見出し画像

【保存版】複業(副業)の歴史 〜複業の過去と現在地を徹底解説(前編)~

大林 尚朝/Another works

日経COMEMOのKOLをしております、大林です。50,000名以上が実名顔写真付きで登録する複業マッチングプラットフォーム「複業クラウド」を運営する株式会社Another worksの代表をしております。

2年以上継続させていただいているこのCOMEMOでは、複業のトレンドやニュースをプラットフォーマーの目線で解説してきました。

いまや当たり前に複業(副業)は、国策として表明され、多くのニュースとなっていますが、一昔前は耳にする程度、聞いたこともない方も多い言葉だったことでしょう。

そこで今回は前編、後編にわたり、起源から、令和の現状をご紹介していきます。読者の皆様の、「なぜ今複業が注目されているのか」「今後複業はどうなっていくのか」「複業は始めるべきなのか」を考える上での判断材料となれば幸いです。

複業(副業)のハジマリ

本格的な複業(副業)の起源は江戸時代給与が少なく不安定な下級武士が生活のために内職をしていたこととされています。

そもそもなぜ、武士の給与が少なかったのでしょうか。『お江戸の武士の意外な生活事情』の中で中江氏は、理由は簡単で、武士には昇給がなかったからだとしています。1722年頃より「米価安」となった影響で、武士の収入が減少した一方、その苦しさに輪をかけるように「諸色高」と呼ばれる物価高が訪れ、昇給などの増収が見込めない武士の生活が苦しくなるばかりだったそうです。

そこで、内職をはじめる武士が増えてきたといいます。文化十三年(一八一六)に成立した『世事見聞録』にもその様子が「小禄の武士や足軽、それ以下の武家奉公をする者は、仕事のあいまに内職をして傘や提灯を張り、下駄や足駄の鼻鼻緒をつくるなど、さまざまな細工をし、妻子もそれを手伝っている。町人のおかげで金を受け取り、暮らしの足しにすることができるのだから、しまいには奉公よりも内職を大事にするようになる」と描写されています。(中江、2005)

また、いまの「漫才」も江戸時代は農家の副業であったとされています。記事によれば、漫才の起源は、伝統芸能の「萬歳」にあり、演芸評論家の相羽秋夫氏が「大きく花開いたのは江戸時代だ」と話すといい、農業従事者が農閑期の年末年始に各地の家々をまわり、新年を健康で過ごせるよう願う言葉を鼓の音に乗せて歌い、お金をもらっていたといいます。

また、江戸時代の商家においては、副業が実質禁止されていたといい、日本の長いふくぎょう禁止政策の根源となっていたという考察があります。

『武士と手代 徳川日本の 「正社員」』の中で斎藤氏は、徳川江戸の時代では、官僚化した武士、商家の手代が 「正社員」 的性格をもつ就業者であった一方、勤務時間や 時間規律の上で、両者の働き方は大きく異なったと話しています。武士は、勤務時間が短く、帰宅時間はフレキシブルであったため、かなりの非拘束時間があったものの、商家は個人の自由時間がほとんどなく、統制されていたそうです。現代日本の企業にみられる、正社員を就業規則で副業を禁止するという傾向は、商家が起源となっていると分析していました。(斎藤、2006

このように、ふくぎょうは江戸時代から存在していた働き方であり、農家から武士まで様々な環境の人々が生活の一部にしていた働き方であることが分かります。

政府によって複業(副業)が奨励された明治後期~大正時代

明治後期から、開国に伴い、政府によって複業(副業)が奨励されていたとされています。ふくぎょうは禁止されているイメージの強い日本からすると意外ですよね?

『明治後期からの「副業の突励」政策について』の中で荒幡氏は、明治後期から大正期にかけて、農政において「副業の奨励」が頻繁に行われ、農商務大臣から帝国農会へ「農家副業ノ発達ニ関スル件」が諮問されたといいます。この時期に「農家の副業」と呼ばれていたものには、農家が行なうワラ加工等の農産加工や糸紡ぎ、機織りなどの家内工業の他に、一般的に農業に含まれる園芸作物生産、養蚕、畜産等主穀以外の全ての農業生産が含まれていたといいます。(荒幡、1997

これらは、農家を続けながら、副業として別の業務を続けることであり、主に生活を維持するための収入源として推奨されたそうです。現代に置き換えると、本業を持ちながら、金銭報酬を目的に複業をしていく動きと言えるでしょう。

また、荒幡氏によれば、養蚕業の複業(副業)が特徴的だといいます。まずは農家の副業として始まっていた養蚕業ですが、当時の日本が日露戦争後で国際収支の赤字が慢性的となり、国家的にも輸出の振興が急務であり、その主力としての蚕糸生産には大きな期待がかかっていたそうです。そこで、副業的に行われていた養蚕業を副業として位置付けるだけに留めず、ある程度の規模と主業としての取り組みに移行していく動きがあり、その結果もあり大正 2年の日本の蚕糸生産量は世界第一位、世界総生産の44%を占めるに至ったといいます。(荒幡、1997

この動きは、度々ご紹介している「まずは複業で」という働き方ではないでしょうか。まずは本業を持ちながら、複業で新しい取り組みに挑戦し、成功パターンが見えたり、大きな成果が見込まれる場合は「起業や転職」というキャリアを選択する発想は、明治後期〜大正時代にも共通していると思います。

また、本政策は、政府が主導し、全国的な副業奨励が行われていたことがポイントです。荒幡氏によれば、「副業」という言葉が行政で使用されたのは、概ね明治30年代に入ってからだといいます。政府が「副業」という用語を明確に使用しているのは明治34年「第二回府県農事試験場長、農事講習所長、および農事巡回教師会議」で、農商務省農務局の諮問第2問「各府県農家副業の種類及びその将来の見込み如何」と問われたといいます。(荒幡、1997

また、この段階での副業は「片手間にやる」ことがキーワードとされているものの、ふくぎょうの拡大において明確な進歩であるといえるでしょう。

また、『「副業」の研究』の中で川上氏は、大正6年に設立された副業課についても詳細に言及しています。1925年に「副業奨励施策」が施行され、①道府県の副業奨励事務に従事する専任者設置、②副業に関する伝習会、講習会、展覧会、共進会、競技会等開設、③副業を指導すべき技術員養成、④副業に関する調査、試験、⑤副業に関する参考品・副業用種苗・器具機械の購入、配布、⑥副業品の清算・販売に関する斡旋、⑦副業に関する組合設立、⑧その他、大臣が必要と認める事項という八つの項目において、全国規模での副業推進が行われたといいます。(川上、2018

2018年以降「副業・兼業の促進に関するガイドライン」や「モデル就業規則の変更」において国が大きく乗り出し、国策として進むふくぎょうですが、100年以上前にも日本は副業が奨励されていたことがわかります。ふくぎょうはトレンドに留まらず、歴史のある働き方であったのです。

終身雇用が主流になった戦後の高度経済成長期

明治から大正期には副業が奨励されていた一方、戦後の日本では、終身雇用制度への移行をきっかけに、1社に所属するという概念が強まり、「副業禁止」の風潮が流れ始めました。

なぜ、日本は戦後終身雇用へ移行し始めたのでしょうか。

『日本における長期雇用の制度化プロセス』の中で須田氏によれば、近代化以降のブルーカラーを含めた終身雇用の起源としては、明治末期から大正期にあるといいます。工業化の進展、好況な経済の中で労働者の定着が必要となり、企業は労働者の定着を試みる施策を導入するようになり、労働者の定着が促進されていったというのです。(須田、2015

このように、終身雇用という一種の安定を保障される代わりに、従業員は1社に所属する概念が生まれています。企業の優秀人材に定着してほしい願いと、戦後の不安定な情勢における国民の不安が現れているでしょう。

この時代、いくつかの裁判例からも副業が実質的に制限・禁止されていたことがわかります。副業・兼業の促進に関するガイドラインより、都タクシー事件(広島地決昭和59年12月18日)と呼ばれる昭和時代における副業に関する裁判の判例を引用します。

【概要】
隔日勤務のタクシー運転手が、非番日に輸出車を船積みするアルバイトに月7、8回たずさわったことを理由とする解雇に関して、労務提供に支障が生じていないこと、他の従業員の間でも半ば公然と行なわれていたとみられること等の事情から、具体的な指導注意をしないまま直ちになした解雇は許されないとした事案。

【判決抜粋】就業規則において兼業禁止違反の制裁が懲戒解雇を基準としていること等に照らすと、就業規則によって禁止されるのは会社の秩序を乱し、労務の提供に支障を来たすおそれのあるものに限られると解するのが相当である。タクシー乗務の性質上、乗務前の休養が要請されること等の事情を考えると、本件アルバイトは、就業規則により禁止された兼業に該当すると解するのが相当である。しかしながら、現実に労務提供に支障が生じたことをうかがわせる資料はないこと、従業員の間では半ば公然と行なわれていたとみられ、かつ、アルバイトについての具体的な指導注意がなされていなかったこと、・・・(中略)・・・等の事情を綜合すると、何らの指導注意をしないまま直ちになした解雇は(懲戒解雇を普通解雇にしたとしても)余りに過酷であり、解雇権の濫用として許されないものと認めるのが相当である。

参考資料2(副業・兼業の促進に関するガイドライン パンフレット抜粋)
https://www.mhlw.go.jp/content/11909500/000501301.pdf

この判例は、「非番」の日に私的なアルバイトをしていたことを理由に従業員が解雇された事案について裁判で争った代表的な事例です。解雇前に十分な指導がされていなかったことを理由に、解雇は許されないという判決が下されている一方、就業規則によって兼業は禁止されており、かつ、タクシー運転手のアルバイトは、就業規則により禁止された兼業に該当すると解するのが相当であるとされています。

このように、戦後の高度経済成長期では、終身雇用が浸透、副業は就業規則上で制限され、かつ、暗黙の了解としても禁止される傾向にありました。

以上、複業(副業)の起源から禁止に至る流れをご紹介しました!
後編では、複業(副業)解禁への動きをまとめていきます!

Twitterでも日々発信しています!


この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!