アフガニスタンから東欧諸国に至る流動性ー「国際感覚とは何か?」について考えてみる。
国際政治問題は主語が大きすぎ、なかなか触れにくい話です。国や国際機関が主体となることが多いので、政府関係者に近くないとリアリティを感じにくいのですね。ですから、ぼくもコラムでもろに国際関係に触れるのを長い間、避けていました。
1990年、その前年、ブダペストから歩いて国境をこえたハンガリーの人たち(汎ヨーロッパ・ピクニック)と一緒だったジャーナリストの経験を直接聞きました。その後すぐ、ぼく自身も冷戦終結直後の東ヨーロッパをクルマで走り回り、「旧ソ連圏の傷跡」のありかを見聞しました。その頃、ぼくはイタリアで生活をはじめたばかりでしたが、「自分のもう一つの拠点としての東欧」の可能性を探っていたのです。だが、これをぼくが個人の問題として絡めるのは敷居が高すぎると気づきました。若気の至りです。
しかし、2000年代に入ると欧州各国の文化把握が自分の仕事のなかに入ってきて、それをテーマにした本を書くようになります。
2010年代、EUに100万人以上の難民がやってきて生じた危機状況、欧州各地でのテロ事件などをリアルに感じるエピソードを身近に経験し、欧州文化事情のみならず、国際政治情勢に関する理解と変化への感覚をもっと向上させる必要を思うようになりました。
管轄としたらイタリア内務省の移民局のデータにある自分のポジションを考えると当然なのですが、それまで愚かなことに、どこか「移民」という言葉を他人事のように思っていたのですね。赤いパスポートの恩恵に授かっていたのでしょう。
ダグラス・マレーの書いた『西洋の自死』、イスラム国に囚われたナディア・ムラド『私を最後にするために』に描かれたような現実が、ある大きな状況変化が生じれば自分にもふりかかり、例外でいることはありえないわけです。
そして、昨年、ミラノで生まれ育った19歳になった息子がイタリア国籍を取得するに及んで、国際政治により自覚的になります。つまり、どういう国際的紛争において、日本国籍のぼくら夫婦と息子の間に不都合が生じるかを具体的に想像しておかないといけない。
そうした個人的経験の推移に基づいたとき、アフガニスタンの政権交代は遠景なのか?近景なのか?ということを思うのです。中央アジアに生まれる空白は多くの国にとって困ったことで、中国がそこに食指を伸ばす・・・といった議論を外交や軍事の専門家がするのはいいけど、一般のビジネスパーソンは違ったアプローチをとるのが適切では?とか考えるわけです。
アフガニスタン事情に並行して、ぼくが大いに気になっているのは、ベラルーシや中国と対立しながらも踏ん張っているバルト三国のひとつ、リトアニアのナウセーダ大統領の発言をめぐる以下の記事です。
同じバルト三国で電子政府などで話題にのぼるエストニアと比べ、これまでリトアニアは対外アピールに遅れをとっていました。というのも共産圏離脱後、エストニアは新しい軌道にすぐ乗り換えられたのですが、リトアニアはモスクワとの「腐れ縁」をおよそ10年間絶ち切ることができず、自由主義圏の独立国としての新しい歩みをはじめたのは今世紀に入ってからです。
そして、ぼくは同国の大学の先生とのつきあいのなかで、「リトアニアの人たちが、自分の頭で新しい社会ビジョンを考えるためにデザイン教育が有効」と政府と政策検討を進めていることを知ります。これは、一言でいえば、旧ソ連に牛耳られたような道は決して繰り返したくない、との強い決意のうえに成立しています。
したがって、上記の記事にあるように、隣国のベラルーシ政府の強権化から亡命する人たちを支援し、また台湾の代表機関をEU加盟国としてリトアニアにはじめて設立したことで中国政府の逆鱗に触れても、リトアニアの大統領が前進を宣言するとのニュースは、ぼくの頭のなかにはスッとはいってくるのです。「そうだろうなあ。ここで簡単に退けるはずがない」と。
他方、現在、ベラルーシほどではないですが、ハンガリーもEUの西側勢力が「眉をひそめる」以上の人権侵害の方向に向かっており、極めて流動性が高いです。
加えて、2015年の欧州難民危機の際、東欧各国はEUブラッセルの提示する難民受け入れの割り当てに反対しました。その事実について、上述した『西洋の自死』のダグラス・マレーは以下のように解説しています。
これら東欧の国々は、その歴史の大半を通じて、西欧の国々と同じ井戸の水を飲んできた。しかし彼らは明らかに異なる態度を身に着けている。おそらく東欧は西欧のような罪悪感を抱えていないか、またはそれに染まっておらず、世界のすべての過ちが自分たちのせいかもしれないなどとは考えなかったのだろう。
あるいは西欧の国々を苦しめた倦怠感や疲労感にはさらされなかったのだろう。戦後の大量移民を経験しなかったために(多くの別の経験をしたわけだが)、西欧が想像したり取り戻したりすることに苦労している国民的な一体感を保ち続けていたのかもしれない。また西欧の状況を見て、自国では同じことを起こすまいと決めたのかもしれない。
それで、アフガニスタンに話題を戻すと、国内の政治・社会状況の激変とともに今大きなテーマは、アフガニスタンの大量の難民を世界各国はどう受け入れるか?にあります。
EUとしての政策の方針はこれから打ち出すようですが、そのとき、前回の難民流入に消極的だった東欧はどういう態度をとるのか?です。ただでさえ、ギクシャクしている東欧各国の間で更なる緊張は、ドミノ倒しのような現象をつくることにならないか?と危惧します。それは結局において、ぼくが生活する西側陣営のイタリアの社会においても軋み音が聞こえてくるのは時間の問題でしょう。
さらに、このドミノ倒しが直撃をうける欧州の課題といえば、欧州の負の過去の清算処理が更に複雑化することです。
近世欧州には3つの負の過去がある。時代順では、まず植民地主義。欧州列強が世界を分割し、いまに至る格差や紛争の種をまいた。英国も一端を担った。2つ目は第2次大戦中の残虐行為。ドイツやオーストリアなどが背負う罪だ。3つ目は戦後の独裁政治。南欧の軍事政権と東欧の共産独裁による暴力だ。汚点とどう向き合うのか。欧州は長年にわたって悩んできた。歴史の光と影は表裏一体。輝く業績や偉人も見方を変えれば泥にまみれたものになる。
アフガニスタンからの難民に不十分な対応しかできないであろうことは明らかで、その際、上記のこれらの枠組みのなかで負の清算に立ち向かう意味は何なのか?が深く問われます。
最後に上述の前提を書いておきます。
どこの国でも、民主主義の劣化、あるいは民主主義の現代へのアップデイト不足が頻繁に指摘されています。民主主義には1人1人の社会的対話のツールとしての側面が当然ありますが、ぼく自身、根本は1人1人が自由に考え、自由に行動することを保証する、つまりは人の尊厳、または人権のウエイトが一番最初にくると考えています。また、この点が「国際感覚」の筆頭にくるアイテムである、とも考えています。
冒頭の写真©Ken Anzai
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