見出し画像

「知性主義」から脱する教育

かなり気になるFTの翻訳記事を読みました。米国の経済・産業政策の枠組みで「良い教育とは」がもろに論じられています。

世界の半導体生産の規模はこの20年で3倍に拡大したが、米国の半導体産業に従事する労働者数は3分の1減った。これは米国が半導体生産ではなく、「ファブレス」と呼ぶ半導体の知的財産部分にあたる設計に特化する道を選んできた結果だ。この状況は米国が自国の経済をどう考え、良い教育とは何か、というより大きな問題に対する米国の考え方を反映しているとも言える。1970年代以降、職業訓練プログラムは縮小された(一部のリベラル派は同プログラムを階級差別的だとか人種差別的だと批判していた)。そして米国の製造業はグローバルな貿易自由化の一環として海外に移転されていき、それに伴い頭脳労働と肉体労働の自然なつながりは断ち切られてしまった

産業政策のロジックとしては分かるけど、「良い教育という表現がここにくるわけ?」思わず聞き返したくなります。というのも、日本からミラノに戻る機内で孫泰蔵さんの『冒険の書』を読んできました。教育の意味のイノベーションを説いている本です。産業社会で活用されやすい「機械としての人」を育てることを目的にした教育って何?という趣旨です。

そして機内で読み終え、経由地のヘルシンキ空港で上記の記事をみつけ、これは一言!と思ったわけです。だって、ぼくとしては「弱い産業革命」の再考をしはじめたばかりですからね。

古代ギリシャ哲学の誕生の頃が面白い。


この1年ほど、西洋哲学史の解説をポドキャストでそうとうに聞いてきました。イタリア人の哲学の先生によるもので、毎週2回、1回20分くらいの話がイタリア語でアップされます。もう150回くらいですが、やっと14-5世紀に突入してきました。

殊に何度も聞いているのが、紀元前6-7世紀において古代ギリシャ哲学が誕生したあたりの話です。ソクラテス以前と言いましょうか。大学生の頃に一般教養として少し勉強はしましたが、当時であってさえ、自分の言葉として語るには程遠い。そして何十年か、そのままになっていました。

しかし、今になって、古代ギリシャ哲学の初期に生きた哲学者やソフィストたちの言葉や行動が面白くなってきたのです。

それは、キリスト教の教理や科学思想あるいは啓蒙思想に貢献した(または利用された)合理的な思考への過剰な「信仰」が生じる前、自然の成り立ち、美しさとは何か、人の幸せといった、今の時代にも生きる誰もがもつ問いにおよそ2500年前にどう考えたか?が、あの時代のソフィストたちの言葉によく表れているからです。そして、その流れが今のイタリアにもあるのが実感できるのです。野趣あふれる明るさが、そこにはあります。

「19世紀以降の哲学をおさえない議論は無駄」と言いたくなる人のことも、分かります。人類が蓄積してきた英知を踏まえる、科学や技術の発展を踏まえる、いろいろとその理由はあるでしょう。それはそれでとても重要なことです。

しかし、ぼくが思うのは別の次の観点です。

自分もまんざらじゃない!と思える。

自然とはこうやってできたのだろうか? 倫理はどう考えるのが適切なのだろうか?と思いをはせたとき、我々は、往々にして近代以降の思想家の言葉をなぞろうとする傾向があります。

確かに、もっと時代を遡った人の書にも目を向け、何世紀にも渡って人の気持ちや考えで変わっていない部分を確認することもあります。だが、科学的知識や技術が人を変えることも事実であるため、ほぼ唯一の価値観であるかのように、近代以降をより重視するのでしょう。

そうすると、人の幸せとか、倫理とか、自分の頭でゼロから考えるに相応しい、自分自身の人生をつくる内容についても「エライ人」に頼ろうとしてしまうのです。「自分で考えるなんて、とんでもない!」とでも言うように。

だが、古代ギリシャ哲学の人たちの言葉を辿ると、「自分でも結構、いけるのじゃない?まんざらじゃない」と思えてきます。ぼくが強調したいのは、この点です。後の世にまで名を馳せた人たちと、人生観や倫理について対話しやすいのです。

書き言葉ではなく、話し言葉が中心の世界へ。

ルネサンス期の画家、ラファエロの描いた「アテナイの学堂」という絵画があります。古代ギリシャの賢人たちが歩きながら議論しています。この歩きながら対話を重ねることがものごとを考えるための基本姿勢で行動であるとこの絵画は伝えています(これもイタリアの街角で今も一般的な風景です。だからこそ、概念の柔らかさが常に求められます)。

ソクラテスは本を著すことなく、話す一方だった。それを本に戦略的にまとめたのがプラトンであった。そこで、ソクラテスは文章にするとの点でプラトンに劣っていたが如く勘違いする現代人もいます。

しかし、その時代、話すことが大切だったのです。話すことによって、議論の輪郭を柔軟に動かせ、多様な解釈を導くことができます。リズム感も重んじられます。書かれたものの場合、その自由度が減ってきます(この書かれた文章による思考の拘束が大きいのが、特に日本という地域の傾向だと感じています)。これが、どうも奔放な思い方、考え方にブレーキをかけがちになるとも思うのですね。

その意味で、話すことがさまざまな縛りからの解放の一助になると考えています。

『冒険の書』は近代の縛りを解こうとしている。

さて、前述した『冒険の書』は、学校というシステムは近代の産業政策に沿った作られたことを、わかりやすい言葉で丁寧に語っている本です。つまり、「近代に生み出された言語」を批判的に顧みている本ですが、「なぜ、学校での勉強がこんなにもつまらないのか?」との視点で切りまくっているのは痛快です。

そして、それは、ぼくが古代ギリシャの初期の哲学に惹かれていることと相通じているものがあるのではないか?とふと思ったので、最近のポドキャスト経験を先に語ったわけです。

あの時代には専門性というものがなく、あらゆる事象が1人の人間の思考の対象になった。これは、孫さんが「あそび」と「仕事」を分けることをやめよう!専門家と素人の垣根を取り払おう!と説く先にあるイメージと重なります。

さらに強調すべきな点は、いわゆる「知性主義」の重荷を肩から外して身軽になろう、ということだと思います。

「クリエイティブであれ」と言い過ぎない。

この何十年かわかりませんが、盛んに「クリエイティブであれ」と強調されてきたきらいがあります。ぼく自身、そのようなことを何度も語ってきました。しかしながら、この「クリエイティブであれ」は往々にして、「知性主義の一変種」ではないか?という感もあります(上記でも紹介した「弱い産業革命」を実感する- 丹後で考える(後半)」を参照ください。以下、抜粋です)。

仕事そのものに上下をつける発想そのものを変えるタイミングではないか、ということです。機械やITの進化とともに、「単純労働はロボットに任せる」「クリエイティブではない仕事はAIがやる」ということが当たり前のように言われてきました。しかし、人間を知的労働の「専任」とするのが適切なのでしょうか

ひとつ思いついたことがあります。

『冒険の書』で18世紀の英国で社会事業に取り組んだ実業家、ロバート・オーウェンが紹介されています。社会的な環境を整えるのに尽力したオーウェンは、イタリアの高級ファッション企業の創業者、ブルネロ・クチネリも手本にしている人です。そのクチネリは「クリエイティブ教育などしない。創造力は誰にもある。人の尊厳を大事にすれば、自ずと創造力は発揮される」と語ります。

貧しい農民の子として育ったクチネリは手仕事や農作業を大事にする人です。同時に、クリエイティブを語らないわけではないですが、語り過ぎない。彼には、知性主義に陥らないための知恵があるのではないか?と、『冒険の書』を読みながら思いついたのです。

どういうわけか、知性はたまにアグレッシブになり過ぎることがあります。感情以上に、です。この点に注意しながら、ぼくも「弱い産業革命」について考えようとあらためて思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?