「本物」の文化って何?ーミラノのスペイン料理店で考えたこと。
先日、ミラノ市内のスペイン料理レストランに出かけました。ミラノにスペイン料理を出す店は10数軒あるようですが、多くは小皿料理を中心としたタパスの類で、ぼくが奥さんと夕食をとった店は「我々はオーセンティックなスペイン料理を出す」ことを売りにしています。
10日ほど前に、この30年ほどでミラノ市内でも異国料理の店が増えてきたことを以下で書きました。しかし、近隣であるフランスやスペインの店が思ったほど多くないと記しました(パリにあるイタリア料理の店のようには、ない)。
そこで、ぼくは店の人に「ミラノに、そんなにスペイン料理の店は多くないよね」と言ったら、「いや、10数店舗もある」と上記のような答えが返ってきたのです。これはちょっと意外な表現です。今や寿司やラーメンを入れると、三桁の数がある日本料理の店ですが、スペイン料理は10数軒を多いと言っているのです。
そして、店の人は「我々は厨房もホールもすべてスペイン人で、本物のスペインの料理文化を伝えている」と胸をはるわけです。ああ、なるほど、これは海外市場における日本料理のパターンと同じなんだ、とぼくは気づきます。
20世紀後半、欧州の日本料理も最初は日系企業の駐在、日本からの出張者・観光客をターゲットにし、20世紀末から21世紀のはじめにかけて、中国からの移民が寿司の店を作り始めました。そして、2010年前後から「寿司の食べ放題」の店が急増します。イタリア人の高校生も友人たちとつるんで昼食をとる場と化します。
このトレンドと並行して、「日本人が厨房に入っている本物の日本食の店に行きたい」とのイタリア人の要望が増えてきたわけで、そうすると「本物」という言葉が大切になります。しかし、何が本物であるかなど、当の日本の人たちでさえ議論の的になるくらいです。それなのに、「本物」という言葉だけが独り歩きしはじめます。
スペインは、地理的にも文化的にもイタリアと近く、これまでの人の交流が多いにも関わらず、殊、ミラノにおけるスペイン料理に限っていうと、案外、日本料理と似たようなポジションにある、と思ったのですね。
「気楽なタパスばかりで、本当のスペイン料理文化が伝っていない!」と思うところなど、「中国人の寿司ばかりで、本物の寿司をイタリア人は知らない!」と息巻くのと似ているわけです。
ただ、大きな違いもあります。
店のスペイン人たちのイタリア語の上手いこと。同じラテン語系なので、上手いのは当然ですが、「本物」であることを、あの手この手で説明するのです。
他方、日本料理の店でスタッフを日本の人だけで揃えると、料理のことは熟知しているけれども言葉で十分に説明できない、あるいは逆に、言葉は流暢だけど料理や文化の説明は大いに不足する、この2つのどちらかに陥ることが多いのです。
「本物」と言いたいのであれば、(オーナーや店主だけでなく)スタッフ全員が両方をカバーできないと、「本物」が本物のようには見えないでしょう。つまり、「本物」には大いなる疑念を伴うのが当然であるからこそ、より説得性の高い喋りが求められます。本物とは幻想にすぎないことを前提に、対象として酔えるのが本物です。
ぼく自身、スペインのことは詳しくないです。中途半端な経験と知識しかもっていないです。しかし、だからこそ、スペイン人の説明する「これはスペインの本物」という言葉に注意深くなるわけです。そこが甘いと、「ああ、この人、本物という言葉を振り回しているだけね」と思うのです。
ともあれ、この店のスペイン料理はとても美味しかったです。前菜からパエリア、デザートに至るまで、十分に料理を堪能しながら、スペインの異国情緒を楽しみました。
そして、最後に「スペインのカフェをお願い」と頼むと、「カフェについては、イタリアと闘えないから、イタリアのもの」との答え。こういう風に言われると、一気に彼の「本物」の解説がリアル感をもつのが妙です。
写真©Ken Anzai