出会い、勉強会の開催につながりました。

研究とネットワーキング

その仲間達との出会いは、ブリーフセラピー学会に参加して、当時開発したあるサービスをケーススタディとして発表したことがきっかけでした。そのサービスに、学会理事長に監修をお願いしていたことが、縁でした。

そのサービスをつくることができたのは、ソフトバンク子会社時代に遡ります。音楽を配信するアプリを作った際、当時まだiPhoneが出たばかりで、国を超えて配信されるアプリで音楽を提供するということがオフィシャルには存在していなかったため、JASRACと交渉して、アプリ化権という権利処理の枠組みを作った際に尽力いただいた方がいました。その方からの依頼で、先のサービスをつくることになったというご縁です。

キャリアの転機

ソフトバンク子会社をつくったのは、コンテンツ制作ではなく、事業構築にチャレンジしてみたらどうか、というアドバイスとチャンスをいただいたことがきっかけでした。そのアドバイスに従ったのは、請負のライターではなく、小説一本で勝負してみようと、一年間仕事をせず、収入が激減したこと、私生活での大きな転機があったことがきっかけでした。

夢と挫折と新たな道

小説の前は、ゲーム攻略本や設定資料集を40冊以上書き、その前はゴーストライターでした。その前は、漫画家志望で、担当編集者と共にデビューを目指して持ち込みを繰り返していました。担当がついたのは、二十歳すぎ。それまで、中学2年生の頃に初めて小学館に持ち込みしてから、6年経っていました。

遡ってみれば、きっかけ、という言葉で書くことができますが、その都度、そのきっかけにのるかそるかは自分次第だったと思います。ここに書かなかったきっかけも山のようにありました。それらは、のらなかったきっかけです。

人生の大きな選択

僕は離婚再婚もしています。これは、僕の人生において、かなりエポックメイキングな出来事で、大きな選択だったと思います。しかし、劇的な変化をもたらす選択は、何気ないきっかけに秘められていたりします。離婚再婚に至る流れを上記のように振り返ってみれば、その出会いにつながるきっかけだって、ほんの僅かなもので、たまたま選んだ選択からだったりします。

未来と過去と選択の意味

未来は決定していないがゆえに、変えることはできない。
過去は決定しているがゆえに、その意味合い自体を変えることができる。

そんな話を聞いたことがあります。

そういう意味では、何がきっかけだったのか、ということは、過去を振り返ったときにのみ浮かび上がってくる美しい思い出のようなものなのかもしれません。

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