フリーランスの利益代表はどうあるべきか
こんにちは。弁護士の堀田陽平です。
天気も良くなってきたのでベランダでマリーゴールドの種を植えました(モスバーガーで10年程前にもらった種は芽吹きませんでした。)。
さて、先日の新しい資本主義実現会議でもフリーランスがアジェンダに挙げられており、フリーランス新法の議論が進んでいます。
フリーランスの集団的交渉の議論はまだ乏しい
フリーランスの保護の方法論としては、
①法律やガイドラインレベルで国が介入することでその改善を図るという方法
②フリーランスが集団的な交渉を行うことで改善を図るという方法
があり得ます。
現在、フリーランスガイドラインやフリーランス新法によってフリーランスの保護を図ろうとしているのは、①の方向性です。
こちらについても色々と書きたいところがありますが、まだ②の議論はさほど進んでいるわけではないように思われます。
そこで、今回は、②の集団的交渉による方法について考えてみます(今回はちょっと長いです)。
労働者にとって集団的交渉は条件交渉の有効な手段(であった?)
まずこの問題について考える前提として、労働者の利益代表の考え方について見てみましょう。
労働者の利益代表は、いうまでもなく「労働組合」です。
そして、労働組合が使用者と交渉することや団体行動を行うことは、憲法や労働組合法によって手厚く保護されています。
労働組合法で保護することの法的意味
このことは、労働者の集団的交渉・行動を保護するという労働法的側面の他にも、独占禁止法との関係で重要な意味を持ちます。
独占禁止法では、事業者が取引条件等を拘束することは、カルテルとして違法とされています。
「労働者なんだし独占禁止法は関係ないだろう」と思われるかもしれませんが、実は、“独占禁止法上は”、「労働者」も「事業者」から明示的に排除されているわけではないと考えられています。そのため、労働者が集団的交渉を行い、労働条件等(主に賃金)を統一するような行動をとると、カルテル規制に抵触するのではないか、ということが問題となります。
ですが、世の中において適法に団体交渉が行われています。それはなぜかというと、公正取引委員会の“解釈”として、①典型的労働者(労基法上の労働者)は「事業者」ではない、②労働法により規律されている分野については独占禁止法は原則として問題にならない、として運用しているからです。
そして、②の典型例が、労働組合法による労働組合の行為であるとされています。
したがって、労働組合法による保護は、独占禁止法上の規制を回避する意味もあります。
アメリカの労働組合法は、このカルテル規制との関係で発展してきたとされています。
※以上について以下をご参照下さい。
https://www.jftc.go.jp/cprc/conference/index_files/180215jinzai01.pdf
フリーランスの集団的交渉は独占禁止法上問題がある
さて、フリーランスについて話を戻しますと、フリーランスは労働者ではなく、(実態上「労働者」の場合もありますが)基本的には「事業者」です。少なくとも、上記①の典型的労働者ではないでしょう。
そうなると、上記のとおり、フリーランスによる集団的交渉はまさに独占禁止法上カルテル規制との関係がダイレクトに問題となります。
この問題をクリアする方法の一つとして、上記②の観点から、労働組合法上の労働者性を主張することが考えられます。
実際、冒頭記事や以下の記事にあるように連合や全労連などの労働組合の組織も一定の意見を述べています。
確かに、労働組合法上の労働者概念は、労働基準法の労働者概念より広く、野球選手やバイシクルメッセンジャーなど労働契約以外の契約によって働く場合でも適用されています。
しかし、一定のフリーランスが労働組合法上の労働者であるとされたとしても、やはり多くのフリーランスは、労働組合法上の労働者であるとは言い難いと思われます。
ドイツの被用者類似は労働協約の適用が主な狙い
そうなってくると、労働組合法上の「被用者類似」の制度を参考に、日本においても労働組合法上の労働者概念を拡大するという方法が考えられます。
これまで厚生労働省で「雇用類似」という考え方は検討されてきましたが、そこでの議論は労働組合法上の保護を超えるかなり広範な保護を含めて議論されており、一見してドイツの議論を参考にしているようで、ドイツの被用者類似とは大きく異なる議論がされていると私は考えています。
ちなみに、ドイツの被用者類似の制度は、実際にはさほど活用されておらず、ジャーナリストが活用しているにとどまっているようであり、この制度を参考にすること自体にどれほどの意味があるかも考えるべきでしょう。
日本の労働組合は正社員の利益代表になっている
さらに日本に関しては、現実的な問題が立ちはだかります。
すなわち、産業別組合によって報酬などの条件交渉が行われるドイツとは異なり、日本の労働組合は企業別組合であり、主に正社員で構成され、事実上は「その企業の正社員の利益代表」になっています。
フリーランスを「労働者」と位置づけたとしても、多くの場合「非正規労働者」となると思われますが(以下記事をご参考ください)、純粋に労働者である「非正規労働者」の利益代表ですらない労働組合が、「組織外」のフリーランスの利益代表となり得るかは大いに疑問があります。
フリーランスが特定のイデオロギーを持つ団体に属すこと望むか
また、フリーランスである人が、特定の団体に属することを望むのかということも疑問があります。
今年の3月に公表された「フリーランス白書2022年」(フリーランス協会)では、冒頭、以下のようなメッセージが出されています。
https://blog.freelance-jp.org/wp-content/uploads/2022/03/FreelanceSurvey2022.pdf
また、フリーランス協会が行った調査によれば、「今の働き方の満足度」については、多くの人が満足している傾向にあるようです。
これは、内閣官房が行ったフリーランス実態調査とも整合しています。
こうした結果をみると、「多くのフリーランスは不満をもっていて、労働法の保護を受けたいと考えている」という前提でフリーランス政策の議論をすることは危険であると思われます。
特に、労働法の保護を受けることは、会社からの指揮命令が前提となる可能性があり(指揮命令もなく法的規制だけをかけるのは難しいでしょう)、仕事の選択において「自由度」を重視するフリーランスがそれを望むかを疑問です。
しかし労働政策の議論は公・労・使でなされる
政策議論としてさらに問題であるのは、フリーランスについて、どの程度「労働政策」として議論すべきかという点です。
労働政策審議会はILOとの関係で、公・労・使の委員で構成されています。ここでの「労」には、連合などの労働組合の中央組織や企業の労働組合の人が入っています。
そうなると、フリーランス協会の方々などが意見を述べる機会もありますが、最終的な労働政策の議論の場では、フリーランス側の意見を述べるのは「労」側である労働組合になってしまう可能性があります。
確かに、実態上労働者であり、労基法や労働組合法上の労働者となるような人たちとの関係では適切であり、一概に否定する趣旨ではありません。
しかし、労働組合側の意見を「フリーランスの総意」として位置づけて議論することは、組織内の労働者(正社員)と組織外フリーランスは、企業のなかの限られたパイを食い合う関係にあり本来利害が対立する構造であることを考えると、リスクもあるように思われます。
一言で「フリーランス」といっても実態は様々
長くなってしまいましたが、何をいいたいかというと、「フリーランス」と一言で言っても、その実態は様々であり、そのことに留意して政策議論をすべきということです。
フリーランス白書2022年の冒頭文にも以下のように書かれています。
確かにフリーランスの中には、実態上労働者であったり、極めてこれに近い態様で働いている人もおり、そうした人々との関係では、労働組合に一定の役割はあると思います。
ですが、そこで出てくる「フリーランス」がフリーランスの全てであると考えてしまうと、望んでフリーランスとなった人々の自由な働き方も阻害する可能性もあるように思います。