やはり大きかったメルケルの抜けた「穴」~迷走目立つドイツ新政権~
「逃げ腰」が露わになるショルツ政権
金融市場はFRBの正常化プロセスに関する懸念に加え、ロシアのウクライナ侵攻という深刻な地政学リスクが浮上しています。米国がウクライナ周辺の東欧地域に米軍を派遣し、北大西洋条約機構(NATO)軍に加わる方針が報じられるなど、文字通り、一触即発の空気が充満しています。
かかる状況下、難しい立場に追い込まれているのがドイツです。周知の通りショルツ政権は16年間に及んだメルケル政権との差異を強調するために発足当初から中国やロシアといった国々と距離を置く方針を強調してきました。その威勢の良さは12月、大々的に報じられたものです:
しかし、現実は相当厳しい状況です。足許、ロシアのウクライナ侵攻に対して米国を中心とする同盟諸国の大半がウクライナ支援に回る一方、ドイツのロシアを利するような立ち位置が批判を浴びる現状があります。1月24日の米WSJ紙は『Is Germany a Reliable American Ally? Nein Berlin goes its own way, prizing cheap gas, car exports to China, and keeping Putin calm(ドイツは信頼できる米同盟国ではない~安価なガスと中国向け自動車輸出、プーチン氏を怒らせないことを最優先する国~)』と題し、露骨に批判報道を展開しています。これは米国政府の本音に近いと推測されます:
こうした批判には根拠があります。ドイツはウクライナへの武器供与を拒否し、これをウクライナ政府が批判するという応酬が見られています。また、英国がウクライナに対して武器供与するにあたっても本来の最短ルートであるドイツ領空の通過は避け、敢えて迂回ルートが取られたことも注目されています:
英国防省は武器空輸に際し、ドイツに領空通過の許可を求めなかったことを認めています。英国防省はドイツの立場も慮っているのか、大事(おおごと)としては言及していませんが、表立って許可を求めれば事態が複雑化することを察したというのが実情と推測されます。「Yesか、Noか」で立場を求めればドイツが苦しむのは目に見えており、そのこと自体がロシアを利する行為であることも明らかであったということなのでしょう。
現状、ショルツ政権は完工したばかりのパイプライン「ノルドストリーム2」の使用に関し、関連企業の法令順守基準がクリアされるまでは認可しない方針を明示し、これがロシアとの関係を悪化させています。国内の電力事情が逼迫する状況下、「これ以上、ロシアと揉め事を増やしたくない」というのがショルツ政権の本音と見受けられますが、果たして何をどうしたいのか、今一つ姿勢が定まっていないという批判も目立ちます:
確かなことは、既に2022年のドイツの電気料金が前年比で+60%以上上昇すると言われる中、自らの決断で石炭火力発電と原子力発電を廃棄しており、消去法的にノルドストリーム2を介した天然ガスの安定供給に依存せざるを得ないというドイツ家計部門が直面する厳しい現実です。
しかし、そうして自前のエネルギー政策に拘った結果が安全保障上のリスクとして顕現化しつつあります。そして、それこそが米国が最も危惧した展開でした。今の有事におけるショルツ政権の態度は「逃げ腰」そのものであり、同盟国としての信頼を毀損する行為と映り、上で紹介したようなWSJ紙の論説に繋がっていくわけです。「信頼を築くのには時間がかかるが、壊れるのは一瞬」という事実をショルツ政権は体現していると言えるのではないでしょうか。
ちなみに1月21日には、ドイツ海軍トップ(シェーンバッハ中将)が講演においてロシアのウクライナ侵攻の可能性を一蹴した上で「(プーチン大統領が)本当に求めているのは敬意で、それを与えるのは簡単なことだし、おそらくあの人は敬意を払うに値する」とロシアに寄り添うような発言をしています。また、2014年にロシアが併合したクリミア半島については「あそこはもう失われた、もう二度と戻ってこない」とも述べています。諸外国が想像するドイツのロシアに対する本音が露骨に確認された格好です。当然、ウクライナはこうした言動に猛抗議し、同氏は海軍トップを辞任しました:
隣国を救えないドイツ
対ロシア関係だけではなく、対中関係でもショルツ政権の挙動は危ういものであり、発足当初の強気は陰りが見られます。周知の通り、ショルツ政権は政策綱領で中国の専制主義に厳格な姿勢で臨むことを表明し、メルケル政権最大のレガシーである親中路線と決別する意欲を示しています。ベーアボッグ外相からはいち早く「北京五輪に絶対に行かない」などの発言も見られています。しかし、政治・外交的な発言はともかく、メルケル時代で倍以上に拡大したドイツ貿易に占める対中貿易のシェア(貿易総額の約10%)を踏まえれば、中国との経済関係は容易に切れるものではないのは明らかです。発足当初から指摘された話だけに、「やはりそうか」以外の感想しかないでしょう:
既に、経済面での緊密さゆえに、政治・外交面の場において中国に対する厳格路線を貫けない現実が浮上しています。今、注目されるのはリトアニア問題です。昨年来、断続的に報じられているように、ユーロ圏でバルト三国の一角である小国リトアニアが外交において中国を突き放し、台湾に接近する動きを隠さなくなっています。リトアニアの反中姿勢の背景には様々な理由が指摘されますが、旧ソ連の圧政に耐えかねてきた歴史を踏まえ、人権や民主主義を蔑ろにする中国を支持できないという立場が頻繁に指摘されています。
2021年7月、リトアニアは台湾に「台湾代表処」と称する大使館相当の機関を設立しました。国家を意味しない「台北」ではなく「台湾」というフレーズを使うことで、中国の求める「ひとつの中国」を認めない姿勢を露わにしました。これが両国関係を悪化させる決定打となり、中国は猛反発の上、経済取引上のあらゆる手段を用いてリトアニアに嫌がらせを展開しています。小国にもかかわらず中国の脅しに屈しないリトアニアの毅然とした姿勢を支持する声は目立ちます:
しかし、ここでドイツの反中路線が揺らいでいます。昨年12月、中国がドイツの自動車部品大手企業に対しリトアニアで製造する部品の使用を中止するように要求するというニュースがありました:
ドイツを梃子に使いリトアニアを屈服させようという戦略です。中国の狙いは「リトアニアからの輸入」に限らず「リトアニアで製造されたもの」であるため、その影響はドイツを中心にEU全域にわたります。中国への厳格路線を掲げたショルツ政権であれば当然、リトアニアを支持する動きに出るはずですが、そうではありませんでした。各種報道を見る限り、ドイツ産業界は反中路線を高らかに謳う緑の党党首のベーアボッグ外相を諫め、リトアニアに対しても対中関係改善を迫る声が高まっているようです。政権の基本姿勢と整合性を取るのであれば「中国に依存しない経営戦略の策定」こそドイツ企業が取るべきオプションでしょうが、当の政権自身が毅然とした態度を示せない中、ドイツ企業が率先して中国に抗う道を歩むはずがありません。
ちなみに、2007年9月、メルケル前首相がチベットの精神的指導者であるダライ・ラマ法王をベルリンの首相官邸に招き入れ、会談を持ったことが、中国の逆鱗に触れたことがありました。これにより大きな打撃を受けた産業界からの抗議もあって、メルケル政権は中国との関係修復に心を砕き、その後、ダライ・ラマ法王には二度と会わず、媚中外交とも揶揄される姿勢に転じたと言われます。これはメルケルの対中姿勢を一転させた有名な事件として語り継がれています。結局、ショルツ政権も中国の強権的な対応に屈するのでしょうか。実利に基づき「民主的だが小さな隣国」よりも「専制的だが大きな遠国」を取るという姿勢はメルケル路線そのものでもあります。
EV普及目標も腰砕け
ショルツ政権の旗印でもあるエネルギー政策についても迷走が目につく。年初のnoteへの寄稿でも議論したように、年初、欧州委員会はEU首脳会議の議長国であるフランスが議論を主導するような格好で天然ガスおよび原子力をEUタクソノミー上の「グリーンなエネルギー」として公式認定しました:
メルケル政権の原発全廃方針を受け継ぐショルツ政権はこれに反意を示しますが、今やEUにおいて反原発は少数派であり、欧州委員会の意思決定が覆ることはないでしょう。
本来、メルケル政権との差異を打ち出すのであれば「原発全廃の否定」によってドイツ家計部門を苦しめるエネルギー価格急騰を解決することが賢明だったように思います。ですが、連立政権樹立にあたって緑の党の力を借りている以上、そうした政策が打てるはずもありません。欧州委員会の決定は原発全廃方針を転換する好機だったように思えますが、ドイツ政府は「連邦政府として、原子力発電を対象に含めることに改めて反対を明言した。原子力はリスクとコストが高い」と声明文を掲げる始末です。自縄自縛そのものと言わざるを得ません。
また、日本語報道では大きく取り扱いが見られないが、1月17日、ロイターは『German transport minister reverses from 15 mln electric vehicles goal』と題し、ヴォルカー・ウィッシング運輸大臣がEV(電動車)の普及に関し、重要な変節を示したことを報じています:
ショルツ政権は発足当初から2030年までのEV普及台数に関しメルケル政権が掲げていた「プラグインハイブリッド車(PHV)を入れて700万~1000万台」との目標を取り下げ、「PHVを含まない完全なEVで1500万台」と大きく引き上げた目標を喧伝していました。しかし、上記報道によれば、ウィッシング運輸大臣は独紙ハンデルスブラットが主催した会議の場で「(1500万台目標には)PHVも貢献できる」と述べています。まさに朝令暮改です。
繰り返される「大言壮語と朝令暮改」
ほかにもショルツ政権の危うさを示唆する兆候は数多くありますが、上述してきたロシアや中国に対する厳格路線も、脱炭素に盲従するエネルギー政策も「実現可能性がないことを大言壮語して朝令暮改する」という点で共通しており、政権発足2か月足らずで、かなり大きな論点でそうした姿勢が目立ち始めていることに危うさを感じざるを得ません。
もちろん、抱える難題を深く掘り下げればメルケル政権が遺した負債も多く、発足当初から資源価格高騰やロシアのウクライナ侵攻などの事案に見舞われた不幸には同情の余地もあります。しかし、「メルケル政権との決別」に拘るがあまり、現実的な目線を失っているという印象も拭えない。性急な戦果を求め過ぎているように見えます。
現状のドイツはEU域内外で孤立が目立ち、しかも数少ない「親しい友人」であった中国との間にも険悪な空気が漂っています。もっとも、難しい対外環境は過去16年間でもあったものであり、それを上手く差配してきたのがメルケル前首相だったわけです。ドイツの内包してきた矛盾をメルケルは最小限のダメージで整理してきた印象があります。それは長年の安定感の中で可能だったわけですが、ショルツ政権はその矛盾を一気に受け止め、処理しようとしてつまずいているように見えます。
これまで抜群の安定感を誇ってきたドイツですが、ここにきて非常に不安定な環境に追い込まれており、ドイツ自身のみならず、世界中が改めて「メルケル前首相の抜けた「穴」の大きさを感じることになりそうです。
この辺りの詳しい議論は日本経済新聞出版社から先月、上梓させて頂いた下記の拙著にも詳しいので、ご関心のある方は手に取って読んで頂ければ嬉しいです。
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