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日本はなぜスマホが作れなかったのか?ー日本の方法論「物真似」はどこにいった②

日本がこの30年で失ったものは、速度ではないか。かつての日本は、こんな速度だったのではないかー世界最速の都市と言われている中国深圳の経営者たちと議論していたら、そう感じざる得なかった。「深圳を見よ」と、多くの日本の企業人たちが深圳を視察しただろうが、何かを感じ何を考え何かを変えれただろうか?

朝に、誰かと話をしていると、面白いアイデアが浮かんだ。それをカタチにしようと、部品を集めて、組み立て、プロトタイプをつくり、夕方には市場に出している。それを手にした、触れた、見ているお客さまの反応を観察して、よりよいものに修正して、翌日にそれを、市場に出した。毎日毎日、それを繰り返して、洗練された良きものを、世の中に出しつづけ、すごい会社になった

1. なぜ中国は既存の自動車市場に臨んだのか?

中国が自動車をつくりはじめた―トヨタやフォルクスワーゲンやゼネラルモーターズや日産自動車やダイムラーなどの大手・名門・老舗メーカーがどっさりといる世界に、新たに自動車事業に参入してもうまくいくわけない、絶対無理で有り得ないとみんな笑った。しかし中国は世界の自動車から見本を見つけて、自らの自動車をつくって、あれよあれよと言う間に、世界的な自動車メーカーになった

なんでなんやろ?

テスラに次ぐ世界第2位となった中国の電気自動車メーカーのBYDは、1995年に深圳でバッテリー会社として創業して、2003年に自動車市場に参入した新興メーカーである。

BYDは「自分たちの自動車をつくる」ということを決めて、世の中で売れている自動車を見本にして、独自の自動車をつくって、売り出して、BYDの車は良いと評判を集めた。そのあとに、専門家や技術屋を集めて、車づくりをレベルアップさせて、あっという間に、世界的企業になった。凄まじい速度である

日本も、かつてはそうだった。トヨタも日産もホンダもスズキもそうだった

それが変わった

まず専門家という企画者や技術者たちを集めて、自動車とはなにか?技術のトレンドはどうだ?環境規制の動きはどうだ?世の中のニーズはなんだ?世の中にどんな自動車があったらいいのだろう?わたしたちは、どうしたらいいのかの議論を何度も何度も行なう。分析過剰、計画過剰、議論過剰、リスク想定過剰、時間をかけすぎているうちに、時代からズレる。チャンスを逸する

2. ドローン大国になり損ねた日本

日本はかつてドローン大国だった
日本は、ドローンという英語名がつけられる前に、先行していた。ドローンの安定飛行のコア技術は姿勢制御システムだが、そのシステムはもともと日本のセンサーから始まっていた

ドローンは第二次世界大戦前から英米が本格的に研究・開発していた軍事用の無人飛行機がルーツ。戦後も軍事での研究と併行して、民間での産業用ドローンへの転用研究が進むなか、1987年にヤマハが世界初の産業用無人ラジコンヘリコプターを発売した。無人なので現在のドローンというカテゴリーとなるため、そう捉えると日本が実質的にドローン大国だった

この技術によって、ドローンが水平に飛べるようになった。ドローンが成り立つのは、姿勢制御のセンサーがあるから。このセンサーはもともと日本製だった

またプロペラの回転数を細かく制御するのも、日本の技術である。日本は、これら技術で垂直に浮きあげられるドローンが作れたのに、開発に時間をかけているうちに、フランスのスマホのアクセサリーやワイヤレス音響機器を開発していたParrot社がドローンを発売した。先を越された

ドローンというネーミングは、ドローンの形状がハチのようで、飛ぶ音が蜂の羽音を連想させるためドローンと言われるようになったとか、第二次世界大戦時の英軍の射撃訓練用標的飛行機の愛称が「クイーン・ビー(女王蜂)」だったことにちなんで、英語の「オスのハチ」Droneとなったとか、いわれている

フランスのParrot社が、ドローンという名前をつけて売り出したが、中国のDJI社があっという間に抜き去り、中国がドローンの世界市場シェアの7割を占めている

なぜそうなったのかは、中国深圳の電気街に行けば見えてくる。世界最大の電気店街の至る所に、見たことのない、いろいろなドローンが並び、飛んでいたりして、毎日がイベント・展示会のようで、日々実験がされていて、そのドローンの数々を見たお客さまの声を吸収し、それを研究して、フィードバックして、進歩させていた。徹底的に、お客さまを向いていた

そこでは、ドローンがなにができるのかではなく、これをするために、これを実現するためにドローンが役立つのかの想像力が大事だった。こうして日本は、母屋が取られた

スマートフォンも同じ

スマホの画面のタッチパネルは日本が開発した。タッチの液晶は日本のデバイス。スマホのなかは、QRコードの読み取り機能やカメラ精度を高めるCMOSセンサーをはじめ、日本の部品だらけである。にもかかわらず、日本からスマホが生まれなかった。日本は、世界的技術をうみだすが、全体を統合して、組合わせて、商品のパッケージ化、完成品をつくりだせなくなった。なぜならば

お客さまが見えていなかった
お客さまを見ようとしなかった

3 家庭用ゲーム機天国になれた日本だが

しかし日本は家庭用のゲームを生んだ。それは正確ではない。突然、日本が独創的なゲームを開発したのではない

日本の家庭用ゲームが登場する前に、アメリカのアタリ社などの企業が家庭用ゲーム機を開発していた。しかしアメリカの会社のゲーム機には、コントローラーがなかった

それに対して、日本企業は上下左右、手で動かせるコントローラーを生みだした。 任天堂のゲームボーイのジョイスティックは日本の技術だった。ハンドルで、上下左右、7方向・8方向に動かせるコントローラーは日本人が生み出した技術だった。ゲーム機のコアであるジョイスティック技術をもって、日本は家庭用ゲーム機を完成させた。

しかしスマホとドローンを日本は結実させることができなかった。なにが違って、それができなかったのか

何を作るかが初めに見えていなかったのだ。それを手にして喜んでいただいているお客さまの姿を想像するチカラが弱くなったのだ

日本人は、古代から現代まで、佳きものを真似してきた。社会のなかで、これは便利だな、これはいいなと感じたり、見つけたり、聴いたりしたものを真似して、本家以上に佳きものに、良いものに洗練させ、磨いて、進化させてきた

そっくりそのままのコピーは当然、知的財産権の侵害になる。だからそうならないよう、他の佳きものを見本に、自らの解釈を織り込んで、自社ならではのモノをつくった

そんなの、格好が悪いと言う人がいるが
ビジネスって、そういうもの

世の中で、それまで誰も考えたことがない、まったく新しい、独創的なモノ・コトなどほとんどない。なにかを考えついたと言っても、基本は誰かに、どこかで、なにかに、インスピレーションを受けて、類推(アナロジー)して、何かと何かを結合させて、何かをつくり、社会に出して、試行錯誤をしながら、日に日に磨いていった

そういったプロセスを踏んでいくなか、日本は独自のものを創造したり、より佳きものにしたり、新たなモノを開発してきたが、カタチにするまでに20年30年も時間をかけているうちに、世界に追い抜かれてしまうようになった。ソーラーモジュールだって、日本はダントツに進んでいたのに、ソーラーパネルの商品化は、世界が先におこなってしまった。日本のお家芸だった速度が、世界に追いつかなくなった

4 日本のお家芸がどこに行った?

モノを創って、それが売れるようにするためのいちばんの近道は、売れているものを自分で、自社で試してみる、つくってみること。他の売れているものをつくってみたら、まったく同じものだったらパクリになるが、その売れている本質を読み解き、その本質を多様的に翻して、より佳き、より良いモノにしてきた

日本の漫画とかアニメが、世界で評判だった。韓国と中国はその真似から始めた。真似した当初は日本との差は大きかったが、いまでは日本よりも上回る分野が増えている

日本のドラマや歌謡曲も、かつて評判がよかった。その日本のドラマとか歌謡曲を、韓国や中国は真似た。それが、いまでは中国や韓国が洗煉したモノ・コトが続々と生まれている。日本が国内て閉じこもっている間に、もっと広い世界での展開をイメージした韓国や中国は、大きな飛躍をしている

日本がお家芸だと思っていることをしている

世界は、世の中の佳きモノの物真似からはじまり、独創的かつ洗練されたモノ・コトを創造している。はじめは物真似だったけど、そこに優秀な人材や情報や知恵が集めることで、洗練・進化していって、日本と遜色ない、いや日本を上回るものを創れるようになっている

どないなってるんや?


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