感性を発揮することで化ける人材がこれからを担うこと確定のお知らせ
おつかれさまです。気がついたらこの10年で、3社を経営することになった翠川といいます。数年前から日経COMEMOのKOLになり、不定期ですが投稿をしています。
先月、娘が夏休みに向けて図書館で借りてきた本をきっかけに、「感性」というキーワードにアンテナを立ててみるようになって(先月の投稿はこちら)この数年考えていたことがまとまってきた気がして、今回は、人材育成やマネジメントに頭を悩ませるマネージャーや、経営者のみなさんへ、ラブレターを書くようにnoteを書きました。メンバーの“感性“を認め、伸ばすこと、できていますか?
感性は伸ばせる
先日、「感性」が自分を表すユニークなキーワードだと気づいた、とメンターに話していた。メンターは興味ぶかく聞いてくれていたが、こんな話題になった。
新人向けセミナーで「色々な能力、伸ばすことができるものはどれ?」という問いに対して「感性は伸ばせない」と考える人が多数だった、という話をしてくれた。
「??そうなんだ、感性なんていくらでも伸ばせるのに」多くの人が、感性は生まれ持ったものだと思っていることに驚いた。自覚したのは最近だが、私は子どもの頃から30年かけて感性を磨いてきた。そして、30代後半を過ぎて、感性を褒められることが急に増えた。これは完全に積年の功だという自覚がある。
感性のような非認知能力は、訓練によって十分に高められることは、研究などによっても示されている。
そもそも感性とは
感性とは何か、Chat-GPTに聞いてみた。一見、デザイナー等のクリエイションを仕事にする職種が当てはまりそうに思えるが、回答の中にある「人間関係、倫理などの領域」といううジャンルでいえば、専門職に限らず必要な資質であるように思えてくる。
私は、デザイナーに「翠川さんがクライアントとやりとりしてくれるならやれそう」と言われたり、クライアントに「これまで直接やりとりして喧嘩になってきたけど、はじめてうまくいった」といわれてきた。別の例では、クリエイティブな人を集めたプロジェクトを、「翠川さんいなかったらローンチ出来なかった」と言われたことを原点にこの仕事が成り立っている。かなり昔のことですが、6年前にこんな投稿もしていました。
クリエイティブな専門家のハブとなって仕事を行う場合、「美術、文学、音楽、哲学などの芸術分野」について、興味はもちろんある前提で、本職の人の気に障らない程度には知っているレベルであることが大切だ。そういった考え方ができることも、「感性」という資質に含まれているように思う。
私は、「感性」とは、何者にもなれないと悟った人のためのスキルだと思う。そして、この「感性」というのは、トレンドに合わせたアップデートが必要な類のスキルではなく、一度ついたら一生落ちずに使えるものだ。
前提として人間関係の調整が業務に含まれる「ディレクター」「プロジェクトマネージャー」「営業」「販売」などの仕事には、とくに感性の面が重要だと考える。これらの仕事は、ChatGPTをはじめとしたAIとの共存の時代にもとても重宝される職種だ。
私の関わる範囲でいえば、アートディレクターのコミュニケーション力が高かったりする場合、調整役としてのディレクターは不要なのでは?とも思う。だが、クリエイターにクリエイティブを徹底的に集中してもらうためには必要な役割分担であると、今は胸を張って言える。
感性を使うとよりうまく行く仕事
進行するために全員に伝えるディレクターやプロマネ
メディアと消費者にメガネを掛け替えるPRやマーケター
うまくいくよう立ち振る舞うマネージャー
360度気を配って売上に繋げる販売員や営業
これらの仕事は、感性を発揮して活躍できる側面が多いものばかりだ。
偶然にも私のキャリアは
みたいな感じで、当時は自分の長所であるという自覚はなかったけど、感性をフル活用して走り抜けてきたとしか言えない。
これ!という専門知識やスキルがなくても、何者でなくても、感性を使った複合的なコントロール力で、素晴らしい人たちのお手伝いが出来てきたといえる。私でなければ生み出せなかったものはひとつもないけど、ありがたいことに「翠川がいなければ無理だった」といってもらえる。私はすごくなくても、宝物のような才能を持つ素晴らしい人たちが、次の景色が毎年見れるようサポートすることはできる。
何者でもないけど頑張りたいと思う人の唯一の道は、感性を磨くことなんじゃないかな、とやっと気づいた。
しかも、感性は磨ける。それも、感性には毎年アップデートしないといけないトレンドとかない。一度つけたら、感性がない時代には戻らない。自転車に乗れるか乗れないかみたいなものだ。
参考までに、ChatGPTに磨き方も聞いておいた。
また、この投稿をした当時は感性というキーワードに気がついていないが、上記と同じようなことを今年の初めに投稿していた。
感性人材が削られるとき
私は、感性を発揮することで輝く人材(=「感性人材」)が大切にされないのがとにかく嫌だ。自分が「感性人材」であるから、大切にしてください!とは周囲に言いづらいものだが、そうやって貴重な「感性人材」が消耗されるのは本当に嫌だから、この際いっておく。
感性人材の人が大切にしている細かいところを、「そんなことどうでもいい」とかいわれるのが一番削られる。どうでもいいわけない。そういう感性を潤滑油に進んでいるプロジェクトこそ世界を救うと思うし、効率(=利益)だけを優先したプロジェクトは、長く続けるのは難しい。どんどん人を変えればいいという考え方もあるのだろうが、使いたい人材が余っている、事欠かないという現場は見たことがない。
感性人材は、視野と感度の深さで仕事をしているのでその部分を軽んじられれば疲弊するのは当たり前で、その部分への配慮が本当に重要。感性を発揮してほしいと考えている人材を、幸いにもチームに迎えられている状態にある上司の方には、その部分を認めて大切にしてあげてほしいとだけ言いたい。
専門職からの感性人材コンバートもある
これは本当に一例だが、デザイナーになりたい若者がデザイナーを諦めてプロマネになるというコンバートの話も聞いたりする。デザインの現場でデザイナーの立場もわかりながら感性を使ってプロマネとして動けるというのは、重宝されるだろうというのは想像に容易い。
専門職から専門性のアップデートにつかれて転職するというのも、感性込みであれば可能性は無限大だ。持っていて損はない性質、感性だといえる。
何者であろうとなかろうと、やる気はないと世界を救うのは無理
何者でなくても感性が重要、感性は磨ける、何者でなくても世界は救える、と書いてきたが、それを知っただけですべてが完了するわけではない。残念ながら、私たちが世界を救うためには、ひとりひとり感性を磨き、全方位にアンテナを立て、ものごとをうまく回し、団結して束になって美しく適切なアウトプットを生み出し、それを半永久的に継続していかなければならない。
これは、ただダラダラ寝ていても叶わない。すべてに行動が伴う必要がある。何者かになりたい人、何者でもないことに悩んでいる人、何者かになれそうだと予感している人、どのレイヤーにいてもやる気は必要。
むしろ何者かだった偉人たちも、行動していなかったら私たちが知る由もなかっただろうから。そこは履き違えちゃ、絶対だめだよね。
10000時間の法則とか、カラーバスの法則とか、感性を磨きながら意識して動いて、より良い世界になっていくことに貢献できる自分であらんことを。いろんなことに負けねぇで頑張ろう。
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