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多様性を腹から理解した、怒り散らす父との思い出

「アーティストマネージメントを仕事にして生きていくのかしら」と、直感的に思ったのが社会人5年目のこと。ピュアで不器用で、でも自分の作品を世に出すことで勝負している人たち。そんなアーティストに今も昔も憧れているし、本当に大好きだ。

器用貧乏な私は、一通りの仕事ができるタイプで、才能に溢れたひと達と関わるたびに、手伝えることが山ほどありそう!!!と単純な考えを当時つよく抱えていた。

あれから15年が経った。40歳を過ぎ、とうとう社会人20周年を迎えることになった今、わたしの器用貧乏は存分に開花していて「この才能を潰してくれるなよ」「この人のモチベーション削ってくれるなよ」に気を配る毎日だ。

ただ、その対象はアーティストだけではなく、あらゆる分野の秀でた才能に向けられることになった。

人の多様性を自然に受け入れられる性質

ここ数年は、noteを書いていても、そんな投稿が自然と多くなってきている。昨年、日経新聞の本紙でも取り上げてもらった「凡人なら感性を磨け」の元になった記事も、すぐれた才能と向き合う中から生まれたものだ。

同じような文脈で、「仕事が超絶できるが、スペック高すぎて友達いない頑張り屋さん」の相談役を担う機会が、年を経ることに増えてきていたりして、気がついたことがある。

仕事が器用に出来ることを自分の強みだと感じていたが、それに加え「人の多様性を自然に受け入れられること」が、自分のユニークな性質なのだった。

才気あふれる人は得てしてコミュニケーションが苦手なことがあるが、わたしにしてみたら、多様な「正」の部分を楽しませてもらってるから、「負」の部分がまったく気にならないのだ。

自己分析をしてみると、私がこういう性質になったのは、はっきり言って父と母のせいである。おかげ、という言葉を使おうか少し迷った。

うちの父は、当時こそ誰にも指摘されず育ち、生きてきたようだが、典型的なADHDと言える気質の持ち主だったようだ。

・多動
・不器用
・感情の処理が下手
・人の気持ちが考えられない

これはまさに父of父である。その当時に診断を受けたわけではないから勝手なことは言えないが、当時の父の行動や言動にはADHDの特徴にあてはまる部分があると思う。

「不機嫌で怒っている」≠「私のことが嫌い」

幼い頃は父が嫌いだった。父は本当にひんぱんに怒り、何せ、母に怒鳴ることがわたしは嫌で、父のことが嫌いだった。

当時は、専業主婦の母や兄や私に対して投げかけられる「誰が働いたお金で食えてると思ってるんだ」という言葉に、言い返せないまでも(それを言ったらもうどうしようもないじゃん)といつも思っていた。

毎日内省を重ねていくうち、あるときに私はこういう考えに至った。

どうやら、父は、不機嫌になることを自分で処理できないから、あんなふうに怒鳴り散らしているんだ

つまり裏を返すと、「私たち家族のことが憎いのではない」「むしろ愛しているのは感じられた」ということである。

愛情表現には、色々ある。表現どうこうより、愛してくれてる事実が大事なのだ。さらには、こういう理解にもつながった。

「不機嫌で怒っている」=「私を嫌い」、というわけではないんだ

あるとき、7歳…小学1年生の終わりに、わたしはふと、そうした感慨を抱くことになった。かなり本質を突いていたよな、と思う。実際、すぐに効果が現れ「父が怖い」という感情から解放された。「嫌い」「怖い」から「なんかいつも怒ってるよなー」に変わった。

人格否定ではなく、コトに対して「嫌だ」を伝え続けた母

そうして、よく耳を澄ましてみれば、父の怒りの矛先は、主に自分の所属する組織や社会に向けられることが多かった。そういう場合にわたしは「なんか大変そうだなあ」という視点を持てた。

今でも、当たり散らしている人間をみても萎縮することなどはなく「怒るより、他の方法考えた方が良いのに」という思考になるのも、その頃の父に接してきた影響が大きいと思う。

こういった視座に立てたのは、母の姿勢によるところが大きい。

母にしてみても、そうした父の態度にふつうだったら折れそうなものだが、「そんなふうに言われたら、嫌な思いをするでしょ!!」といつも言い返していた。

母には天然の根気強さがあり、父に対して毎回フレッシュに(←ここがポイント)言い返し続けた。そうして、時間をかけて、父の気質は確かに変化を見せることとなった。

人格否定ではなく、コトに対して「これは嫌だ」と言ってもらえると、人は何が嫌なのかを理解し易い。

そして、好きな人が嫌がるのは嫌だという考えは持ち易いので、不得意なことであっても、頑張れるのだ。

そうやって、人は変わるのだ。

わたしはそれを見ていた。幼い頃から、ずっと。

怒りを解毒するように身につけた思考プロセス

こうした出来事を経て、誰かの「自分では受け入れ難いと思う側面」にふれたとき、こんなふうにわたしは考える。

「ぱっと見の嫌なところも自分に矛先が向いてなければ関係ない」

「でも自分がその人にとって必要であれば努力してくれる」

よっぽどの局面においても、楽観的に、受け止められるようになった。分解するとこうなる。

「わ、急に怒るのめちゃこわい」→「なんでこういう言い方しかできないんだろう」→「それにしても、なんかすごい考え方だな」→「その考え方にびっくりなんだけど」→「自由に発想すると、そんなふうになるんだ」→「もはやすごいと思うわ、ウケる」

子どもだったわたしは、そこにあった怒りを解毒するように、こういう思考プロセスを辿ったのだと整理できる。

父が、家族のために、また、社会のために、本気で頑張っていた、というのは紛うことなき事実だ。そうした背景も、いい大人になった今となってはきちんと理解できる。

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こうして、多様性を受け止められるようになった私は、その資質を仕事で活かす機会に恵まれている。

ところで、わたしには友達が多いのだが、それは、他力本願だから、だと思っている。

基本的に、「この人にしてあげられることがある」とは思っていない。

だが「この人とあの人の才能を掛け合わせたらうまく行きそうだ」と思うことが多い。

才能とは本質的で、かけがえがないものだ。だが、才能に付随する他の「ふつう」や「ふつう以下」の部分は、本質ではないのだ。そんなものは、いかようにでもなると思っているから、嫌いになったり、めんどくさいと思ったりすることはない。

だからこそ、出会ったことのない、新しいタイプの人に出会うと、人間の可能性を感じてわくわくする。

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このnoteでは、これまで周囲にほとんど語ってこなかった、私の生い立ちから、才能に対する価値観形成のプロセスを抜き出すことができた。ただ、当時からこんなふうに理路整然と考えられていたわけではなく、もちろん、10年単位での思考の熟成が必要だった。

わたしは、こういった環境で育ったため、上の世代にありがちな「多様性を受け止められない」感覚が理解できなく、この数年はハテナの連続である。

今後、多様性の理解が当たり前になる世代が社会でポジションを獲得していくにつれ、多様性を本心では受け止め切れない世代とがぶつかる機会が増えてくると思う。

わたしはその間で緩衝材のロールを引き受けていきたいと考えているし、多様性の研究を重ねていきたい、そう思っている。

「いろんな人がいる方が、チームは強くなりサステナブルだ」という信念をもち、異なる価値観どうしで理解し合うための考えを、発信し続けていきたい。

参考記事:

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翠川裕美( KATALOKooo 代表 )
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