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オープンイノベーションはどこに向かうのか、あるいは消滅するのか

長らく共にオープンイノベーションに関わってきた友人と、もうそろそろ、AIの導入・活用が進まない日本の大企業を相手としたオープンイノベーションの議論を続けている場合ではないのではないか、という話になった。

少々古いデータではあるが、日本企業や日本人の生成AIに対する取り組みは、他国と比べて遅れているようである。

もちろん、このデータが公表されてから半年以上が経過しているので、現状ではこれよりも進んでいることだろう。それでも、他国も同様に伸びているとすれば、日本の取り組みが引き続き他国とくらべて遅れているであろうことは想像に難くない。

このような環境において、大企業とスタートアップに限らず、一定以上のAIの活用を進めている企業と、そうでない企業との協業が成り立つのだろうか、と考えてしまう。もちろん、全く成り立たないというわけではないだろうが、一般論として、あるいは平均的なケースとしては、なかなか難しいものがあるのではないか。比喩としてなぞらえると、連絡を取る際に、片方は電話やEメールで送るのだが、代わりに返信が郵便で届くというような関係で共同作業が成り立つのだろうか、という状況に近いものがある。

日本の企業、特に大企業がAIに二の足を踏む理由は様々であるだろう。その一つには、以前にも書いた通り、AIを導入すると自分の仕事がなくなってしまう(と恐れる)人がいるはずであり、それに対する抵抗がAIの導入をごく限られた範囲に留める原因となっているのではないか、という推論を以前に述べた。

もしこれが先日DeNAの南場さんが語っていたように、ドラスティックに企業経営自体を変えていくことになるならば、そういった企業と何らかのオープンイノベーションを起こすことは十分に考えられる

しかし、日本の、特に大きな組織は通常、DeNAのような言ってみればメガベンチャーではなく、JTCと揶揄されるような伝統的企業組織である。トップダウンで物事が進むというのはごく一部のオーナー系の企業を除けばなく、一般的には取締役の合議で決定されるものであり、そのための資料を部下が作成することになる。したがって、DeNAのようなドラスティックな経営判断がそもそも起こりにくい構造であると考えている。

安西さんが紹介しているように、AIに関して、今ここで立ち止まって考えるべき時であり、そこでアメリカや中国に遅れを取ったとしても、それを取り戻すことができるという考え方もあるのだろう。

一方、同じEUのなかでも、フランスはフランスで、マクロン氏が先頭を切ってAIに対する取り組み姿勢を示している。

一度生まれてしまった技術は、その価値判断は別としても、後戻りして消えてしまうことはなく、むしろ哲学や価値観、倫理(観)といったものを超えて広まってしまう傾向がある。例えば、核兵器の技術などは、そういったものの一つと考えられるだろう。

私自身も、手放しでAIが素晴らしいという気持ちはないし、その問題点や怖さに対する警戒心はある。ただし、それらを使った経験なしに本質的な警戒心を持つこともできないと考えている。また、上記の核兵器のような例を考えると、ある程度、自分がその変化についていかなければ始まらないだろうとも思っている。

AIとは違う話だが、今では日本の企業にとっても当たり前に利用されるようになったオンライン会議であるが、これはコロナ以降のことであって、コロナ禍以前、私が出張で長期不在の際に、長い間が空いてしまうために「オンライン会議でやりましょう」と持ちかけた時、ある大企業から「川端さんが出張から帰ってくるまで待ちます」と言われたことを鮮明に覚えている。このことが、その企業にとって決定的なビハインドにつながったかどうかははっきりしない。しかし、その大企業は、言ってみれば今の流れの最先端において遅れを取っていることが、誰の目にも残念ながら明らかである。そして、こうしたことの一因として、新しい技術の取り入れと消化に時間がかかってしまったことが、遠因の一つであると否定することは難しいのではないだろうか。

これもAIとは全く関係のない話であるが、先日、全く異なる2つの会合に出席した際に、大企業の新規事業担当は浮かばれない、という話が共通して話題になったことにも、日本の難しさを感じた。

どこからどう手をつけてよいのかということに関しては、明確な答えがあるわけではないが、せめて個人としては、今の世の中の動きをきちんとキャッチアップしておくということは、最低限しておきたい。

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