AIはなにを奪うのか? #AIに奪われない仕事
お疲れさまです。uni'que若宮です。
日経COMEMO から 「#AIに奪われない仕事」というお題が出ておりますので、今日はAIや機械と人間の「仕事」について考えてみたいと思います。
AIは創作の仕事もできる?
Stable Diffusionを始めとする「お絵描きAI」がきっかけで、ふたたびAIについての注目が高まっています。
AIは決められた仕事はできてもクリエイティビティが必要な「創作」はできない、というのが少し前の定説でしたが、「お絵描き」おいても急激に質を向上させてAIが「侵食」してきたことで、衝撃とそこへの防衛反応が起こっている感じでしょうか。
AIのすごさはやはり画像生成のスピードです。完成度の高いイラストがほんの数秒で出来てしまいます。そしてその品質はどんどんあがっています(先日AIと絵師との見極めテストみたいなのをやったら半分はわかりませんでした)。この状況だけ見るとたしかにお絵かきAIの登場でイラストレーターや画家の仕事が奪われる、という危機感をもつのもわかります。
機械はなにを「奪う」のか?
ところでそもそも、AIを始めとする「機械」は「人間を助けるためにつくられたツール」であるはずです。
それがどうして人間から「奪う」という対抗した事態になってしまうのでしょうか?
機械のサポートは基本的には人間の能力の「拡張」です。眼鏡は視力の拡張であり、見えなかった距離まで見えるようにしてくれますし、車は足の拡張として遠くまで速く移動することを可能にしてくれます。こうした拡張は、「人間ができることを増やす」のですから、できる仕事を増やしこそすれ仕事を奪う、ということはないようにも思えます。
しかし、「拡張」は一方で何かの「縮小」ともなりえます。たとえば車の場合でいうと、「移動できる能力を拡張する」ことは、「移動時間の短縮」を実現します。
以前こちらの記事でも書いたのですが、
↓のように効率が高まるとより多くのことが成し遂げられるようになりますが、それと表裏で、必要とされる労力がより少なくなります。
人が遠くまで出かけられることができるようになることでたとえば旅行や観光ビジネスは伸長します。移動力を増幅させた人類は地球だけではなくやがて宇宙へもいこうとしていますが、同時に個人が移動に要する時間は短くなる。そうするとこの効率化により、不要になる仕事が生まれます。
たとえば車が生まれて速くなにかを誰かに届けられるようになれば、飛脚や人力車を使うことは「非効率」になり、そうした労力が「仕事」として必要とはされなくなります。機械で人間の能力が拡張し、できることが増える一方で、相対的に「人間がする仕事が減る」ということにはなります。
しかし、基本的に機械は人間を拡張し助ける、という原理的な観点から考えるなら、実はAIや機械が減らしているのは「仕事」そのものというよりも「労力」なはずです。
AIや機械が「仕事」を減らす、といわれるとザワッとする人でも、AIや機械が「労力」を減らす、といわれて拒否反応がある人はあまりいないのではないでしょうか?つまり、ここで減ると困るのは「労力」ではなくてそれが「報酬」にも影響するから困ってしまうわけで、「AIが仕事を奪う」という時には実は「仕事」の二義性によって問題が取り違えられている気もします。
ちょっと簡単な例で考えてみましょう。
そこであなたはパンつくりロボットを発明しました。パンつくりロボットの発明により、生産性は5倍。あなたは50個のパンを毎日届けられるようになり、ほとんどの村人がパンを食べられるようになりたいへん喜ばれます。
感謝の声を受けてあなたはさらなるロボットの開発に取組み、パンつくりロボットZを開発します。「Z」の導入により、あなたはパンを毎日100個つくれるようになりました。
村の人は喜びましたが、あなたのお店の100個のパンの他に4店舗、40個のパンがありますから、パンは売れ残ってしまいました。そこであなたはパンを値下げすることにします。結果すべてのパンを売ることができました。
やがて他のパン屋は店をたたむことになったのです。
奪っているのはAIではなく、実は人間である
この寓話が示唆することはなんでしょうか?
一つは、”ニーズが飽和するまでは”、生産力の拡張は望ましいことである、ということです。しかし、ニーズを超えて生産してしまうと状況は変わります。売れ残りが生まれ、その結果、値引きが起こります。
ここで注意したいのは、値引きの影響がロボットを導入した店舗だけではなくそれ以外の店にも影響が出てしまうことです。そして最終的には他の店舗を潰れてしまい、パン屋Aだけが「仕事」を独占してしまうことになりました。
村全体として考えれば、5→90→140と生産力は伸びています。そしてたしかにそれにより村の人は助かっています。これはまた、生産性の向上により必要な100個のパンをつくるための「労力」を村全体として削減できた、ということもできます。無駄な労力がなくなった、という意味ではよいはずなのですが、困るのは収入がなくなった人たちです。
ここで少しだけちがうやり方を考えてみましょう。もしロボットを発明したパン屋Aがそのパンを他のパン屋に無償で配ったとしたらどうでしょうか?生産性が上がった分、誰かが淘汰されるのではなくその恩恵を村のパン屋がみんなで受けられることになります。
あるいはパン屋Aで職を失ったパン職人を雇い入れ、週一日の労働くらいで元の収入くらいの給与を出すのはどうでしょうか。ロボットの導入により労力が削減できているのでこれでもパン屋Aの収支は成り立つはずです。このようにパン屋Aだけが収益を独占せず分配すれば、他店のパン屋が「仕事」と同時に「報酬」も奪われる、ということには必ずしもなりません。
すでにのべたように、ロボットが「労力」を減らすことそれ自体は望ましいことです。むしろつらいのは「報酬」が奪われること。そして先程の村ではロボットの導入によってパン屋Aが村の中での売上を独占したように、誰かの「報酬」を奪っているのは実はAIや機械ではなく人なのです。(機械は給料を求めないから)
これを思うとAIの登場においても、単に仕事の「労力」が減るだけで楽になるなら、そして自分の収入が労力が減っても引き続き担保されるなら、そこに危機感はないはずです。
機械化や仕組み化は、全体の効率性をあげますが、同時に生産性が向上した一部の企業への「仕事」と「報酬」の集中を引き起こします。もしそこから得られるメリットが占有されるのではなく(ベーシックインカム的に)正しく分配されるのであれば、AIが「仕事を奪う」驚異はなくなるでしょう。その意味で、AIの驚異は「報酬」が偏りすぎる社会の仕組みにこそあると言えるかもしれません。
「効率化」ではない価値
もしAIや機械が「労力」を減らしてくれ、生産性があがってもそのままに「報酬」を担保してくれる、としたらすべての「仕事」はAIや機械に置き換えられていくでしょうか?
これもそうとはいえません。なぜなら人の仕事には「効率性」だけでは測れない部分もあるからです。
たとえば「人力車」という職業は今でも存在します。「A点からB点に移動する」というだけであれば車を使うほうが効率的であるにもかかわらず、です。人力車の移動は時間もかかりますし、にもかかわらずタクシーよりも高額です。
これは単なる「移動」とはちがう価値が人力車にはある、ということを示します。「移動」はたしかに効率化できますが、たとえば土地の景色を楽しむ、という意味ではむしろ時間がかかる方が望ましい、ということもありえます。ロウソクの明かりも、単なる照明効果としては蛍光灯の方が便利ですが、ゆらぎやあたたかみなどまた別の価値がありますし、アナログ盤や紙の本などの物理媒体が持つ魅力もそうしたものです
こうした、いわゆる「意味のイノベーション」は「効率性」とはちがうベクトルをもち、むしろ非効率性を価値に転換するところにヒントがあります。
パン屋Aがロボットで効率化しても、パン屋Bがパンづくりワークショップをセットにした体験型のパンを提供すれば、ロボットパンの値下げには影響されず仕事をつづけることができるでしょう。
あるいは、パン屋の効率化によって週一勤務しでも収入が安定しているならパン職人はもう働かないでしょうか?
もしかしたら、パンをつくるのが好きな彼らはお金とは関係なくパンをつくり続けるかもしれません。この時「パンをつくる」という仕事は果たして機械に奪われたのでしょうか?むしろ報酬から解放されたのでしょうか?
AIや機械は人間を助けるために生まれました。彼らが「仕事」を、ましては「報酬」を奪っているのでは本当はありません。「奪う」ということは機械ではなく人間によってされるのです。もしそこで削減されたメリットや「報酬」が適切に分配されるなら、人間の「仕事」は「報酬」のくびきから開放され、これまで以上に「楽しむ」ことこそが「仕事」になっていくのかもしれません。