弱さをさらけ出し、受け入れられる社会へ- The power of vulnerability
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弱さをさらけ出し、受け入れられる社会へ- The power of vulnerability

志水静香@みんなのCHRO&変革ファシリテーター

こんにちは、Funleashの志水です。いきなりですが、皆さんは毎日SNSをどれくらい利用していますか?溢れる情報に疲れることはありませんか?
コロナで自宅に籠ることが増えて、SNSを眺めていて時間を浪費した経験はないでしょうか?私は最近、定期的にデジタルデトックスをしてSNSと少しだけ距離を置くように努めています。

自身のパフォーマンスや生活の質をあげるためにヒントを得ようと「脳科学に関する本」を読みあさったところ、ここ数年で解明された事実に改めて驚いています。どの本でも、ネットにつながっている時間を減らしてもっと「自分の内部につながる」ことが心身ともに豊かな生活を営むために不可欠であることが示唆されています。私も試してみようと考えたのです。
先日も、約一か月ほど、仕事で使う必要があるもの以外は、SNSアプリを思い切ってスマホから削除しました。最初はそわそわしましたが、生活に何ら支障がないということがわかりました。ネットには私にとって有益な情報はほんのひと握りしかないということを再認識しました。むしろその間は心が乱されず、他の活動もできて穏やかな時間を過ごすことができました。

やってみようと思った大きなきっかけは他にもありました。最近SNSを見ていると嫌な気分になったり、不快な気持ちが芽生えることが以前より増えてきたと感じていたからです。今日は人事や組織の領域には直結しないテーマかもしれませんが、間接的には関連する内容だと思うのでお付き合いください。

インターネット、特にSNS上での非難・中傷が社会問題になっています。最近は規制・ルールの是非についても議論されるようになりました。特にオリンピック前後はこの手の話題が目についたように感じます。オリンピックに参加するアスリートたちは、ただでさえ周囲からの期待や国を代表する選手としての重圧を感じていいます。それに加えて心無い中傷・非難は相当なストレスになるはずです。メンタル不調を訴える選手が増加するのも当然ですよね。

少し前の記事ですが、キング・カズこと三浦選手も次のように言ってました。

おびただしい言葉が飛び交うのに、ネット上に本音は実は少ないという指摘もある。一方で誹謗(ひぼう)中傷の多くは本気で発せられてはいないらしい。軽い一言が巡り巡って人を追い詰める。言葉の怖さを、僕らはコントロールすべきなんだろう。

日本だけではありませんが、昨今は芸能人やアスリートが失言したり、不適切な行動があったときに、あたかも「人格に欠陥があるように」個人攻撃を行い、炎上する場面が見かけられます。
前提として、いかなる差別的な発言も許されないし、そういった言動を支持するつもりは一切ないことをお断りしておきます。ただ、もやもやするのは、問題が生じた時にそれに便乗するようにコメンテーターやインフルエンサーが鬼の首をとったかのように叩きまくること。起こった問題と行動を批判するのはまだ理解できますが、その方の家族や生い立ち、過去の話などその事象に関係のない話を引っ張りだしてきての攻撃。個人の人格や名誉を傷つける現象は目に余ります。
そういうのを見ると問いかけたくなるんですよね。

あなたも過去に似たような失言をしたり、同じような失敗したことありませんか?

リーダーシップや組織文化など語って商売にしているインフルエンサーの中には、実は所属している職場ではパワハラ問題を繰り返している人がいます。また、女性や年下の人に対して、ささいなことで激怒し怒鳴りちらす、見下すような発言をする。そんな話も残念ながら時々、耳にすることがあります。

1対Nの失言や問題になる行動は社会的な制裁を受けるべきだけど、1対1だったら不適切な言動は許されるのでしょうか。相手が複数だろうが、一人だろうが、見えないところだろうが、レベルは違えど本質は同じだと思います。自分の言動が誰かを傷つけていることに気づいていないのですね。

そのような人たちに限って「無知な輩に、知識のある私が教えてあげよう」とばかりに、強い正義感に駆られて制裁を加えているようです。
「あなたは間違っている、私が正しい」と自身のことは棚に上げ、「自分の正しさ」を押し付ける姿には驚きさえ感じます。やっている人たちは正しいと信じてやっているのでたちが悪い。心ない言葉や攻撃は問題を拡散するだけで本質的な解決には至りません。(さらに傷口を広げて追い込んでいるだけです)
問題を広げるのではなく、ポジティブな方向に変換することはできないのでしょうか。

かくいう私も、これまでの人生で多くの人を怒らせたり、傷つける言葉を発して不快にさせたり、数えきれないほどの失敗を犯してきました。
自分の未熟さを恥じ、猛省して同じことをしないように意識して行動を変えようとしています。これからも最大限努力はします。それでもこれから先、同じような過ちは絶対ないですと言い切れる自信はありません。

なぜなら私は未熟で不完全な人間なのです。そして世の中には、完全な人は誰一人としていないはずです。

他山の石以て玉を攻むべし


私たちはついつい他人の問題に矛先を向けがちですが、SNSで誰かの言動に腹を立てたり、あら捜しをしたくなったら、自分の内面に意識を向けてみませんか。他人を非難するまえに自分の言動を内省する機会、自分が取り組むべき問題の発見につながるかもしれません。

ここでBrene Brown の"The power of vulnerability"を紹介します。
グローバル企業において人材開発やリーダーシップに関わる仕事をしているプロに知らない人はいないほど有名なTalkの一つです。
視聴者から人気の高いTedTalkであるのは、52か国語に翻訳されていることからもわかります。(アメリカ社会の文化に独特なジョークなど少々わかりづらい部分もありますが、日本語版もあるのでご覧になってください)
オーセンティック(偽りのない本物の)リーダーシップ講義の題材に使用したことがあるため、これまで何度も見ました。そのたびに、多くの気づきを与えてくれる素晴らしいプレゼンせーションです。


研究者であるBrene Brownは”Vulnerability”という言葉で全米で一躍有名人になりました。Vulnerabilityという言葉は「脆弱性」「もろさ」という日本語に訳されることが多いのですが、「心のもろさ」という訳が個人的にはしっくりきます。長年の研究から、彼女は下記のようなことを見出したそうです。(重要なポイントだけを抜粋します)

・ 人とのつながり(Connection)は人生の目的や意味そのもの。人と繋がっていると感じる能力は神経生理学的にも認められた能力であり生命の源泉となる

・ 恥(Shame)という感覚は、未熟・不完全な自分が人とつながる価値がないと思う気持ちであり、誰もが普遍的に持っている「心のもろさ」でもある

・周囲と良好な関係性を維持する、自己肯定感が高い人たちに共通して見られたことは、「心のもろさ」を受け入れていること。彼らは、自分たちの心をもろくするものこそ、自分たちを美しくすると信じている

・ 自分自身に忠実であるがままに生きる人々は、自分が不完全であってもよいとする勇気を持っているため、自分にも他者にも寛容、深い思いやりを持つことができる

「心のもろさ」をさらけだし、あるがままに生きることが人と人のつながりを深め、豊かな社会につながると彼女は指摘しています。
自分の至らない点を、他人から、そして自分自身からも覆い隠し、他人の攻撃にエネルギーを浪費するのではなく、自分の弱みや心のもろさを認めてそこから学べば、個人の成長につながる。この事実は他の研究からも明らかになっています。

個人レベルだけではなく、組織や社会でもこれが可能になればどんな変化が起こるのでしょうか。ハーバード大学の教育大学院で教鞭をとっているロナルド・キーガンは、「なぜ弱さを見せあえる組織が強いのかーすべての人が自己変革に取り組む「発達指向型組織」をつくる」という著書の中で、成功している組織の具体的事例を交えながら、社員が安心して弱みをさらけ出せる組織とその可能性について詳しく解説しています。

「私は完全な人間じゃない。あなたも完全じゃない。だからお互いたくさん間違いをおこしてしまうよね。それでも愛される価値がある人間だよね」

より多くの人がこう思えたら攻撃や分断が小さくなるのではないかと思っています。

アフターコロナに訪れる新しい時代には、経済性的な成長よりも人とのつながりやコミュニティの意義が高まるといわれています。
今よりも少しだけ他者への「思いやり」や「感謝」を持てる個人が増え、誰もがメンバーの一員として価値があると感じられる組織を作る。本当の意味での「インクルーシブ」な社会の実現に貢献したい。

そんなことを思いながら、私ができることをやろうと、まだまだ未熟な自分を奮い立たせる夏の終わりでした。

後編もぜひ!

愛


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志水静香@みんなのCHRO&変革ファシリテーター
(株)Funleash代表取締役、アカデミア学長。人事ソートリーダー。Linkedin認定インフルエンサー。「2020インフルエンサーオブザイヤーTOP10」複数の外資系企業で人事責任者として変革を実行。人と組織の可能性を引き出す変革の外部支援。講演、執筆など幅広く活動中。