「アジア系移民映画」が描くもの
先日、映画『Past Lives』を観た。
マスクがびちょびちょになるほど号泣して、もうこれは救いようがありません。これほどまでに、残酷で素敵で美しい「運命」を描いた作品があっただろうか。アメリカと韓国、未来と過去。強さと弱さ、宿命と運命。
この作品の凄いところは、もちろん「恋愛映画」としての繊細で切ない描写はもちろん抜きん出て凄いのですが、ストーリーの根幹にある「韓国の移民の苦悩」の視点がやっぱり素晴らしすぎるんですよ。親の都合で「強く」なきゃいけなかった少女の、インナーチャイルドが抱えた傷と振り返れなかった過去。
アメリカに馴染めたと思っても、やはり「過去の人生」や「国境、世代を超えたアイデンティティ」が付き纏ってしまう。作品中、何度も「韓国人らしさ」がチクチクと刺さるようにモチーフとして登場するが、その鋭さにハッとする。監督自身の経験や昨今の移民物語の急速な普及が、それを可能にしている。
The Farewell, Minari, EEAAOなど「アジア系移民の物語」を誠実に描いてメインストリームで高く評価される作品を輩出し続けているA24。今回の『Past Lives』も絶賛されている作品だが、この配給を通して全く新しい価値観を持ったアジア系アメリカ人の新世代を構築してるのだ。
『エブエブ』で受けた衝撃については、様々な媒体で書いてきた。監督たちのインタビューも行い、彼らの制作意欲の根底にある「優しさ」と、そして「ストーリーが持つ力」への信念を特段強く実感した。このように様々な経験、ストーリー、価値観や歴史が作品を通して共有され、観客の間で咀嚼され、体の一部になり、さらに社会に伝播していく。声の聞かれなかったマイノリティたちが、自分たちの家族やコミュニティを振り返り、喜びも悲しみも描き出すことで、自信と向き合い、アイデンティティを整理することにもつながるのだ。
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